来訪者は突然に
オーガの魔族ザンクと遭遇してから三日――
ララルクス近隣で魔物を倒して金策しまくり、神殿の前庭に植える花の苗を買ってエテルナと二人で植えてみた。
綺麗な花が咲けば幸柱神ルクス様も喜ぶんじゃないかな。
それから時間を作って、前庭や祭壇の間の掃き掃除をしてみたり。
ルクス様の像がある祭壇の間で、賽銭箱が喜捨を求めているような気がするけど……見なかったことにする。活動資金は必要だからね。仕方ないね。
回復薬や毒消し薬を買い込んで準備を整えた。
後日改めまして、いざいざ西の荒野に再挑戦だ。
エテルナの転移魔法は発動した地点を記憶することができるので、あの日には戻れないが、あの場所には戻ることができる。
【初心者】の神殿の一室で、守護精霊は虚空に向かって正拳突きを放った。
「ちぇすとお!」
ガコン! と、鋭い打突音を響かせて虚空にぽっかり穴が開く。
幼女は拳をさすりながら俺に報告した。
「お待たせいたしました。こちらの穴から先日の地点までひとっとびです」
「なんか痛そうだな。大丈夫かエテルナ?」
「空間に穴を開けるくらい守護精霊のわたくしには簡単ですとも!」
拳にふーふーと息を吹きかけて少しだけ涙目だった。
多用させない方がいいのだろうか?
「手……めっちゃ痛そうだけど」
「心配ご無用! これくらい平気ですとも! わたくしの転移魔法は一般的な【防魔導士】の魔法よりも強力なので、気合の入り方も並々ならぬものがあるのです!」
何がどう特別なのか、俺にはさっぱりだ。
幼女の青い瞳がじっとこちらを見上げて続ける。
「それよりも、出た先に魔族がまだいるかもしれません」
「さすがに三日空ければ大丈夫だろ」
幼女は伏し目がちになる。
「本来であれば、わたくしが先んじて向こう側を偵察したいところなのですが、この転移魔法のゲートは、わたくしが通ったところで消えてしまう仕様なのです」
「なら、なおのこと俺が先に入らないとな」
俺は虚空にぽっかり開いた穴に飛び込んだ。エテルナが追ってくる。
この先、ザンクのような魔族と出くわすこともあるだろう。慎重さも大事だけど、怖がってばかりじゃどこにも進めない。
穴を抜けると目の前が暗転し、すぐに視界が広がった。
出たのは見覚えのある赤い渓谷の道だ。
たしかエテルナが転移魔法を使ったのは壁際の巨石の陰だったはずだけど……振り返ると先日身を隠した巨石が真っ二つに割れていた。
自然にこうなったという感じがしない。
割れた岩の断面をエテルナがペタペタ触る。
「最近割れたみたいです。雷でも落ちたのでしょうか?」
「この前遭遇したザンクってやつの仕業かもな」
幼女が眉間にしわを寄せてしかめっ面になった。
「うっ……だ、大丈夫ですともアルヴィス様が成長した暁には、こんな岩なんて真っ二つどころか砂ですよ砂! 木っ端みじんの上を行きますから!」
巨石を粉々にするとは……未来の俺よがんばれ。
ともあれ、現状で上級魔族と戦うのは無理だと改めて理解した。
ザンクの姿は見られず、ほっと一安心だ。
俺はエテルナを連れて赤い荒野でレベル上げを再開する。
一日がかりで回復薬や毒消し薬を使い切り、レベルは16になった。急成長スキル様々だな。
赤い荒野から砂漠地帯の入り口にまで達する。今日の修行はここまでだ。エテルナの転移魔法の穴を岩陰に隠すように設置して【初心者】の神殿に戻る。
いつでも戻れるって安心感が段違いだな。
幼女がさっそく回復の泉に向かっていった。実は、出る前にコップを置いておいたのだ。
「た、大変なのです! 一大事ですアルヴィス様!」
「まさか泉が……」
枯れちまったのか!?
慌てて泉の間に向かう。
回復の泉に変化が起こっていた。ぽとりぽとりと落ちていた虹色の滴が、今日は糸のようにツーッと垂れている。
コップで受けきれず泉の水が溢れていた。
エテルナは瞳をくりくりっとさせて俺に抱き、鼻息荒く声を上げる。
「ご覧下さい! まるで滝のように流れ落ちているではありませんか! 虹汁が!」
「虹汁って公式な名称だったのかよ? いやいや、滝ってのはさすがに言い過ぎだろ」
幼女はぶんぶんと首を左右に振る。
「過言ではありません! アルヴィス様の活躍によって【超初心者】の名声が高まったみたいです! 感謝の心が泉より湧き出でた成果ですよ!」
嬉しそうにウキウキと虹色の水が満杯なコップを手にしてエテルナはご満悦だ。
俺が【超初心者】だと知る人間は少ない。その中で感謝してくれそうな奴はというと……ニーヒルの姿が思い浮かんだ。
「これからは回復待ちの時間が減りますね! ささ! ぐいっと一杯!」
「ありがとうエテルナ。いただきます」
コップにギリギリまで汲んだ回復の泉の水を飲み干した。幸柱神の加護が全身に染み渡り体力全快だ。
とはいえ、回復の泉で体力が戻っても腹は減る。
「よし! 飯だな!」
夕食はララルクスの町に出て二人で摂ることにした。
【神魔の塔】の攻略組で賑わう町は、夜中でも開いている店が多い。
食事が出来る安酒場に落ち着いた。
肉が食べたい! けど我慢我慢。明日の修行のためにも、回復薬代は残しておかないとな。
テーブルにつくなり幼女が下を向く。
「せ、せめてアルヴィス様はお肉を食べて下さいませ。わ、わたくしは守護精霊なのでお水だけで結構ですから」
「変なところで気を遣うなちびっ子」
「ち、ちびっ子じゃありませんけど! 全然お腹とか空いてないんですけどぉ!」
言いながら幼女のお腹が「クキュルウウウ!」と悲鳴を上げた。
無理するなって。
「食べなきゃ大きくなれないぞ?」
「お、大きい方がよろしいのですね!」
「おう! だから大きくなれよ!」
「そ、そういうことでしたら、わたくしもいただきます!」
二人で食卓を囲んで食べるパンとスープは心まで温まった。
すがすがしい小鳥たちのさえずりと、採光用の小窓から射す太陽の光で目が覚める。
宿代が掛からないのはいい。ありがたい。
けど、神殿の石床で雑魚寝だと身体の節々が毎朝バッキバキになるのだ。
隣で猫のように丸くなっていた守護精霊が、床にほっぺたをつけたまま目を開けてじっと俺を見る。
「ふかふかでぐっすり眠れるベッドを買いましょうアルヴィス様! ただ、お金は無いので二つベッドを買うのではなく、少し大きめのベッドを一つだけ購入して二人で使うと良いと思うのです!」
「ルクス様に怒られないか?」
「お、お母様にはアルヴィス様に尽くすよう言われておりますから、承認とかお許しを得ずとも大丈夫です。わたくしの心の準備はできておりますので」
幼女は伏し目がちになって頬を赤らめた。
「さすがに個人が神殿にベッドを置くのはまずいだろ」
エテルナの目がまん丸くなる。そのまま視線を斜め上にそらして彼女は言う。
「あっ……そういうご心配なのですね。ええと、他の人間ならいざ知らず、この世に【初心者】のすばらしさを説く伝道師たるアルヴィス様なら問題ありません! お庭だって造園してますし小部屋の一室の模様替えくらいなんとでもなりますとも」
守護精霊はフンスフンスと鼻息を荒くした。
「なんとでもなるのかよ。しかしなぁ……花の苗と違って家具って高いんだよなぁ」
ララルクスの町は【神魔の塔】の攻略組……レベル30以上のAランクな冒険者ばかりで、王都よりも物価が高い。
店売りのアイテム類も軒並み高品質ものばかり。
ギルドオークションにかけられるレアアイテムや嗜好品になると、目玉が飛び出る超高級品ばっかりだ。
木工の盛んな翠森郷デクニクスまで足を伸ばせば、安くて良い品に出会えるかもしれない。次はレベル上げがてら、北西の大森林方面に足を伸ばしてみようか。
なんてことを考えていると――
「頼もおおおおおおおおおおおおおうッ!」
すがすがしい朝をぶち壊す大絶叫が【初心者】の神殿に響き渡った。
デカい声に驚いて小鳥がさえずりながら逃げていく。
「どなたか居られぬかああああああッ!?」
圧がすごい。
声はルクス様の女神像が祀られた祭壇の聖堂からみたいだ。
少しハスキーがかってるけど、女の人の声っぽいぞ。俺はエテルナと顔を見合わせる。
「ど、ど、どうしましょうアルヴィス様!? 二人きりの愛の巣……もとい神殿に侵入者なのです」
「侵入もなにも神殿の門戸はみんなに開かれているものだろ。お前は【初心者】の守護精霊なんだし、俺ばっかりに構ってないで新しい【初心者】も歓迎しないとな?」
「あうぅ……仰る通りですけどぉ……」
幼女はフードのウサ耳を両手で押さえて頭を抱えた。口を尖らせほっぺたを膨らませる。なんで不満気なんだよ。せっかくの貴重な来場者だろうに。
とりあえず聖堂に向かおう。これから【初心者】になる新人冒険者が戸惑っているのかもしれないしな。