烈風! オーガとの邂逅
風に乗って男の声が響く。
「もう無理だ! 休ませてくれッ!」
聞き覚えのある悲鳴はだんだんと近づいてきた。岩陰からそっと声のする方をのぞき見る。
風が止み砂煙が落ち着く。赤い砂塵から浮かび上がるように、先日、冒険者ギルドで一悶着あった【上級防魔導士】が姿を現した。
顔面をパンパンに張らせている。口の中を切ったのか血がにじんでいた。
壮麗なローブはズタボロに破かれ、立派な長杖も「く」の字に折れている。
ニーヒルだった。
目を見開き恐怖に歪んだ表情――その背後に巨体が控えていた。
青い肌に白い髪のオーガだ。鋭い牙を光らせてオーガが告げる。
「なっちゃいねぇなぁ人間よぉ。せっかくオレ様がレベル上げを手伝ってやってんのに、だらしねぇ」
「もう許してくれ……魔力切れなんだ……」
ジャラリと鎖が鳴るとニーヒルの身体がぐいっと後方に引っ張られた。
ニーヒルの首には赤いチョーカーが付けられている。鎖はそのチョーカーとつながっているようだ。
「あ、あれふぁこのまへの」
ちょおま喋るなって!
慌てて幼女の口を塞ぐ。オーガがぐるりと周囲を見回した。
「今なんか言ったか相棒?」
「はひ? な、何も」
オーガはニーヒルの身体を引き寄せると顔面に拳を叩きつけた。
「ゲハッ!」
「おっとすまねぇな。つい殴っちまった」
「こ、殺して……くれ……」
「いいのかぁ? レベル33で死んだら取り返すのにどれくらいかかるか考えてみろや? それよりオレがこれから不死属性魔物だらけのピラミッドにつれていってやるからよ。得意だろそういう連中? 蘇生魔法を覚えるまで楽しいレベル上げだぜぇ?」
「う、ううぅ……」
「蘇生魔法が使えるようになりゃパーティー組んでくれる人間もいるかもな? ひゃーっはっはっは!」
ニーヒルを鎖で拘束しているのはいったい何者なんだ? 見た目はオーガっぽいけど、雰囲気からしてもっとヤバイ感じがする。
と、俺の手のひらをエテルナがカプカプと甘噛みした。ん~くすぐったい! 緊張感どこいった。
そっと離すと幼女は小声で俺に言う。
「あれは恐らく上級魔族なのです」
「普通のオーガとは違うみたいだな」
「魔物の中で同族や冒険者を倒した個体が、力を得て魔族に進化するのですが……」
「上級ってことは普通の魔族よりさらに強いってことだな」
エテルナは静かに頷いた。
白髪のオーガは犬の散歩でもするようにニーヒルを歩かせた。
二人の姿がだんだんと近づいてくる。
が、ニーヒルがバタリと倒れた。距離にして五メートル。こちらは岩陰に隠れているけど、いつ気づかれてもおかしくない。
息を殺して様子をうかがう。
「オラ立てや人間!」
「せ、せめてそこの岩陰で休ませてくれ」
ええっ!? マジか。
「ん~? 口の利き方がなってねぇなぁ」
倒れたニーヒルの腹部をオーガは浅く蹴り上げた。
「ゲハッ!」
「おっと死ぬんじゃねぇぞ。ったく、冒険者ってのは何度殺しても復活しやがるくせに、死ぬ時はあっさり死にやがるからなぁ」
「グッ……お願いします……ザンク様……」
ニーヒルは涙をボロボロとこぼして懇願する。
逃げられない。かといって殺されることもなく白髪のオーガ――ザンクに従わされているんだ。
エテルナが声を発さず俺に身振り手振りで訴えた。要約すると「ここに来ちゃいますやばいですよ! 鉢合わせとかまずすぎますから!」といったところだ。同感だぜ。
ザンクと呼ばれた魔族はニーヒルの髪を掴んで持ち上げる。
「やっぱ死ぬか? さっき殺してくれって言ったよなぁ?」
「ヒイッ!? そ、それは……」
「潰されてオレの経験値になるよりもよぉ……オレに飼われた方がオマエにゃ良いことずくめだぜ? この首輪と鎖が付いている間はオレが守ってやるんだからよぉ」
「もう三日も寝てないんだ。食事だってしてない。身体だってボロボロだ」
「けど死なねぇだろ? こいつはそういう魔技だからな。休憩なんて必要ねぇんだよッ!」
ニーヒルの身体を投げ捨ててオーガは鎖を引く。地面に伏したままローブの男は引きずられた。
「なんだぁ? 立って歩けねぇんならもう少し殴っておくかぁ?」
「ひ、ひいっ! ま、待ってください! あ、ある、歩きます! 歩けますから!」
生まれたての子鹿のように魔導士は立ち上がる。
「ったく【初心者】でも根性あるやつはいたぞ?」
瞬間――ニーヒルの眼差しが鋭くなった。が、ザンクににらみ返されて下を向く。
「おいおい、なんだその反抗的な目はよぉ? 何か【初心者】に嫌な思い出でもあんのか?」
「あ、ありませんが……」
「そういう顔じゃぁなかったぜ? やっぱりオレとオマエは気が合うみたいだな。オレも【初心者】は大嫌いなんだ」
オーガの顔が醜く歪む。笑っているのだ。目を細めたザンクにニーヒルも「ヒ、ヒヒヒッ!」と、乾いた声を上げた。そのまま続ける。
「それはまたどうして?」
「昔よぉ……ただの魔物から魔族になった奴がいたんだ。そいつはまともに使える魔技を与えられなかった。何が【初心者】狩りだ」
「は、はい?」
「世の中ってのは不公平だよなぁ。ただ弱い者いじめをしたかっただけなのに、あんなクズみたいな魔技をよこしやがってよぉ。黒歴史ってやつだぜまったく」
言いながらニーヒルの首の鎖を引き寄せてザンクは殴りつける。
「なあオマエもそう思うだろ? 世界は残酷で不平等だってよぉッ!」
「や、やめて……ゲフッ……ガハッ!!」
「おっと、またやっちまった。しかしなんつーかな……次に飼うなら雌の方が楽しめそうだ。オマエって殴っても面白くねぇんだもんなぁ」
これが魔族のやり方なのかよ。どうする? どうすればいい?
オーガの手にした鎖を断てばニーヒルを解放できるんじゃないか?
手は自然と剣の柄を握っていた。
エテルナが俺の右腕に抱きついて首を左右に振る。
ニーヒルは嫌な奴かもしれない。
相手はレベル33の上級職位冒険者が刃向かえないような化け物だ。
それでも――
目を閉じる。まぶたの裏に浮かんだのは、あの日の――名も知らぬ漆黒鎧の冒険者の背中だった。
もし【勇者】なら、これを見過ごしたりはしない。
大切なのはどうしたいかだ。
もちろん無謀に突っ込んでエテルナを危険にさらすのも【勇者】じゃなかった。
俺は小声で幼女に確認する。
「エテルナ。さっき言ってた穴は使えるか?」
「穴? あ、ええと転移魔法ですね。もちろん答えはイエスですとも。ここは一旦退却しましょうアルヴィス様」
「わかった。いつでも逃げられるように準備しておいてくれ」
俺は自身に剛体術式をかけると、赤い谷間の道が呼吸を始めるのを待った。
遠方から吹き込む風の音を聞くと同時に剣を抜き払い、岩陰から飛び出す。
「――ッ!?」
オーガが目を剥く。狙うは手にした鎖だ。ガキンッ! と金属同士のぶつかり合う音が響く。
完全に不意打ちだったのが功を奏したのか、魔族の手から鎖が落ちた。
「逃げろッ!」
俺の声にニーヒルは立ち止まったまま動かない。
殺意のこもったオーガの眼差しがこちらに向く。
合わせて挑発スキルを発動し注意を奪った。敵視を得たぞ!
「いきなり出てきて誰だよテメェは?」
声だけで押しつぶされそうな重圧感だ。負けるな。引くな。立ち向かえと自分に言い聞かせる。
「名乗るほどの者じゃないさ」
無意識に出たのは、かつてあの人が口にした言葉だった。
「なんだオマエ……【初心者】丸出しな格好だな。飼う価値もねぇよ」
オーガは俺から視線をニーヒルに向ける。
「ったく、ペットが死んじまったじゃねぇか。新しいのを探す手間を増やしやがって」
鎖とチョーカーだけを残して、ニーヒルの身体が光に包まれると消えてしまった。
「おいガキ。オマエが鎖をたたき落としたせいで人間が死んだぞ。オレの魔力でぎりぎり生かしておいてたってのによぉ……つまりオマエが殺したんだ」
俺が……ニーヒルを?
「落とし前をつけさせてもらうぜ」
オーガが拳を握り込んだ。
後方からエテルナが俺を呼ぶ。
「アルヴィス様のせいじゃありません! そこのへっぽこぴーな魔族が悪いのです!」
「あぁッ!? 誰がへっぽこぴーだ? もう一匹隠れてやがんのかッ!?」
ザンクが一瞬、エテルナに気を取られたその時――
赤い風が谷間を吹き抜けた。視界が赤く染まる。
俺は元いた岩陰に向けて走った。腕を伸ばすと小さな手のひらが俺の手をとって引っ張る。
「こちらへ!」
ガコン! と不思議な打突音が響く。と、目の前にぽっかりと黒い穴のようなものが広がった。
「わたくしより先に穴に入ってください!」
「お、おう! 行くぞ!」
視界を赤一色に塗りつぶす砂塵の中、俺は幼女を抱え上げて転移魔法の穴に飛び込む。
うおおおおお! どうにでもなれえええええ!
幼女の身体を抱きしめたまま転がり込むと、そこは【初心者】の神殿の一室だった。
振り返るとすでに転移魔法の穴は閉じており、先ほどのオーガが追ってくる気配は無い。
「無事かエテルナ?」
俺の腕の中で幼女は涙目になって吠えた。
「ご自身の力量をわきまえず無茶し放題ですかアルヴィス様!」
「わ、悪かった」
「ちょうど良く砂嵐が起こっていなかったら危なかったですよ本当にもう!」
タイミングを計って飛び出したが、今回は本当にギリギリだったな。
こんな無茶は復活できる冒険者じゃなきゃできない。
けど、さっきのオーガはニーヒルを殺さず生け捕りにしていた。
俺も捕まっていたらああなっていたかもしれない。
腕の中で幼女がもじもじとする。
「あ、あの……その……抱っこしたままでもよろしいのですけれど……」
「お、おう! ごめんなさい」
俺はエテルナを解放して正座した。エテルナは立ち上がり腰に手を当て俺を見据える。
「これからはきちんと力量に見合った戦いをしてくださいね」
「はい。わかりました」
「口調が棒読みなのですけど? まったくもう……誰かのために戦えるアルヴィス様だから、お母様に選ばれたというのはわかりますけれど……」
幼女はすっかり困り顔だ。
「なあ、ニーヒルのやつはどうなったと思う?」
「ちゃんとお母様の加護が働いておりましたから、最後に祈りを捧げた神殿か神像の御前にて復活しているはずです」
「そうか……救えなかったけど解放はできたんだな」
エテルナは脱力したように肩を落とした。
「せっかくの善行ですけれど、先ほどの【上級防魔導士】は【初心者】のアルヴィス様に救われたとは、口が裂けても言わないですよね」
「別に構わないさ」
「お人好しが過ぎますアルヴィス様」
幼女はムッと口を尖らせながら「ともかく回復の泉で水を汲んでくるので休んでいてください」と、小部屋から出ていった。
俺はそのまま後ろに倒れる。
心臓が早鐘を打っていた。達成感からじゃない。オーガ魔族の殺意に満ちた眼差しに、今になって身体が反応しているみたいだ。
押し殺していた恐怖が蘇る。勇気や決意では埋めることのできない圧倒的な力の差だ。
ああ、もっと強くなりたいな。