特別な職位
神殿の内壁には兎のレリーフが等間隔で彫られていた。
柱神には守護聖獣が決められている。幸運と繁栄を司るルクスのそれは白兎だ。
最奥の一段高いところに女神像が建つ。いや、女神と言うにはいささか容姿が幼いかもしれない。
羽衣のような出で立ちだ。女性らしく出るべきところが、なだらかにして控えめだった。
全体的に小柄で像よりも台座の方が大きいくらいである。
純白の大理石の彫像は薄ぼんやりとした白い光を纏って静かにたたずむ。薄暗い聖堂に浮かび上がる姿は神秘的だった。
祭壇の隣に立てられた看板に、こう書かれている。
「ご自由にご契約ください……あと喜捨も歓迎しますお金ください……って」
言い方がダイレクトすぎるだろ! 神秘も神聖さも台無しだ。
看板の根元には箱が設置されていた。ちょうどお金を入れるのにぴったりなスリットが入っている。あまり使われている形跡は無いな。
俺は今日の昼飯代を箱に入れた。
もう一度女神像を見上げる。
どことなく悲しげに見えるのは、神殿を管理する者もなく立て看板一つで案内を終わらせられているからだろうか。俺の昼飯代では喜捨が足りない……と言われると困る。夕飯代は残しておきたい。
六柱神の一柱なのにあまりに扱いがぞんざいだ。
これから契約して力を貸してもらうというのに、少額の寄付とお願いしますと祈るだけなのはいかがなものか。
残念ながら他に奉納できそうな手土産も持ってきていなかった。
「ヨシッ……ちょっと待っててくれ女神様」
女神像に背を向けて一旦聖堂の外に出ると、俺は神殿の前庭で草むしりを始めた。
一時間ほどで除草作業が完了する。それから神殿の柱や外壁に延びつつあった蔦を剥がして回った。
雑草は神殿裏手に集めておく。埋めるにしても乾燥させてからだ。
軽く汗を流して再び聖堂に戻り女神像の前に立った。
自己満足には違いないが、一仕事終えてとても気分が良い。
「次に来る時は花の苗でも持ってくるよ」
一瞬、女神像を包む光がふわっと広がったように見えた。
呼吸を整えてから、俺はルクス様の彫像にひざまずき手を組み目を閉じる。
訓練校で習った祝詞を唱えた。
「我が名はアルヴィス。この身この命この魂を捧げて尽くします。どうか俺……じゃなかった、私に光大神シャイニの力をお授けください」
瞬間――
どこからか透き通った女性の声が響いた。
「一度結ばれた契約は破棄することはできません。冒険者となった者は天命を全うするまで死ぬことを許されない存在となります。それでも構いませんか?」
冒険者がなぜこの世界で特別なのか? それには理由がある。
死亡しても復活することができるのだ。
訓練校でそう教えられたが、いざ実際に神の声(?)で覚悟を問われると気後れしそうになる。
「ああ、やっぱ噂通り……死ねなくなるのか?」
レベルや職位や【アイテムボックス】の力を得ると同時に、普通の人間ではなくなってしまう。
「そうです。どれほど苦しくともつらくとも、己の意思で辞めることはできません。死亡時に経験値の一部を失う代わりに、最後に祈りを捧げた場所へと転移し復活します。仲間から蘇生魔法を受けた場合は転移しませんが、復活に際して経験値を失うところは変わりません」
なんか妙に説明的だな。
「経験値の一部ってのがいまいちイメージできないんだが」
「次のレベルに至るまでのおよそ一割をロストします。時にはレベルが下がることもあるでしょう。なお経験値ロストに関して【初心者】は例外となります」
「つまり【初心者】のうちは死んでもペナルティーが無いからガンガンに攻めまくっても良いってことだな!」
一瞬の沈黙の後、声は続けた。
「あくまで冒険に不慣れな【初心者】のための救済措置です」
「なんで他の職位も救済してやらないんだ?」
命がけで戦った冒険者が死んで経験値を失うのは、罰則かなにかのように思えてならない。
「か、神の加護も無限ではないのです。今はさらに……その……ええと……信仰心を集められない状態で……」
毅然とした声が小さくなっていく。まるで人間みたいな神様だ。
「なんかわからんけどごめん。意地悪な質問をした」
「あっ、ええとこちらこそすみません。こうして冒険者を志す人とお話する機会がずっと無くて……」
「ずっと? 今日はたくさん来たんじゃないか?」
「皆様急いでおられたようで、問答無用で加護だけ欲しいという方ばかりでしたから」
悲しげな声色が反転して明るくなる。
「けれど貴方は違いましたね。あの……どうして冒険者を志されたのですか?」
「俺の故郷を救ってくれた冒険者に憧れてるんだ。強くなって困ってる人を救いたい。誰かを助けるのに理由はいらないって言えるようになりたい」
神の声(?)は沈黙を返した。ああ、なんでだろう。普段から公言しているのに、神様に告白したと思うとメチャクチャ恥ずかしい。早く本題に入らないと羞恥心がやばい。
「だから俺を【初心者】にしてください! お願いします!」
「本当によろしいのですね?」
「そのために今日まで修行してきたんだ」
普通の人間のように生きて、普通の人間のようには死ねなくなる。
それで構わない。冒険者の道を進むと心に決めて、ここまでやってきた。
神の声が響く。
「一つ訊かせてください。貴方は【初心者】を卒業したら、どのような職位につきたいですか?」
「剣と拳と魔法を自在に使いこなす【勇者】……と、言いたいところだけど、まずは【剣士】を目指すつもりだ。その次は攻防の【魔導士】を経由して【格闘士】だな」
俺なりに考えてみたのだが【勇者】の職位は、転職を繰り返すことでたどり着けるんじゃないかと思う。効率が悪い! とは、訓練校の教官からのアドバイスだ。
だからこそ【勇者】を目指す冒険者はおらず、知る人も少ないマイナーな職位なのだ。
以上QED証明終了。
「複数の職位を極めるには人間の寿命は短すぎます。それでも困難な道を進むというのですね?」
「夢に終わるかもしれないけど、その先に待ってる人がいる。約束したんだ……いつか追いついて見せるって」
中途半端な力じゃ誰も救えない。何一つ極めることも成すこともできないかもしれない。
それでも、あの日見た【勇者】の姿が心に焼き付いて離れなかった。
「わかりました」
閉じたまぶたの向こう側で光が爆ぜるように広がるのを感じる。温かい。目を開けて確認しようか迷ったが、この光量でそれをやったら失明するかもしれない。
「貴方になら力を託せるかもしれません」
神の声は独り言のように呟いた。
「お、おう! 【初心者】の力を託してくれ!」
「ええと、少し違うのですが……貴方が希望する【勇者】ではないものの、剣と拳と魔法だけでなくあらゆるスキルを使うことができる職位を、私は与えることができるのです。先着一名様のみとなりますが……」
「あらゆるって全部なのか?」
「初級職位のスキルであればですけど」
「ま、マジでかッ!?」
「大マジですとも」
幸柱神ルクスが【初心者】以外の職位を司っているなんて初耳だった。