その出会いは、偶然に
一度味わってしまった希望、それが潰えた瞬間から……ローニャは、壊れてしまった。いや、見ただけではそうはわかるまい。
なんせ、仕事はきっかりこなし、メイド仲間たちとの会話もそつなくこなす。ただ、そこにこれまであった、ローニャとしての人間らしさは、失われていた。
果たして、それに気付いている者はいただろうか……もしかしたら、本人さえも、気づいていなかったかもしれない。
「さあ、ローニャ」
「……はい」
数々の男に抱かれ、もはや自分がなにをしているのかもわからなくなってきた頃……事件は、起こった。
その町に、魔物の大群が押し寄せたのだ。偶然にも、ローニャは隣町に買い出しに出ていて、難を逃れたが……戻って来た時には、なにもかもが変わっていた。
「……なに、これ……」
燃える建物、倒れている人々、風変わりした町の景色……腐敗臭が、ローニャの鼻をくすぐる。
血のにおい、獣のにおい……中には、人間が焼かれているにおいもあった。獣人であるローニャには、そのにおいはいっそうに感じてしまう。
もう襲われた後だからか、魔物の姿はない。残った獣臭や、獣が暴れたと見られる様子から、それはわかった。
「み、みんなは……」
ローニャは、屋敷に戻った。いつもならば、明るい笑顔でタロットが、エミーが、フーラが……仲のいい、人たちの笑顔が迎えてくれるはずだった。
……そこには、なにもなかった。
「あ、ぁ……」
つい数時間前に見た光景、人の笑顔……それらは、なにもなかった。笑いかけてくれた人たちの、苦悶の表情。無慈悲にも顔が裂かれ、全身をずたずたにされている者もあった。
知った顔が、もう物言わぬ躯となっている。それは、絶望だ……しかも今度は、ローニャ自身の味あった苦痛ではない。
ローニャの周りの人間が、味わった苦痛……それを想像するだけで、胸が張り裂けそうだった。
「あ……ナル、ハンド様……タロット……」
一番見知った顔が、倒れていた。ここに来て、限界を迎えたのだろう……ローニャは、吐いた。ただただ、胃の中になにもなくなっても。
タロットはいつも優しかった。ナルハンドだって……彼に対して思うところが、なかったわけではない。だが、死んでほしいとまでは、思っていなかった。
それも、こんな風に……顔の半分を食われ、壮絶な終わりを迎えることなど。
「グルルル……」
「ぁ……」
獣の、呻き声。見ると、そこには禍々しく黒い、獣がいた……見たことはない、でもわかった。あれは魔物だ。
まだ、残っているのがいたのだ。生き残りを探しているのか、死骸を漁っているのか……その口元には、血がべったりとついている。
いったい何人が、その牙の犠牲になったのだろう。
「もう……いいや」
恐怖に足がすくむ……しかし、それ以上にローニャから、逃げる気力は失われていた。
幸せな時間は、確かにあった。でも、最近は……苦痛、ばかりだった。苦しいし、痛いし……そして、その苦痛さえも受け入れつつあるこの体が、心底嫌になる。
このまま生きていたところで……意味はもう、ない。ならばいっそ、ここで……
「グルルァアアア!」
獲物を見つけた魔物は、牙を剥き襲い掛かってくる。座り込み、運命を受け入れた少女の、命を奪うために。
ローニャは、目を閉じる。彼女の頭に、いろいろな人たちの顔が浮かんでいく。ナルハンド、タロット、屋敷のメイドたち、パニャ、施設の子供たち……
そして……
「ノッ……」
「だりゃあああああ!」
最後に浮かんだ顔……その人物の名前を口にしようとして、突然割り込んできた大きな声に、遮られた。
直後……ドシャッ、と大きな音がした。魔物に襲われる……はずの、衝撃が来ない。恐る恐る、目を開ける。
……目の前に、誰かが立っていた。人間だ、獣人ではない。後ろ姿だが……少女だ。ローニャ自身と、そう変わらないのではないだろうか。
そして、少女の視線の先には……魔物が、倒れていた。まさか……あの凶暴な魔物を、この少女が殴り飛ばした、とでもいうのか? 大人でもないのに?
「よかった、まだ生きてる人がいた」
「ぁ……」
さっきから、まともな声が出ない。
少女は、振り返ってにこっと笑った。こんな状況にあっても、まるでローニャを安心させようとしているようで。
そして、こんな状況なのに、その笑顔はどうしてかとても安心できて……
「おーい、あんまり一人で突っ走るなよ、まったく!」
「ごめんごめん、でも魔物くらいなら一人でも平気だって」
「そういうことを言ってるんじゃなくてな……」
向こうから、数人の男女がやって来る。剣を持っている人もいれば、なんだか大きな人もいる。
なんの集団か……それは、ローニャにはわからない。ただ、一つわかっていることがある。
「あの、大丈夫だった? 怖かったね……もう大丈夫だからね!」
「この子だけか? 生き残りは……」
「ケガとかない? どっか痛いとこない?」
「……こりゃ、ひどい有様だな」
「とりあえず移動した方がいいですね」
「あなた、名前は? 私は、アンズ」
……自分は、死にぞこなってしまった。生きて、しまったのだということだ。




