ノットとローニャ
ローニャは、もはやなんの感情もこもっていない瞳で、ノットを見下ろしていた。体勢を崩していた彼女の腹部を蹴り上げ、押し倒した。
そして、何事か言おうとするローニャを、そしてなにが起こっているのかわからないといった表情のアンズを、それぞれ一瞥して……その場を、離れた。
ノットもアンズも、ローニャを止めることはなかった。
「〜〜♪」
久しぶりに、かつての友人に出会った……その事実を噛み締めつつ、ローニャは鼻唄を歌いながらスキップをする。スキップなんて、いつぶりだろうか。
元々、外でなにが起こっているかを確認するために、ここに来たのだ。飼い主様に報告するために、家へと戻る。
もしかしたら、待たせてしまっているかもしれない。だから、ローニャは急いだ。
「……ん?」
あと、もう少しで家につく……そんな、時だった。背後から、全身を巡るような変な気配がしたのは。
思わず足を止めて、振り返る。そこには、なにもない……はずだ。だが、今来た道は……先ほど、ノットたちがいた場所だ。そこで、なにかが起こっている。
別に二人がなにをしようと、ローニャには関係ない。だが……そう、切り捨てられないほどの事態が起こっていると、直感があった。
「……ぁ」
そして、次になにを思うよりも先に……異変は、起こった。
突然だ……突然、建物が燃え始めた。火を消し忘れた、誰かが放火した……というレベルのものではない。火柱を上げて、なんの前触れもなく、燃えていくのだ。
それも、一つや二つではない。
「……これ……?」
なにが起こっているのだろう。ローニャには、わからなかった。わかろうと、考えようとすらしなかった。
ただ、気がついたのは……あんなに、勢いよく火が出ては。建物の中にいる人は、ひとたまりもないだろうということだけだった。
「いやぁー!」
「なんだこれ……うわぁ!?」
「熱い、熱いよぉ!」
次第に、逃げ惑う人々で辺りは埋め尽くされる。人に押され、思うように身動きが取れない中で……人すらも、突然燃えた。
隣の人間が、自分自身が……燃える恐怖。子供も大人も、男も女も、関係ない。みんなが平等に、理不尽の炎に身を焦がしていく。
火を消すための、水がない……いや、たとえ水があったとしても、これだけの人や建物を燃やす炎を、消化させる方法などない。それも、今なお炎は上がっている。
「……飼い主、様……」
隣の誰かが燃えようと、どこからか助けを求められようと、ローニャには関係なかった。今頭の中にあるのは、一つだけだ。
その人物の場所へ向かうために、駆け出した。足を掴まれても、振り払って……肩を掴まれても、押し倒して。
「っ……!?」
しかし、すぐにローニャも、みんなと同じ現象が訪れる。体が、なんの前触れもなく、炎に包まれたのだ。
「はっ……」
思わず、膝をつく。大抵の痛みはもはや痛みと感じないほどであったが、さすがに全身を包み込む炎は話が別だ。しかも、これはただの炎ではない。
身だけではない。中身も、血液も、骨さえも……すべてを、焼き尽くすかのような、炎……
「……ノット?」
なぜだか、一人の顔が浮かんだ。炎に包まれ、体が燃え……そんな中で、浮かんだ顔は、自分を見捨てた女の、顔だった。
先ほど再会を果たし、共に行こうと申し出たが断られ……別れた、相手。なぜ、今彼女の顔を、思い出すのだろう。
これが、走馬灯というものなのだろうか。それとも……
「あぁ、そっか……」
この炎は、おそらくノットのものだ……それが、なんとなくわかった。彼女が腹いせに、あちこちを炎に包ませたのか……それとも、別の理由があるのかわからない。
でも、これだけはわかる……
「私、もう、死ぬんだ……」
痛みも、感じない体になってしまった。だが、それでも自分の命の終わりくらいはわかる。現に、もう足の感覚がない……視線を向けると、膝から下がなかった。
灰となって、消えていたのだ。そして……体のあちこちが、灰になって消えていくのが、わかる。
さっきまで隣で苦しんでいた男が、すでにそこにはいなかった。残ったのは、灰色の砂のみ……燃やし尽くされ、灰となってしまったのだ。
「……はぁ」
仰向けに、寝転がる。空に、手を伸ばす……当然、届きはしない。
もう、死ぬ……それがわかって、恐怖心はなぜかない。死にたくないとも、もう思えないのだ……むしろ、これで終われる、という気持ちが、大きかった。
「……私の人生、なんだったんだろ」
目尻から、なにかが流れる。もう、枯れてしまったと思っていた涙だ……死ぬのが怖いのではない。これまでの人生、いったいなんだったのだろうと、虚しさが湧き上がってきたのだ。
物心ついたときから一人で。友達と呼べる子と出会ったが、見捨てられ……奴隷として、身も心もいろんな人に弄ばれて。
どうせ終わるなら、もっと早くに終わってしまいたかった。だから、ノットが終わらせてくれたのだとしても、彼女に感謝はしない。
ただ……死んだあと、ノットと同じ場所に、逝くことはできるのだろうか。それだけは、少しだけ考えていて……
「……いい、天気だなぁ……」
燃え盛る町、それを見下ろす青空……輝く太陽を、最後に目に収め……ローニャは静かに、目を閉じた。
……その身を包む炎は、ローニャの体を。そして町全体を……包み込んでいった……
今回で、ノットとローニャの章は終わりです!
本編の流れでわかりますが、最後の炎はノットのものではなく、ノットの炎を奪ったアンズのものです。アンズはあのあと、ノットもろとも町全体を燃やし尽くしたんですね。
ローニャの人生は、果たして救われたのか、救われなかったのか……




