(剣聖のおごりで食う肉は)美味いか?
目抜き通りで一番の高級料理店を店ごと貸し切り、寝転べるほど大きな円卓にごちそうがずらりと並ぶ。
焼き上げた塊肉から料理人が切り出すローストビーフは、中がほんのりとピンク色をしていた。トリュフ茸を使ったソースは不思議な香りがして、肉の焼き目のところのこんがりとした味とぴったりだ。
めちゃくちゃ美味しい。
こんな肉、食ったことないぞ。食い物で感動したのって初めてかも。
山育ちの俺には海の幸もやばかった。魚も貝もイカやらタコやら蟹やらエビやらも、煮たり焼いたり蒸したり生っぽかったりと調理法も様々で、何を食べても驚きの連続だ。
なんちゅーものを喰わせてくれたんだよ。涙出そうなんですけど?
エテルナも一口ごとに幸せをかみしめているみたいだ。
セツナは料理もほどほどに俺とエテルナの食べっぷりを肴にして、赤ワインをあおる。一本いくらか知らないが、店にある最上級ボトルの三本目を開けたところだった。
「飲みすぎじゃないか?」
「心配は無用だ。どうだ飯の味は?」
「旨すぎて明日からの食事に困るぞ! どうしてくれるんだよ!?」
「ならば稼ぐことだ。おっと童子よ。あまり食べすぎるとこのあとのデザートが入らなくなるぞ?」
「は、はわわわわ! で、で、デザートまで……アルヴィス様、わたくしの心が英雄剣聖に屈服してしまいそうです。くっころなのです!」
まだしてなかったのが逆に意外だ。
本人が認めないだけで陥落しているようにしか見えない。
幼女の口元からよだれが垂れる。テーブルの上にあった布ナプキンでそっとぬぐってやった。本当に食いしん坊だな。
「遠慮せずごちそうになればいいだろ」
「そ、そういうことではありません! おいしいですけど! 負けを認める訳にはいかな……あふぅエビがぷりっぷりぃ♪」
秒速でオチるのやめろ。
まったく、エテルナはいったい何の勝ち負けにこだわっているのだろうか。
食事もひと段落してテーブルが一度片づけられ、お茶とケーキが運ばれる。
「では、ニーヒルに何があったか教えてもらおうか?」
俺は食後の紅茶で口を湿らせてから、あの日の出来事を順を追って話した。
レベル上げのため赤い荒野に向かったこと。
谷間の道で出会った魔族。ニーヒルがチョーカーと鎖で捕まっていた状況。助けようと魔族に不意打ちを食らわせたこと。
ニーヒルの死。エテルナの転移魔法で間一髪のところを逃げ切ったこと。
そして……俺の職位が【超初心者】だということ。
すべてを聞き終えるまでにセツナはワインをもう一瓶空にしていた。
「ふむ。すべての職位の初級スキルを獲得できる【超初心者】に、その守護精霊か。なんだかおとぎ話のようだのぅ」
トロンと目じりを落としたセツナが、ガトーショコラを頬張るエテルナを見つめた。
「な、なんですか!? 疑っているのですか? あ、アルヴィス様例のあれを! 証拠をぶつけて差し上げましょう!」
俺は【ステータスウインドウ】を呼び出した。円卓の天板の上を滑らせるようにして、セツナの手元に放つ。
視線もくれずに女剣士はキャッチした。
「白枠か。なるほど【初心者】系というのは本当のようだなアルヴィスよ」
「そういえば気になってたんだけど【ステータスウインドウ】の枠の色って個人差があるのか?」
セツナは俺の【ステータスウインドウ】を手にして顔の辺りを仰ぐ。
「訓練校では教えぬことだから知らぬか。基本的に職位の系統で枠の色は決まっておる。柱神にもそれぞれ司る色が存在するのだ。【剣士】は赤獅子の赤。【初心者】は白兎の白といったところだ」
エテルナが「紫は蛇で【攻魔導士】と【防魔導士】です。緑は鷹で【斥候士】と【弓術士】になります。青だと狼で【軽戦士】と【格闘士】で、黄色が牛で【騎士】や【重戦士】なのです!」と補足した。
一息で言い切って幼女はフーフーと肩で息をする。セツナと張り合ってるみたいだ。
ともあれ、六柱神にはそれぞれ決められた色があるんだな。エテルナが白兎のフードをかぶっているのも幸柱神ルクス様の色だからっぽい。
俺の故郷を救ってくれた漆黒鎧の冒険者は、どんな【ステータスウインドウ】の色をしていたんだろう。
見せてもらえば【勇者】のヒントになったかもしれない。
ワイングラスを傾けてセツナが俺の【ステータスウインドウ】に視線を走らせる。
一通り読み終えるとパタンと伏せた。白枠のそれはふっと空気に溶けて消えた。
先ほどまでのほろ酔い加減から一転、真剣な顔つきでセツナは俺に告げる。
「お主は弱いな。まだまだ未熟だ。この程度で上級魔族に喧嘩を売るなど片腹痛い」
「改まった顔で言われると余計に刺さるからやめてくれ」
弱いのは自分が一番よく知っている。
「しかし、生き残った。ただ逃げることもできたというのに、魔族に一矢報いたのは称賛に値するぞ。もしお主がいなければ、今もニーヒルはその魔族に生きたままいたぶられ続けていただろう。本人に代わって礼を言う。ありがとう」
グラスをテーブルに置いてセツナは微笑んだ。
「俺は自分の心に従っただけだ。それより、こっちこそごちそうさまでした。ほら、エテルナも」
「ご、ごちそうさまです」
幼女と一緒にぺこりとお辞儀をする。顔を上げるとセツナは自身の顎先を指でつまみながら一拍置いた。
「しかしお主が遭遇した魔族の姿は、青い肌に白髪だったというが……チョーカーと鎖を使うというのは……ふむ。その魔族の名前はわかるか?」
「ニーヒルと話してる時に隠れて聞いてたんだけど、ザンクって名前だった」
「ザンクか……ほかのクランにも注意喚起をしておこう。そやつがなぜニーヒルを捕縛していたかわかるか? 冒険者を倒して力を得る魔族にしては、あまりに『らしくない』行動だ」
殺さず痛めつけながら生かし続けて、確かそう――
「ニーヒルが蘇生魔法を覚えるまでどうこう……みたいな感じだったんだけど、俺にはさっぱりだ」
エテルナが胸元でパンっと手を合わせた。
「そうですそうです! あの失礼な男を育てようとしていたみたいなのです。魔族が冒険者の育成なんておかしな話ですよね?」
俺とエテルナの報告にセツナは片手で頭を抱えた。
「たしかにおかしい。ますますわからん! 外見的にはあいつのようだが……一致せぬ」
「何を悩んでるんだ?」
セツナは一度咳払いをしてから続ける。
「魔族というのは位が上がるほど、さまざまな固有スキル……連中の言葉を借りれば魔技を持つようになる。聞いた限り鎖やチョーカーは魔技によるものだ。そのザンクという輩はほかにも別の魔技を使わなかったか?」
ニーヒルに何か話していたような気がするな。
「使っていたかはわからんけど、確かゴミだかカスみたいな……あと【初心者】狩りがどうって」
瞬間――
巨大な円卓が目の前で天井近くまで跳ねとんだ。セツナが蹴り上げたのだ。あまりの速さに何が起こったのか理解が追い付かず、俺もエテルナも動くことができなかった。
席を立ち間合いを詰めたセツナの腕が俺の襟首をつかみ上げる。
「本当にそう言ったのかッ!? 嘘だったらお主を許すわけにはいかぬぞ!」
鬼気迫る顔でセツナはすごむ。俺はつかまれた腕にそっと手を添えた。
女剣士と視線をぴたりと合わせる。
「本当だ」
殺気と怒気を振りまくセツナだが、不思議と恐怖はない。
彼女の怒りは俺やエテルナに対してではない。もし対象があるのなら、それはセツナ自身の内側に向けられているように見えた。
ハッと目を丸くしてセツナは手を放す。
「ものに当たるとはなんたる不覚。我を失うとはまさにこのことだな。すまぬことをした」
「驚いたけど気にしないでくれ。謝るならお店の人だ」
蹴り飛ばされたテーブルはひっくり返り、店内が嵐でも吹き荒れたような散らかりぶりだ。
「すまぬ」
下唇を嚙みながらセツナは目に涙を浮かべる。超然としていた英雄剣聖が別人みたいだ。
「なあ【初心者】狩りって、十年前にあった事件だよな?」
魔族による襲撃で62期生が殺されてしまった惨劇だ。そして――
「我はその時の唯一の生き残りだ。襲撃してきた魔族の姿は今も目を閉じれば瞼に焼き付いている。青い肌に白髪のオーガ……ずっと追ってきたが、ついに尻尾を掴んだぞ。どうやらそのザンクこそ我が打倒せねばならぬ相手のようだ」
セツナが拳を握りこむ。その手からぽたりぽたりと赤い雫がしたたり落ちた。
修理費と称して金貨の詰まった革袋で支払いをすると、店を出たところでセツナは言う。
「今日はよく話してくれた。お主のおかげで宿敵にたどり着けるやもしれぬ。この借りを返したいのだが、何か希望はあるか? 武器や防具なら【神魔の塔】で手に入れた鑑定済みの一級品を贈呈しよう」
「それならええと……今度、時間がある時でいいから稽古をつけてくれないか?」
セツナの表情がふっと柔らかいものになった。
「レア武器がいらないとは無欲だな。良いだろう。では【ステータスウインドウ】を出せ」
「お、おう」
言われた通りに白枠を出すと、セツナが赤い【ステータスウインドウ】を開いて重ねた。それぞれが発光して消える。
セツナは満足気に笑った。
「これで連絡を取り合えるようになったぞ。稽古を付けられそうな時にはこちらから連絡する」
「よ、よろしく頼みます!」
「もし二人がまたザンクと遭遇したら、絶対に手出しせず目撃地点を連絡するように。良いな?」
「わかった。そうするよ」
「ではな。いずれまたこの空の下で」
聞き間違いか? 呼び止めようかと思ったのだが、セツナの姿は人通りの多い目抜き通りに吸い込まれると、スッと消えてしまった。
隣でエテルナが俺の服の袖をくいくい引く。
「どうかなさいましたかアルヴィス様?」
「あ、いや別になんでもないんだ」
「変なアルヴィス様なのです。よろしいですか? 何かあれば、わたくしに逐一相談してくださいね。遠慮など不要なのですから。頼ってください。甘えてください。よろしいですね!」
腰に手を当て幼女はぷっくりと頬を膨らませた。あれ……なんか、怒ってる?