発つ日
施設に来てから、三年とちょっとが経過した。その時間で、ローニャはすっかり成長していた。小さかった身長は伸び、胸もそれなりに成長した。尻尾や耳だって。
この三年で、施設内の子供たちの出入りは激しかった。元々いた子が買われて出ていったり、子供が減れば新たに増えていった。こんな世の中だ、身寄りのない子供なんていくらでもいる。
ローニャはこの頃には、ここがどういう施設で、自分たちはなにをするために居るのか、完全に理解していた。来たばかりの頃はぼんやりとしかわからなかったが、今となってはちゃんとわかっている。
この、奴隷を育てる施設にいる子供に、人権のようなものは存在しない。飼われれば、自分を買った相手になにをされても文句は言えないのだ。中には性の対象として扱われるだろうし、殺しだってありうるかもしれない。
逆に言えば、この施設にいる間は、身の安全は保証されている。この施設の管理人ローベルトは、ローニャたちを商品として扱いながらも、決して手を出そうとはしない。
それは、商品を傷つけないため……ではない。単に、興味がないのだ。ローベルトは子供を売ったその金で、新たに子供を手に入れるか、自らそういうお店へと貢いでいるからだ。だから、ローニャたちがローベルトに汚されることは、なかった。
……だからローニャは、うまく立ち回った。家事を疎かにすれば叱られる、だから失敗はせず……かといって目立たないように。ずる賢さは、かつての生き方で身につけたものだ。そうして、三年もの間、逃れ続けていたが……
「ローニャ、お前の買い手が見つかった」
ある日のこと、唐突に、言われた。それは絶望へと導く言葉だ。
この三年、ローニャは目立たずに生きてきた。もちろん、ただ生きてきたわけではない。ここから脱出しようと、何度だって考えた。だが、実行しようとすると、足がすくんだ。
もしもバレたら、見つかったら……それでも、いつか売られてしまうくらいなら。そんな思いから、脱出を試みたこともあったが、うまくいかなくった。ここは、思いの外警備の目が多いのだ。
屋敷にいるのは、基本ローベルトだけ。それも、常にいるわけではない。だが、庭には凶悪な獣……番犬がいる。脱出しようとして、番犬に食い殺された子供もいる。
地上は番犬が見張っている。ならば空から……屋根伝いにとも、考えた。だが、どういう仕掛けかは知らないが、空に登ると鳥が襲ってくるのだ。つつかれるだけならまだいい、中には目玉をくり抜かれた者も……
……ローニャたちは知るよしもないが、ローベルトは魔術師であり、番犬や鳥は召喚獣であった。
「……私、が?」
脱出の手が封じられ、それでもいつかは、と隙を伺っていた。そんなローニャに、突きつけられる現実……ローニャは、頭が真っ白になった。
ふと、ローベルトの視線を感じる。ねちっこく、全身を舐め回すような、嫌な視線……それを感じたローニャは、早々にその場を立ち去った。
「はぁ、はぁ……!」
一人になったローニャは、深く息を吐く。これまでうまく逃げ続けていたとはいえ、永遠に逃げ続けられるとは思っていなかった。だが、まさかこんなにいきなりとは。
……パニャも、こんな思いだったのだろうか。
「……みんな、も……」
ローニャがここへ来た時に居た他の子供たちは、もういない。皆誰かに買われてここを去ったか、逃げようとして死んでしまったか……ローベルトは、子供を殺すほどいたぶることはしない。いずれも、事故によるものだ。
だが、子供は補充できる。だから、よっぽどの"良質"が死なない限りは、どこ吹く風といった具合だ。
……いっそのこと、自分も死んでしまおうか。ローベルトは、ローニャに最近は目をかけていた……だから、ローニャが死ねば、少しはあの顔も悔しがってくれるだろうか。
「……っはぁ」
しかし、自死を考えこそすれ、実行に移す勇気が出ない。ローニャはかつて、生き抜くために殺し以外のことならなんでもやった……それだけやって生き延びたこの命を、自ら絶つ選択肢は、ローニャにはなかった。
結局、五日後の引き取りまで、ローニャは葛藤しつつもなにもできず、いつも通りに過ごすしかなかった。逃げることも、死ぬこともできず……ただ、小さな可能性に賭けて。
そう、ここから居なくなった子が、みんながみんな不幸になったとは限らないのだ。もしかしたら何人かは、幸せな生活を送っているかもしれない。
ローニャを買った人物だって、見た目は悪くなかった。だからきっと……
「ローニャぁー……」
「元気でねぇー!」
時間はあっという間に過ぎ、ローニャが施設から発つ日がやって来た。別れを惜しむ子供たち、この子たちはまだ、ここから居なくなることの本当の意味は理解していないのだろう。
別れの寂しさ、そして未知への恐怖に後ろ髪を引かれるが……ローニャは、施設を出た。そして、迎えに来ていた男……ローニャを買った男は、にこりと微笑んだ。
「やぁ、ローニャ。僕はナルハンド・ヴィースだ。これから、よろしく頼むよ」
人の良さそうな、青年。その笑顔の裏に、なにを潜めているのか……それが、ローニャには恐ろしく、たまらなかった。




