それは柔らかく大きくたゆんとした双球だった
「行くぞエテルナ」
「あっ! お待ちになってくださいませ~!」
幼女を引き連れ薄暗い聖堂に足を踏み入れる。
女神像の前に背の高い女剣士の姿があった。
鼻筋の通った整った顔立ちの美人だ。大きな黒目はらんらんとしていた。目力がすごいな。
瞳の色と同色の髪は長くつややかだった。後ろで一つにまとめている。
東方風の格好……確か着物ってやつだっけか。訓練校に同じような服装の教官がいて「変わった服ですね?」と質問したら、丁寧に東方装束のことを教えてくれたのを思い出す。
女剣士の着物姿は大胆に着崩されていた。
肩口から胸の上半分くらいまで開けっぴろげで、四捨五入すると上半身裸だ。
胸の辺りに小玉スイカほどの球体が二つ、今にもこぼれ落ちそうに押し込められていた。隠してくれよ目の毒だ。
目線を下に向ける。
きゅっと引き締まった腰に帯が巻かれ、反りのついた刀が挿してあった。
見るからに【初心者】の身なりじゃない。
黒髪の美人女剣士は突然両腕をばっとあげた。真っ直ぐ俺に向かってくる。
「おお! その赤い髪に【初心者】丸出しな駆け出し冒険者の服装! お主がアルヴィスだな?」
身構えて腰を落とした。うお! 俺よりも頭一つデカいぞ。
女剣士はお構いなしだ。ぎゅっと抱きしめられた。
結果――
中腰がちょうど良い高さになってしまい、弾力のある球体で俺の顔面はもちっと挟まれた。
「やめてくださいアルヴィス様を誘惑しないでください! ああ! アルヴィス様しっかりしてくださいませ! 負けてはなりません!」
エテルナが女剣士の腕を掴んで引っぺがそうとするのだが、幼女が頑張るほどぐいぐいと締まっていく。
苦しい。なのになんだか良い匂いがして心地よい。このもっちりぷにぷにな感触はプルンなんかの比じゃ無いぞ。
女の声が聖堂に響いた。
「なんだ童子よ? 我に何用だ?」
「あなたに用事はありません! わたくしの大事なアルヴィス様をお返しください! そして速やかにこの神殿からご退場願います!」
「キャンキャンわめくな。せっかくこうしてアルヴィスを見つけたのだ。話くらいさせてくれてもよかろう」
俺は女剣士の腕に平手で三回タップした。逃げようにも女剣士の馬鹿力で身動きが取れんのだ。顔面を肉と肉で圧着されては呼吸もままならない。
「ん? おっと少々力が入ってしまったな」
女剣士は俺を解放した。ゼーハーと肩で息をして対峙する。
やっぱりデカいな。色々と。背の高さもあるが、正対するとその胸の膨らみに視線が吸い込まれてしまう。
と、不意に俺のすねをエテルナがコツンと蹴り上げた。
「痛ッ! いきなり何するんだよエテルナッ!?」
「アルヴィス様ったら鼻の下がのびのびしているのですから、こうして気合いを注入してさしあげたのです」
ムッと幼女は抗議の眼差しだ。さらに続ける。
「わたくしの知らぬ間に、どこでお知り合いになられたのですか?」
俺はエテルナと謎の美人女剣士の間で、視線を行き来させた。
「いや、知らない人だけど」
言った途端に女剣士の柳眉がつり上がった。
「なにぃッ! アルヴィスよ! お主、我を知らぬと申したか!?」
「申したぞ。というか、なんで俺のことをご存じでやがりますか?」
女剣士は下から胸を持ち上げるように腕組みをすると、小さく息を吐いた。
「知らぬというなら仕方あるまい。その耳をよくかっぽじって拝聴するがいい」
なんとも偉そうな奴だ。
女剣士は俺の顔をビシッと指さした。
「我が名はセツナ。剣聖同盟の盟主にして【剣士】の特別上級職位【剣聖】だ!」
決まった――と、言わんばかりのドヤ顔である。
って、今、この人なんて言った?
俺は膝を折ってエテルナと同じ視点に高さを合わせた。幼女に耳打ちする。
「なあ、聞いたかエテルナ。この人、自分を英雄剣聖だと思い込んでる残念美人みたいだぞ」
「美人かどうかはともかく大変残念な方ですね。しかも真の実力者にしか与えられない特別上級職位を自称するなんて、無茶も良いところなのです。先ほどはつい怒ってしまいましたが、今はむしろ哀れみの気持ちが胸からわき上がってまいりました」
女剣士の表情が険しくなった。
「誰が残念だ! ええい、そこまで言うなら仕方あるまい。見るが良い!」
疑いの目を向ける俺と幼女に向けて、セツナは手元に【ステータスウインドウ】を浮かべると投げてよこした。
赤みがかった枠のそれを確認すると、レベル44の特別上級職位【剣聖】という、疑いようのない表記が並んでいた。
腕力と敏捷性がほぼ限界まで上がりきった超攻撃型のステータスグラフ。名前欄にもまごうこと無くセツナとあった。
「え、マジで?」
「改ざんの余地などあるまい?」
「でもなんで……女の人なんだよッ!? 剣聖って言うからもっとこう渋くてごついオッサンだと思ってたのに!」
「女で何が悪いかッ!? というかだな……お主とは十歳ほどしか離れておらぬ。まさかアルヴィスよ……我をおばさんなどとは言うまいな?」
俺の手元にあったセツナの【ステータスウインドウ】がパッと消失する。
こいつが……いや、このお方がララルクスの町でも最も有名な冒険者の英雄剣聖セツナ……だって?
「アルヴィス様! 早くこのおばさんにはお引き取りねが……」
俺はそっとエテルナの背後に回り込むと、しゃがみつつ彼女の口を手で覆った。
いくら相手が前振りをしたからといって、秒で乗っかるんじゃないよ守護精霊。
だいたいお前も英雄剣聖セツナについて教えてくれた時に、きちんと様を付けて呼んでいただろうに。手のひらくるくるか?
俺は女剣士をちらり見る。
「え、ええとですねこのちびっ子は生まれて間もないというか、こう見えて生後一ヶ月未満でやがりまして」
「ふむ、なるほど。では我をおばさん扱いするのも仕方あるま……そのような言い分が通じると思ったかッ!」
お手本のようなノリツッコミである。
女剣士は腰の刀の柄に手を掛けて抜刀の構えをとる。その動作があまりにも流麗で俺はまたしても女剣士に視線を奪われてしまった。
「綺麗だ……」
「ん、や、藪から棒に何を言うのだアルヴィスよ」
「構えるまでの動作が淀みなく流れる水みたいですごく綺麗だったから……つい」
セツナは抜きかけた柄から手を離すと小さく咳払いを挟んだ。
「ふむ。今回はその正直さに免じて童子の無礼は忘れてやろう」
エテルナが首を左右にぶんぶん振って俺の拘束を脱すると吠えた。
「そちらこそ無礼ではありませんか! わたくしは幼い姿に見えても守護精霊なのですよ?」
「守護精霊? なんだそれは?」
「特別な職位に任じられたアルヴィス様を導く神の使いなのです」
「お主のような童子がか? そのような未成熟な肉体で?」
「だ、だ、誰が慎ましやかなお胸ですって!」
エテルナの顔が真っ赤になった。いや、胸の話じゃないだろう。
睨み合う女剣士と守護精霊。いったい剣聖様は何をしに【初心者】の神殿にやってきたんだろうか?
二人の間に割って入る。
「まずはセツナさんの用件を訊かせてくれ……ください」
スッと視線をこちらに向け直して女剣士は口元を緩ませた。
「つたない言葉遣いになるくらいなら普段通りで構わぬぞ。セツナと呼べ。これは命令だ」
「お、おうセツナ」
寛大なのか傲慢なのか、たぶん両方なんだろうな。
隣でエテルナが「初対面なのにアルヴィス様になれなれしくしないでください! だいたい、どうしてアルヴィス様のお名前を知っているのですか?」と口をとがらせた。
確かにそうだ。さっきからの疑問だが、なぜ俺の名を?
腕を組み直してセツナは告げる。
「ふむ、良いところに気づいたな童子よ」
「わ、わたくしはエテルナです! 童子ではありません!」
「ではお主も我をセツナと呼ぶが良いぞエテルナ」
「親しくなる予定はありません! お客様的な意味合いを込めてセツナ様とお呼びいたしますね!」
「ぐぬぬ……頑固な童子……いや、エテルナよ。まあ我に関してはそれも良かろう。しかしアルヴィスについても親しくなるつもりがないから、様付けなどしているのか?」
「ち、ち、違います! アルヴィス様へのそれは心からの敬愛なのです!」
両手を挙げて小さな身体を大きく見せようとするエテルナの姿は、コアリクイ系の魔物の威嚇そのものだった。
弱い! なんつーかすごく弱そうだぞ。
女剣士の口元がますます緩む。
「なるほど、さてはお主……アルヴィスを好いておるな」
「あ、あああ、むきょ、むきゃああああああ!」
幼女は甲高い悲鳴を上げた。今までに見たことが無い発狂ぶりだ。
「大丈夫かエテルナ?」
「ちょ、ちょっとお庭のお花の様子を見てまいりますうううう!」
言い残すと幼女は両手で顔面を抑えながら、聖堂の正面入り口から外に飛び出していった。
「あっ、おい待てって……様子も何も苗はこの前植えたばっかりだろ」
英雄剣聖と二人、聖堂に取り残されてしまった格好だ。
あのえーと……どうしよう。
「お主はあの童子が好きか?」
「おう! 好きだぞ。心配だからちょっと様子を見てくる」
エテルナを追いかけようとしたところで、セツナに肩をぐいっとつかまれた。
すごい腕力だ。どれだけ力いっぱい踏ん張ってもびくともしない。
「十年前の惨劇で結界が強化されて以来、町の中は安全だ。それより話をせぬか?」
「エテルナがいると話せないようなことなのか?」
「童子がいては賑やかすぎて脱線しがちだからな。少し二人で話したい」
セツナがじっと俺を見る。
値踏みされているみたいな気持ちになった。
「神殿じゃなくて俺に用事……なんだよな?」
「うむ。先日はニーヒルが世話になったな。その礼もかねての訪問だ」
女剣士の表情が引き締まる。彼女の口からどうしてニーヒルの名前が出たんだ?
「セツナはニーヒルと知り合いなのか?」
「知り合いというか……あれはそうだな……我の熱烈な信奉者だった」
凜々しい顔つきのままセツナの眉が八の字を描いた。
「だった?」
「少し長くなるが聞け。我が剣聖同盟は【神魔の塔】攻略のため少数精鋭のクランを運営しているのだ」
「クランってなんだ?」
「むむ! そのようなことも知らぬのか。クランとはパーティーではないが仲間の集まりのようなものだ。お主も周囲に仲間が増えれば、いずれ結成するなり誰かのクランに入ることになろう」
パーティーどころかペアすら組んだことのない俺には、いまいちピンとこない。
「じゃあニーヒルもセツナのクランにいたのか? けど、あいつは【剣士】じゃないよな」
女剣士はフフッと笑みをこぼした。
「誤解するでない。同盟に【剣聖】とついてはいるが、我が力を認めた冒険者であれば職位は問わぬ。ニーヒルはずっとクラン入りを熱望していたのだ」
「入れてやらなかったのか?」
「レベルは十分だった。が、術士としては経験不足。パーティーを組んだところでレベル以上の力の差に絶望すると思い、断り続けてきた」
「厳しいんだな」
「でなければ務まらぬ。結果、あやつは『見返してやる! 認めさせてやる!』と我に宣言して去っていった」
ニーヒルが【神魔の塔】を攻略して名を上げるみたいなことを言っていたのも、英雄剣聖セツナに追いつき追い越そうとしていたからなんだ。
セツナはため息をついた。
「有言実行したならばそれも良しと思ったよ。だが、あやつは行く先々でトラブルを起こし続け、冒険者ギルドで新人相手にもめ事まで……その相手がお主だったというわけだ」
女剣士がビシッと俺の顔を指さした。
「俺も勉強不足だったけど、文句を言われる筋合いはないぞ」
「わかっておる。いや、むしろ我がニーヒルを拒んだことで迷惑をかけたな。謝罪する」
セツナは腕を下ろすと姿勢を正してからスッと頭を下げた。
先ほどから一挙手一投足のどこをとっても美しい。ピンと芯が入っている感じだ。
「え、えっと、そういうのはもっと困るっていうか」
「困るでない。こちらも困るではないか」
ゆっくり頭を上げて女剣士は続けた。
「さて、本題はその後のことだ。ニーヒルがララルクスの町から消えて幾日かして、あやつは【神魔の塔】の前に建つ光大神シャイニの像の前にて復活した。それはもうひどい有様だった。今は町の治療院で養生している」
「そんなに怪我がひどいのか?」
セツナは馬のしっぽのように長い後ろ髪を左右に揺らす。
「肉体の負傷は治癒魔法で回復したが、折れたのは心だな。【防魔導士】は独りでは稼ぎにくい。ソロ修行に換算しておよそ一年分の経験値を失ったショックに加えて、よほど恐ろしい目にあったらしく目が完全に死んでいた。うわごとのようにお主のことばかりつぶやいておったのだ」
セツナが俺の名前を知っていたのはニーヒル経由だったんだ。
女剣士は音もなくスッと距離を詰めると俺の右手を両手で包む。
「ニーヒルに何があったか教えて欲しい」
「それならお安い御用だ」
セツナは握った手をぶんぶんと上下に振った。
「よろしく頼むぞ。そうだ! 立ち話もなんだからな。話がてら童子も一緒に飯でも食おうではないか!!」
「に、肉は食えるのか!?」
「好きなだけごちそうしよう。はーっはっはっはっはっは!」
エテルナはセツナを苦手にしてるっぽいけど、肉の誘惑には抗えないだろうな。
セツナが握った俺の手をそっと放す。
女剣士とともに神殿を出る。前庭で膝を抱えて植えたばかりの花の苗を指でつんつんしながら「ばかばかばかばかアルヴィス様の浮気者」と口をとがらせるエテルナと合流した。
「浮気者っていうのは恋人がいる人間がなるものだろ?」
「あひいいいい! いつの間に! もうやだ殺してください恥ずかしくて生きていけません!」
フードの紐をぎゅっと絞って幼女は顔を隠してしまった。
「猫の尻穴みたいになってるぞ」
「あうぅ! わたくしなど猫ちゃんのお尻の穴くらい狭い度量の持ち主なのです。胸もお尻も成長途中で胴はすっとんとんですから」
なにやら落ち込んでるみたいだ。
「そんなことないって。俺はエテルナのおかげで今日までやってこられたし、これからも一緒にがんばっていきたいと思ってる」
「ほ、本当ですか?」
「嘘をついてどうするんだよ。ほら、肉を食べに行くぞ」
「ええっ!? ですが、そのようなお金の余裕は……」
「全部セツナ持ちだ」
キューっと閉じていたフードの口がぱっと開いた。
「お、お肉をごちそうしたくらいで、わたくしが心を許すと思ったら大間違いですからね!」
怒っているのにエテルナの表情はゆるゆるだ。言われたセツナも「愉快な童子だな」と笑ってみせた。
なんだか強いおっぱいが出てきてしまった……