お約束は守られますか?
行商人をするようになってから二週間――
俺は【初心者】の神殿にある回復の泉の水に、全裸でぷかーっと浮いていた。
水というか、お湯である。ついこの間まではポタポタと滴るだけだった泉が、温かい湯気を上げてドバドバ湧き出ていた。
元々、回復の泉がある部屋の第一印象は「大浴場」だったんだけど、実際そうなるとは……。
いやさ、いやね。確かに祈ったよ。祭壇の間で喜捨しながら「夜に帰ってきて井戸の水で身体を拭くのは寒いから、お湯が使えるようになるといいなぁ」って思ったけどさ。
ちょうど良い湯加減すぎて文句のもの字も出ねぇよ。
回復の泉改め温泉に肩まで浸かれば百を数えるまでもなく【初心者】の傷は癒え、疲れも吹き飛び体調が万全になった。
全快温泉である。
湯船から虹色の光を放っているのがちょっと怖いが効能は抜群だ。
時々閃光がほとばしって眩しかった。ルクス様の威光……もとい意向と思って入浴中は我慢である。
ここ数日で回復の泉は見違えるほどの湯量を産出するようになり、内装も共同浴場のように変わっていた。
特に【超初心者】として何を成した訳でもないから、きっと喜捨の効果だと思う。
額が上がったのが大きかった。【神魔の塔】で戦って得られる収入は、今やオマケだ。
行商人の効果は絶大だった。金儲けのためじゃなかったのに、パーティーによっては「心付け」だの「手間賃」だのを上乗せしてくれた。
受け取らない方が失礼だと先輩冒険者たちに、半ば押しつけられる格好だ。
道具店での仕入れ値も大量買いをすることで下がっていき、利幅はどんどん大きくなった。
手元に活動資金を残しつつ、もろもろの差額を神殿の賽銭箱にぶちこん……喜捨する。
結果――
温泉が完成したのである。
一応【初心者】の神殿は誰でも出入り自由なはずだが、俺が知る限りやってきたのは英雄剣聖セツナだけ。他に誰かが来る気配は微塵もなかった。
温泉を開業すれば【初心者】以外にも冒険者が来るかもしれないな。
ルクス様に感謝の祈りを捧げてくれるはずだ。
ただそうなると管理する番頭が必要になる。さすがに冒険者と兼任は出来んぞ。
この件は落ち着くまで棚上げだな。
一週間のうち三日を戦闘メインの修行にし、三日は行商人として攻略組の支援をする。
残る一日は休息日に当てて、町で情報収集したりアイテムを買いそろえて冒険や行商の準備をしたり。
とかく金庫は役に立つ。一週間分のアイテムを買い置きできるのがありがたい。
諸々の雑務を終えてもまだ昼過ぎだった。回復の泉で一週間の疲れを取りつつ考える。
温かいお湯に身体を委ねて目を閉じた。流れ落ちる水音が心地よい。
最近は冒険者ギルド内のギスギスとした空気が、いくらか和らいだような気がする。
【神魔の塔】でアイテム販売をするボランティアが本当に増えたのだ。
一方で、ぼったくり価格で販売する冒険者もいるらしい。けど、二十階未満の低層階でそういった連中は相手にされなかった。
他にも剣聖同盟じゃないところだけど、所属人数の多い各クランがアイテムリレー形式の利点に着目したとか。
塔の帰還ポイントがある十階ごとに同クランのパーティーを配置し、本命のパーティーが四十階に到達するまでに足りないアイテムを、随時受け渡して補充する……みたいな。
昔から同じようなことを考えたクランはいくつもあったらしく、報酬の分配比率で揉めるので長続きしないんだそうな。
世の中が少し変わっても、俺とエテルナは相変わらずマイペースだ。
なんとか【神魔の塔】の二十三階にまで進出した。
【攻魔導士】の火炎矢の魔法が攻略の鍵だ。軟体系は良く燃えた。焼いたところなら剣で切ることもできる。
そのうち、刀身に炎を纏わせて斬るようになっていた。
これに十字斬りを組み合わせれば火炎十字斬りだ。
レベルは27になり「到達階数だけで言えば、あのにっくきニーヒルを超えました!」と、エテルナは誇らしげだった。
こらこら守護精霊が冒険者を憎むんじゃない。
ニーヒル――
先日、エテルナには内緒で治療院に見舞いに行ったけど、結局会えずじまいだ。
退院したらしい。以来、ニーヒルの足取りはつかめず冒険者ギルドで顔を合わせることも無かった。
俺に心配されるなんて大きなお世話かもしれないけど、今なら公平なパーティーが組める。復帰の手伝いをこちらが申し出て、受けてくれるかはわからないけどな。
他にも風の噂で剣聖同盟の盟主――英雄剣聖セツナの話を耳にした。
遠き北の地、賢人都市インテリウムで青い肌に白髪の上級魔族と戦闘をしたそうだ。
俺じゃまったく刃が立たなかったザンクを倒す寸前まで追い込んだのは、さすがだよな。
取り逃がしたのが悔やまれるものの、ピンチの冒険者を一人、救ったみたいだ。
一人しか救えなかったなんて声もあるけど、俺は一人でも救えたことがすごいと思う。
「やっぱりかっこいいな……英雄って」
漆黒鎧の冒険者の背中がまぶたの裏に浮かんだ。まだ全然遠くて、いくら腕を伸ばしても届かない。
ゆっくり目を開くと――
目の前に幼女が立っていた。全裸で。
「え、英雄になれますとも! 【超初心者】でもアルヴィス様ならご立派な英雄になれますとも!」
聞かれたーッ! 恥ずかしい独り言聞かれたーッ! いや、公言してるけどさ、こういうタイミングでぼそっと呟いたところを聞かれたのがつらい死にたい!
っていうか待て待て待て待て。
なんで裸なんだよッ!?
「お、お、おい! 入るのは順番って言っただろ!」
泉から七色の閃光が溢れた。幼女のあらぬところをほっそい光の筋が隠している。
光ががんばって隠そうとしているのに、幼女は両腕を万歳させた。エテルナの動きに合わせて光がギリギリのところで上手く追従する。
これなら安心だ。いや、安心なものか!
「え、ええと……心配になったのです! アルヴィス様がなかなか出てこられないので心配になって、そうしたら目を閉じたまま土左衛門しておりまして、これはいけないとお助けしようと」
「なんで脱いでるんだよッ!?」
「お風呂なのですから当然です! 服が濡れてしまうではありませんか!」
「と、ともかく俺が大丈夫だから」
顔を背ければ幼女は「こちらを向いてくださいませアルヴィス様!」と回り込んでくる。どう首の向きを変えようと、後ろを向くか湯船に沈むかしない限り、エテルナの白い肌がチラついた。逃げられないタイプの魔物かお前は!
と、幼女はもじもじと内ももを擦るようにした。
「せっかくですので、お背中を流して差し上げます! 先ほど町の道具店で海藻由来のヌルヌル液体石けんを購入してまいりましたから!」
幼女は手の中から小瓶を見せると栓を開けた。用意してるってことは、最初からそうするつもりだったんじゃないかよ。
「ほらこんなに透明なのがトロトロなので……キャッ!」
自分の足下に液体石けんを垂らして滑ると、幼女は豪快に前のめりになった。
「危ないッ!」
ステンと転びそうになったところを慌てて抱き上げる。
ぷにぷにの肌が密着する。白い。柔らかい。ほのかに桃のような香がする。
幼女は俺の胸にぴたりとぷにぷにほっぺを張り付かせた。
「あ、ありがとうございます。一命を取り留めました。ご恩はこの身をとしてでもお返しいたしますね」
「大げさだな……ええと……」
ぷにぷにぷにぷに。さらに密着感が増す。
「あの……アルヴィス様……わたくし……嬉しくて……回復の泉をいっぱいにするというお約束を果たしてくださって……こんなに溢れてきて……感謝の大洪水なのです」
エテルナは耳まで赤くなりながら顔を上げた。青い瞳が求めるように潤む。
「お礼をしたくても……わたくしにはほかに差し上げられるものは……だから……」
こういうときはその、ど、どうすればいいんだ?
俺の身体をよじ登るようにして幼女が下からのぞき込んでくる。吐息が近い。今にも唇と唇が触れあいそうな距離だ。
と、そのとき――
「アルヴィスはいるかッ!? 英雄剣聖たる我の凱旋だ! 祝え! 歓待しろ!」
良く通る声が神殿の隅々にまで響き渡った。かと思うと、回復の泉のドアが豪快にぶち破られる。
湯船で立ち上がったまま英雄剣聖セツナと視線が合った。




