一滴一滴丁寧に幼女が抽出しました
倦怠感が吹き飛び痛みが嘘のように引いていく。全快とまではいかないが、立って歩けるくらいには回復した気がする。
恐るべき効果だな、虹汁。
エテルナがほっと息をついて目を細めた。
「良かった。あとは、わたくしの膝枕でゆっくりお休みいただければ大丈夫ですね。今日はアルヴィス様がとってもがんばったので、いっぱいよしよししてさしあげましょう」
正座をして幼女は小さな膝頭をペンペンと叩いた。
実装された膝枕を前に、俺は首を傾げる。
「なあ、いったい俺に何を飲ませたんだ?」
「この【初心者】の神殿が誇る回復の泉の水です」
「そ、そんなものがあるのか!? すごい! もう一杯!」
空のコップを返す。
「ええと……一時間くらい掛かりますけど……膝枕で休めば十分くらいで済みますし」
どれだけ膝枕がしたいんだこの幼女は。
エテルナはコップを受け取りながらしょんぼりと視線を落とした。
「一時間ってどういうことだ? 泉まで遠いのか?」
汲みに行って戻ってというのなら、いったいどこにその泉があるのだろう。
「源泉があるのは隣の部屋です。今後のためにもアルヴィス様には説明するより見てもらった方がいいかもしれませんね」
促されて俺は幼女の後についていく。隣の部屋は大浴場のようだった。
が、浴槽は空っぽだ。
巨大な兎の彫像があり、その口からポタポタと虹色の滴がしたたっている。
なんかドジャー! と水が湧いていてもそれはそれで変に見えるが、兎の像が一滴一滴よだれを垂らしている光景もなかなかにシュールで味わい深い。
エテルナは自慢げに胸を張った。
「こちらが【初心者】の神殿名物。世界の銘泉百選にも数えられた回復の泉にございますアルヴィス様」
「枯れてるな」
「そ、そうなのです。十年前まではちょろちょろぱっぱくらいは出ていたみたいなのですが、冒険者の皆様の心が【初心者】から離れてしまってからというもの、お母様の力も弱まってしまって……」
幼女は浴槽の縁に腰掛けると、足をぷらんぷらんとさせながらうつむいてしまった。
「信仰が足りないと神様も弱るんだな」
「ええ、そうですともそうですとも。お母様の記憶によると、まだこの世界が始まったばかりの頃には、泉は湧きに湧き、冒険者であふれかえっていたそうです。平原のプルンが【初心者】に狩り尽くされて、絶滅寸前にまで追い込まれるくらいだったとか!」
今は狩る者もなくプルンは増えまくっているようだ。
幼女はコップを兎像の口の下に置くと、一滴一滴ぽたぽたと抽出される泉の水を目で追った。
「いずれこの泉も完全に干からびてしまうかもしれません」
「こんなに便利なのにどうして誰も使わないんだ?」
ララルクスの町には冒険者が溢れている。コップ一杯で死にかけから立って歩けるくらいに回復できるのだから、利用者がいてもおかしくないだろ。
「この泉の水は【初心者】にしか効果がないのです。神殿の敷地外に持ち出すとお母様の加護が失われて、普通の綺麗な水になってしまいます。昔はもっと広い範囲にまで加護が広がっていたのですが、今は神殿だけでやっとという状況なのです」
幼女はしょんぼりと肩を落とした。
普通に飲める水というだけでも価値はある。のだが、たしか【初心者】レベル7で覚える生活魔法で水精製ができるんだっけ。
わざわざ神殿に水を汲みに来る冒険者はいなさそうだ。
白いウサ耳をぺたんとさせてエテルナは困り顔でうつむいた。
「寂しい話だな」
「アルヴィス様が【初心者】の輝く一番星になってくれないと店じまいならぬ神殿じまいになってしまうんです!」
青い瞳が涙に潤む。
「おいおい泣くなよ……って、神殿じまいって本当なのか? 六柱神の一柱なのに!?」
「このままお母様への信仰が失われていくと、冒険者全体への加護が無くなってしまいかねません。由々しき事態です。マジやばいのです」
「もしかして最悪……死んでも復活できなくなる……とか?」
幼女はコクコクと二度頷いた。
「それ無茶苦茶まずくないか」
「はい。どれだけすごい冒険者でも、死んで終わりになってしまいますから」
人間が北部大陸全土に領域を広げることができたのも、冒険者が復活できるから……というのは訓練校教官の言葉だ。
「なるほど、だから俺は【超初心者】なんだな」
「ご、ご理解いただけましたかアルヴィス様!」
同期生のカマッセを思い出す。【初心者】の工程を半日ですっ飛ばし、あっという間に【攻魔導士】に転職を果たした。きっと【初心者】になんの思い入れもないだろう。
冒険者たちが三ヶ月かけて成長した時代は過去のもの。
今、俺が【超初心者】として活躍し名を響かせることが必要なのだ。
【初心者】を忘れるべからず。あっ【初心者】って結構やるじゃん。みたいな。
一人一人の思いは小さくささやかなものだとしても、多くの冒険者に伝われば幸柱神ルクス様も力を取り戻せる……のかもしれない。
ここは一つ、神様が失った自信を取り戻すためのお手伝いと行こうじゃないか!
「よし。エテルナ……【超初心者】の俺がこの泉をまたいっぱいにしてみせるぜ!」
「ほ、本当ですかアルヴィス様!? ……けど……アルヴィス様は【勇者】になりたかったのですよね?」
少しだけ申し訳なさそうにエテルナは眉を八の字にして上目遣いになった。
「今でも【勇者】になるのは諦めてないぞ。ルクス様が俺を【超初心者】にした理由が『柱神としての力を取り戻すこと』にあるなら、それが成った時には契約満了だよな?」
「な、なるほど! まさしくWin-Winの関係ですね! お母様はそうなると見越してアルヴィス様をお選びになったのでしょう。さすが、わたくしのお母様なのです!」
幼女がムフーと鼻息を荒くした。興奮気味にその場でぴょんぴょん跳ねる姿につい、ほっこりとした気持ちになる。
「それに【勇者】じゃなくちゃ人助けができないってこともないだろうしな」
エテルナは両手を組んで祈るように俺を見上げた。
「せめて、わたくしだけでも……これからアルヴィス様を勇者様とお呼びいたしますね! がんばりましょう勇者様!」
「気持ちは嬉しいけど止めてくれ恥ずかしいから」
「ええッ!? ご遠慮なさらずに! 世界の誰が認めなくとも、わたくしはアルヴィス様こそ勇者様だと想い続けますから。わたくしだけの勇者様になってくださいませ♪」
俺の腕に抱きついてエテルナは嬉しそうに目を細める。
迷いの無い信頼が重い。いかに前向きな性格を自負する俺でも、今の実力で【勇者】と呼ばれるのはつらいのだが。
ああもう恥ずかしいよプルンにボコボコにされる実力なんだぞこっちは。
「ほ、ほらエテルナ。俺はこれから【超初心者】の宣伝をしていくわけだから、勇者様はまずいと思うんだ」
「あうぅ……確かにそうかもしれませんね勇者アルヴィス様!」
やめてくれその言葉は俺に効く。わざとか? わざとなのか? 実は内面ドS系幼女なのか?
「勇者は禁止な。それにアルヴィス様っていうのもちょっと変な感じがするし。これからはアルヴィスでいいから」
幼女はブンブンと首を左右に振った。
「そこは譲れません! いいでしょう。このエテルナ……勇者様と呼ぶのは譲歩いたします。ですがアルヴィス様はアルヴィス様なのです!」
目力たっぷりで言い切られてしまった。これ以上何か言うとやぶ蛇になりそうだ。