元公爵令嬢は隣国の公爵様に溺愛されています ~婚約破棄、国外追放しておいて今さら聖女と持ち上げようとももう遅い、私は今大好きな幼馴染と幸せに生きています~
公爵家の長女である私には婚約者がいる。
相手は第一王子、クレルだ。
クレルと会うため、私は王城に来ていたのだが、今クレルは庭でお楽しみの最中だそうだ。
私が庭へと向かうと、貴族たちが集まっていた。その中央には、クレルがいた。
クレルの視線の先には檻があった。その中には魔物――ウルフが入れられていた。
茶色の毛並みを持つウルフは、血を流していた。
体には矢のようなものが突き刺さっていて、クレルの方を見ると彼は手にクロスボウを持っていた。
「はは、まだ生きているか。しぶといな!」
クレルが笑顔とともに脇に立っていた者から矢を受け取り、装填する。
クレルは檻へとクロスボウを向け、引き金を引いた。
ウルフの悲痛な悲鳴が聞こえその体が崩れた。
……酷い。
「おお! さすがクレル王子!」
「お見事です!」
周囲に集まっていた貴族たちは、クレルをほめたたえていた。
それらに気分を良くしたクレルが周囲に手を挙げたとき、こちらに気づいたようだ。
「おお、アーニャ来ていたのか。どうだ? 凄いだろう? ウルフを仕留めてやったぞ」
……何が仕留めてやった、だ。抵抗できない状況で、痛めつけただけじゃない。
「魔物の討伐は、素晴らしいことだと思います。ですが、ああいった命を弄ぶ行為は、あまり褒められたことではありません」
誰もクレルを止めない。
ならば、私が彼の過ちを正さなければならない。
そんな思いとともに口にしたのだけど、クレルは不愉快そうに眉を寄せた。
「僕の行動に何か問題があるとでも言うのか?」
「……魔物はもちろん悪でございます。ですが、こうして見世物のように殺すことは正しいことではございません」
殺すことには同意している。魔物を放置するのは民を危険にさらしてしまう。
けど、命を弄ぶような殺し方を推奨しているわけではない。
クレルが私の前へと来ると、私の頬を叩いた。
パチン、という乾いた音が響き、私の頬にじんわりとした熱と痛みが襲う。
「黙れよ。僕は王子なんだぞ? いくら、婚約者だからといってそんな口をきいていいと思っているのか?」
私は、もう亡くなってしまったクレルの母から教えられた。
――主人が誤った道に踏みだそうとしているのなら、それを止めるのが妻の務めだと。
「婚約者だからです。王子、ここ最近のあなたの行動は目に余る者があります。魔物をいたぶったり、気に入らない人間を傷つけるというのは、とても褒められたことではございません。どうか、考え直してくだ――」
「黙れ!」
さらにもう一発。頬を痛みが襲う。
「いいか!? 今回は見逃してやる! また次も舐めた口を利くのなら、次はおまえがあの檻に入ると思っておけ!」
クレルが立ち去り、周囲の貴族たちもこちらを睨む。
令嬢たちがクレルへと駆け寄っていく。
クレルはまんざらでもない様子で令嬢たちを連れ歩き、去っていった。
取り残された私は血の味に気づいた。叩かれたときに怪我をしたのだろう。
それを飲みこむようにして顔をあげた時だった。
「相変わらず、不器用な奴だなキミは」
「久しぶりね、リヴェル」
仮面をつけていた男は、すっと仮面を外し微笑んだ。
南の国の公爵――リヴェル、私の幼馴染だ。
私たちの国はリヴェルのいる南の国の従属国だ。リヴェルはつまり、この国ではそれはもうかなりの立場であられる人なのだが、彼は良く仮面をつけて王城内を歩いていた。
「それにしても、王子は相変わらず元気なようだな」
「……元気すぎるわよ」
「確かに、それは思うところはあるが。もうすぐ結婚するのだろう? そうなれば多少は落ち着くんじゃないか?」
「どうかしらね。ますます、悪化しなければいいんだけど……」
リヴェルとともに王城へと歩いていく。リヴェルに気づいた貴族令嬢たちは、彼に声をかけようとしたが隣にいた私を見て、足を止めていた。
リヴェルは私と同い年の17歳だ。それでいて、まだ婚約者などは決まっていなく、そして顔は超絶美形。
それで、人気が出ないほうがおかしな話だ。私がいなければ、恐らくリヴェルは今も令嬢たちに囲まれていたことだろう。
「今日はどうしたのよ? まさか、私をからかうために来たわけじゃないでしょう?」
「今夜、舞踏会が開かれるだろう? 俺は参加できないけど、挨拶くらいはしておかないとと思ってな。王子と軽く話でもしようかと思ったわけだ」
……南の国は大国だ。単純に比較は出来ないが、リヴェルの立場とクレルの立場はほとんど同じくらいだと私は思っている。
「なるほどね。てっきり私を風除けとして利用しているのかと思ったわ」
「おっ、バレたか。キミが近くにいれば、誰も声をかけてこないからな」
「まったく」
ぺろり、と舌を出すリヴェルに私は呆れてしまう。
――けど、悪い気はしない。
それどころか、胸の中には柔らかな嬉しささえあるほどだ。
――だって、リヴェルは私が好きな初恋の人だから。
それでも貴族に自由な恋愛はない。この想いは胸の奥にひっそりとしまっておくしかない。
◆
舞踏会が始まってすぐのことだった。
「おまえとの婚約は破棄する! 僕は、貴様のような無能な女ではなく、可憐で美しいシャニアと婚約する」
嫌な予感……というか違和感はあった。
基本的に舞踏会への入場は、夫婦伴って行う。
まだ結婚していない場合は婚約者同士、それもいない場合は個人で会場へと向かうことになる。
つまり、私の場合は、婚約者であるクレルとともに会場入りするのが普通だったのだが、クレルが迎えに来ることはなかった。
クレルのことだし、忘れていたのだろうと思い私がクレルを探したのだが、彼はすでに会場に行っていると言っていたのだ。
そして、いざ会場に一人で向かった私は……先ほどの宣言を受けたのだ。
私は小さく息を吐いてから、前を見た。
目の前には私の妹――シャニアとクレルがいた。見せつけるかのように、腕を組んでだ。
「どういうことでしょうか?」
「見ての通り。僕はおまえとの婚約を破棄し、おまえの妹と婚約することにした」
「そういうことです、お姉さま」
ちら、と私はこの場にいた父と母を見る。その周囲にいた貴族たちの馬鹿にしたような笑みは意識してみないようにした。
こんな婚約破棄は、本来であれば屈辱的行為だ。
例え王子だったとしても許されるはずがないのだが……。
「おまえの言動や振る舞いには目の余るところがあった! 貴様、クレル様にいつも無礼な態度をとっていたな!」
「王子に失礼なことをしていたから、あなたとの婚約に関してはクレル様にいつも相談されていたのよ!」
父と母が怒鳴りつけてくる。その様子に、クレルの目が嬉しそうに歪んでいた。
貴族たちも、くすくすと笑い、この場に私の味方なんていなかった。
婚約破棄、か。まあ、みんな望んでいるんだしいいか。
私は別にクレルに対して愛はなかったし。
「……分かりました」
「ああ、そうだ。それと貴様は僕を馬鹿にした罰として、国外追放だ。本当は処刑のところ、国外追放にしてやるんだ。ありがたく思えよ」
国外追放、か。そうなると、つまり私はこのまま貴族ではなくなるということだろう。
国外で、平民として……自由に生きる、か。
それも悪くないかもしれない。しかし、気になることがある。
「……私が宮廷からいなくなっても良いのでしょうか? 祈りの仕事はすべて私が行っていたはずですので、困るのでは……?」
魔物狩りを行う前に祈りを行うことになっている。
祈りによっては魔物を狩りやすくなるとかいう話もある。気休め程度のものだけど、宮廷での祈りは私が担当していた。
父は腕を組み、ふんっと鼻を鳴らした。
「そんなもの、妹のシャニアでも出来る。貴様なんぞ不要だ!」
困る、という言葉がよほど気に食わなかったようだ。父はとても不機嫌な様子だった。
……まあ、父がそういうのなら別にいいわよね。
無理して残りたいわけでもないんだし。
「……それでは、これまでありがとうございました」
私がぺこりと頭を下げると、クレルが大きな声で笑った。
「さっさと消えるんだな!」
クレルの宣言に合わせ、私の左右を騎士が囲んだ。まるで罪人でも連行するように私は引きずられていった。
◆
突き飛ばされるように王城の外へと出された私は、そこで腕を組む。
まずはお金を作らないことにはどうしようもないわよね。
とりあえずは、まだ開いているお店でドレスを売って、そこで安い平民の服に着替えたほうがいいわよね。
これでも、常識はある方だと思っている。というのも、将来は王妃として動くことになると思っていたので、勉強はしてきていた。
そう考えた私は近くの店に入り、すぐに持っていたドレスを売っぱらって、服を調達する。
古着屋の鏡で自分の状態を確かめる。……ちょっと髪が整いすぎているけど、これで小綺麗な平民、みたいに見えるはずだ。
貴族らしさをなくすのは重要だ。貴族を狙った犯罪に巻き込まれる可能性がある。私にはもう何の価値もないとはいえ、身代金狙いの事件が起こるかもしれない。
これで、少しはマシになったわよね。さて、南の国に向かう馬車にでも乗りましょうか。
私は手に入れた金を使って、馬車へと乗り込んだ。
◆
南の国、か。
貴族ではなくなった私が、一つだけ抱いていた思いがあった。
それは、もう二度とリヴェルとは会えないということだった。
……あーあ。王妃の立場がなくなって、大好きだった人との関係さえもなくなるなんて。
とんだ転落人生だ。
馬車に揺られて二日ほどが経った。南の国の国境を通り過ぎ、もうすぐ街が見えてくるという時だった。
馬車が急に止まった。馬の悲鳴のような鳴き声が響き、何事かと外を見る。魔物にでも襲われたのではないかと思ったけど、違う。
外を見れば、周囲を馬車に囲まれていた。
一瞬、山賊の類かと思ったけど、その馬車にあった家紋に驚いた。
「……リヴェルのじゃない」
馬車が止まると、騎士を引き連れ一人の男性が外へと出てきた。
そこには見慣れた顔があった。
リヴェルだ。
リヴェルがまっすぐにこちらに向かってきて、御者と何かを話していた。
……私は少し気になったので、外へと出た。
リヴェルがこちらに気づくと、笑みを浮かべていた。
「久しぶりだな、アーニャ。聞いたぞ? なんでも婚約破棄されたんだってな」
彼がからかうような調子でそう言ってきた。相変わらずの物言いだ。
私が本気で王子を愛していたら、きっと泣いているだろう。
しかし、私はそのからかいの声に嬉しくて涙がこぼれそうになっていた。
だって、もうリヴェルとは会えないと思っていたからだ。
けれど、ここで涙を流すなんてことはしない。リヴェルにそんな姿を見せれば、からかわれるだけだ。
「ええそうよ。それでリヴェル、あなたどうしたの? もしかして、領地の運営がうまく行っていないから盗賊の真似事でも始めたの?」
いつもの軽口をぶつける。
言ってから思ったけど、私もう貴族じゃないからとても無礼な発言をしてしまった。
「違う違う。困っているだろうと思ってな。幼馴染のよしみとして、慰めに来たんだがその必要はなさそうだったな」
「ええ、とても元気にしているわよ。むしろ、解放されてスッキリしているくらいだわ」
「そうかそうか。それなら俺のところで雇う必要もなかったか……」
リヴェルの言葉に、私は思わず反応する。
待って! 待って!
「雇う?」
「ああ、使用人とかとしてな。幼馴染のよしみでな、幼馴染のよしみで。他意はないからな」
なんかごちゃごちゃ言っているけど、私の中にあった感情はただ一つだ。
めっちゃ嬉しい! 雇ってほしい!
だ、だけど……この大好きな感情を表に出すわけにはいかない。
リヴェルは私のことを、まったく異性として見ていないからだ。
気づかれれば、むしろ気まずくなってこの話さえもなくなるかもしれない。
だから私は小さく息を吐き、いつもの微笑で今にも飛び上がりたくなる喜びを抑え込んだ。
「これから何をするのかは決まっていなかったわ。だから、雇ってくれるというのなら……お願いしてもいいかしら?」
「そうか。それなら、これからは俺の専属の使用人として仕事を頼みたい」
せ、専属の使用人!? それはつまり、四六時中一緒にいられるということ!?
いやっほー!
「……ええ、ありがとう。……よろしくお願いします」
「敬語は必要ないぞ。今まで通りで構わないからな」
にこりと微笑んだリヴェルの笑顔に、私はニヤニヤしそうになる口元を抑えるのに必死だった。
◆
『とある人間の心境』
や、やった! やったぞぉぉぉ!
俺は自分の領である最南端に位置する城の自室で、拳を突き上げていた。
俺が拳を突き上げる理由はただ一つ。
……小さい頃から大好きだったアーニャとこうして一緒に生活できるようになったからだ!
俺は誰も見ていないのをいいことに、部屋で何度も拳をぐっと握りしめる。
「そ、そそそそれにしても、い、勢いで専属の使用人にしてしまったがど、どうする!?」
だ、大丈夫だろうか!? アーニャとずっと一緒にいては、自分の感情を抑えきれないかもしれない。
……けど、彼女を好きだという感情は抑えないと。
簡単な話だ。今の俺とアーニャの関係で、例えば告白したとすれば、アーニャは絶対に断ることは出来ない。
――だって、アーニャは今行く当てがないんだから。
そんな立場を利用してアーニャとくっつきたいとは思っていない。
……くっつきたい、か。
そんな大それたことを俺は考えているが、アーニャにはまったく異性として見られていないんだよ。
アーニャはまったく俺のことを意識していなかった。
俺がこれほど彼女のことを想っていて、表情に出さないように気を付けているというのに……。
アーニャは俺を見ても、いつものように幼馴染の友人を見るような目で対応していた。
……なんだよぉ、もう二度と会えないんじゃないかって思って。滅茶苦茶不安になって、再会できて喜んでいたのは俺だけなのかよ。
俺、どうやったら男として見られるんだろうか?
愕然としてしまうが……とにかくだ。
これからはアーニャと毎日一緒なんだ。
その中で、少しずつ親しくなっていけばいいんだ。
そして、将来は……彼女に告白をして――。その最後を思い浮かべ、俺は一人ニヤニヤしていた。
◆
リヴェルの領地につき、ひとまず一日休みをもらった後。
私はメイド服に着替え、屋敷内を歩いていた。
だいたい、建物内の構造は理解している。
まっすぐにリヴェルの部屋へと向かい、私はその扉をノックした。
「リヴェル、朝よ。起きなさい」
扉をノックしてすぐだった。リヴェルが眠たそうな目とともに扉を開けた。
パジャマが少し着崩れていて、鍛えられた胸板が少し見えた。
普段のきりっとした表情はどこにもなく、だらしのない寝起きの顔。
な、なんていう格好をしているのよ!
抜けていて……こ、これはこれでありね!
そうじゃない! 私は必死に自分の感情を抑えた。
「ちょっと、一城の主がこれでいいの?」
「悪い悪い。朝はあんまり強くなくてな。それじゃあ、着替えてくるから……」
「ちょっと待ちなさい」
私は良い作戦を思いついていたのだ。
「着替えもメイドの仕事ではないかしら?」
「な!? 別に問題ない! 一人で出来るぞ!」
「話を聞いたけれど、いつもは着替えをしてもらっているのよね?」
「たまにしてもらっているだけだ!」
「それならば、専属メイド初のお仕事として、任せてはくれない?」
私が別に専属メイドの仕事を全うするためにこう言ったわけではない。
リヴェルと合法的に触れ合うための作戦だ。
いやいや、下心なんてない。彼の程よく引き締まった筋肉には前々から注目していた。
たまに袖の短めの服を着ているときなどは、それはもう興奮ものだった。
……こほん。
とにかく、下心はない。
「別に大丈夫だ! 子どもではないんだぞ!」
扉を力づくで閉めてくるが、私だって負けない。
「いや、寝起きでいきなり着替えを行うのは危険だわ! ここは私に任せて!」
「もうお目目ぱっちりだ! おまえとのやり取りのおかげでな!」
「じゃあ、もう一度眠るといいわ! おやすみなさい!」
「どうした!? 今日のおまえ何かおかしいぞ!」
私はふんっ! と室内へ入り、それから一礼をした。
「専属メイドとして、初日くらいは一通りの仕事をやらせてほしいわ。今後はともかく、初日は事前に教えてもらった流れ通りにやりたいのよ」
嘘である。ただ、リヴェルの体に触れたいだけである。
「……そう、だな。分かった。今日は特に外に出る用事もないし、貴族との面会もない。そのタンスの三段目にある服から選んでくれないか?」
タンスをあけるとリヴェルの香りが鼻をくすぐる。
安心できる匂いだ。このまま顔を埋めたいところだったけど、そんなことをすれば変態のそしりを受けてしまうかもしれないのでぐっとこらえた。
私が手に取ったリヴェルの上下は、どちらもラフな格好だ。……この格好のリヴェルを見るのは初めてだ。
早く見たい。その一心でリヴェルの方を見た。
「それじゃあ、始めてくれないか」
リヴェルがため息交じりにそういった。
……私はそれから彼のボタンをはずし、服を脱がしていく。
下に身に着けていたものまでは外さないが、それでも良く鍛えられた筋肉が見えた。
「くっ……」
リヴェルがくすぐったそうに声をもらした。その押し殺した声に、少し嗜虐心がくすぐられてしまった。
こう、必死に押し殺したような声が何とも良かった。
服を着替えさせるときに、リヴェルの体に軽く触れる。硬く、しっかりとした筋肉だ。頬ずりしたい。必死にそんな欲望を押し殺し、着替えを終えた。
「ご苦労だった。下がって、いいぞ」
「これから朝食でしょ? 食堂まで共に向かうのでは……?」
「ちょっとだけ一人にさせてくれ……」
疲れたような声をあげるリヴェル。
……も、もしかして着替えで何かミスがあったのだろうか?
私はがくりと肩を落とした。
◆
『ある男の嘆き』
着替えをしてもらっていた時は死ぬかと思った。
目を閉じれば余計にそれらを意識してしまった。
綺麗な銀色の髪だ。透き通るような髪が、俺の目の前で揺れる。
ふわりとした香りが鼻をくすぐる。
……もう、どうにかなってしまいそうだった。
気絶しなかった俺を誰かほめたたえてほしかった。
◆
朝食を終えたあと、私はメイドたちと屋敷内の掃除をしていく。
掃除に関しては知識があったため、そこまで苦にすることはない。
メイドたちに教えてもらいながら、掃除を行っていく。
「アーニャさんって、確か元貴族だったんですよね?」
「ええ、そうですよ。もしかして、会ったことありました?」
貴族が旅をする場合、その身の回りの世話を行う人間を連れていくのは当然だ。
……だから、もしかしたらその時に会っていたことがあったのかもしれない。ただ、さすがにすべての人間を覚えてはいなかった。
「何度かリヴェル様の付き添いでお会いしたことがあります。王城内で……恥ずかしながら迷子になってしまったところを助けてもらったことがあります。その際は、本当にありがとうございました」
「そうだったんですね。すみません、思い出せなくて……」
「いえいえ。それが当然ですから! それにしても、アーニャさんって凄い丁寧で、公爵家の方なのに……っていつもメイドたちで話していたんですよ」
「そうなんですね。悪い話とかされていませんでしたか?」
「そんな! むしろ、メイド一同はアーニャさんのような人に、お嫁さんに来てほしかったんですよ」
え? リヴェルと私がお似合いだって? 私は都合よく解釈することにした。
「それはもう難しいですね。私は家を追放されてしまい、今は平民ですからね」
結婚は難しそうなんだよね……。それだけが残念だった。
そんな話をしながら窓ふきをしていると、あわただしい様子で騎士が歩いていった。
リヴェルの私兵の人たちだ。
「南の森から突然変異を起こした魔物が出てきたらしい」
「その討伐にこれから向かうんだな?」
「ああ。すぐにリヴェル様のもとに向かうぞ」
「ああ!」
南の森。私は自分の知識を確認するように、隣のメイドに声をかけた。
「確か、南の森って魔物がたくさん住んでいる場所ですよね?」
「はい。このラーストア家、そしてこの城はその森から現れる魔物を討伐するよう国から指示が出されていますね」
「確か、渦巻く特殊な魔力が原因で突然変異――ユニークモンスターが出現しやすかったんですよね?」
「そうなんですよ……凶悪な魔物もたびたび森から出てきてしまうので、今日のように完全な休みの日であってもリヴェル様は何か用事が出来てしまうことが多いんですよ」
「大変ですね」
「そうですね。そういえば、確か。アーニャ様ってお祈りが出来る方ではなかったでしたっけ?」
様はいらないといっても、私のことを知るメイドたちはみんな様をつけて呼んでくる。
……元々そういう地位にいたから呼ばれなれないということはないけど。
「ええ、そうですね」
「それでしたら、リヴェル様のもとに様子を確認しに行くのはどうですか
?」
「……そうですね。力になれるかもしれませんし、一度行ってみようと思います」
専属メイドとして、リヴェルに状況の確認をしてみようか。
◆
私がリヴェルの書斎へと向かうと、先ほどの騎士たちがこちらに気づいた。
「あっ、アーニャ様!?」
「ほ、本当にメイドとしてこちらに来られていたのですか!?」
屋敷で会ったことがあるかもしれない。……ちょっと思い出せないけど。
「はい。今はただのアーニャですからそうかしこまらず……」
「い、いえそんな!」
「アーニャ様にそんな態度をとるわけにはいきませんよ!」
……騎士たちはぺこぺこと頭を下げてくる。
だいたいみんなこんな感じなのだから、ちょっと困ってしまう。
「リヴェル様。確認ですが、祈りは必要でしょうか?」
今は専属メイドとして、リヴェルに声をかける。彼もそれを理解したからだろう。ピクリと眉尻をあげただけで、特に何も言うことはなかった。
「そうだな。ユニークモンスターが相手となるし、お願いしよう」
魔物討伐を行う前や、何かのお祝い事の際には、祈りを捧げることになっている。
これは南、北の国での風習のようなものだ。
祈りは基本的にはその家の女性が行うことになっている。
第一候補は妻が行う。それが難しい場合は、長女……次女と続いていく。
もしも、それらも難しい場合は誰かしら女性を選出して祈りを捧げることになっていた。
祈りを捧げることで、良い結果を家に招くことが出来ると言われている。
ただ、最近では眉唾なものだと行わないことも増えてきていた。
というのも起源は戦闘能力を持っていなかった妻が、戦地へ赴く夫に何もせず待ち続けるのが嫌で、家で祈りつづけたことからだったからだ。
というわけで、あまり重視しない家も増え始めてきた。
リヴェルの家では、祈りがあるようだ。
騎士が集められる。
私は集まった騎士たちを前にして、一礼を行う。
まだ、私がここにいる理由を知らない騎士からは、驚いたような目で見られた。
今はそんな彼らに事情を説明している時間はない。
両手を合わせ、歌を歌う。
歌に魔力を乗せ、祈りを捧げていく。
魔力を周囲へと流し、それが少しでも皆の力になるように。
歌は一分ほどで終わり、私は一礼をした。
騎士たちを見ると、何やらぽろぽろと涙を流す者もいた。
「き、綺麗な歌声だ……」
拍手が上がり、私は驚いた。
こんな反応が返ってきたのは初めてだ。
嬉しさと照れくささがこみ上げ、リヴェルがからかうように見てきた。
「まさか、俺を馬鹿にする言葉ばかり吐くその口から、こんな綺麗な歌声が出てくるとは思わなかったな」
「リヴェルに対して歌ったつもりはなかったけれどね」
「酷いことを言うな」
幼馴染同士で軽口を言い合ってから、リヴェルが騎士たちを連れて城を出発していった。
……私はこれまで、祈りの起源を聞いたとき、なんて女々しいのだろうか? と思っていた。
しかし、今なら祈りつづけた女性の気持ちが痛いほどわかった。
苦しい……。
去り行くリヴェルの背中を眺めていた私の心に生まれた感情。
もしかしたらもうリヴェルは戻ってこないかもしれないのだ。
下手をすれば魔物に死体さえも食い荒らされてしまうかもしれない。
……もう二度と私の名前を呼ばないのかもしれない。
軽口だって言ってはくれない。
微笑んでもくれなくなるかもしれない。
そう思うと……。ぎゅぅぅぅと胸が締め付けられる。
何もできない自分の無力さが悔しい。
神に祈ることしかできないのだとしても――。
それがまったくもって無意味なことなのだとしても――。
それでも、藁にも縋る想いで、愛しい人を想い祈りを捧げ続けたいと思ってしまった。
しかし、そんな姿を誰かに見せるわけにはいかない。
私は不安な気持ちを抱えながら、メイドとしての仕事へと戻っていった。
◆
私はラーストア家について考えていた。
リヴェル・ラーストア。
それが彼の名前だ。このラーストア領を治める領主だ。
ラーストア領はこの国の最南端に位置する。さらにそこから南には広大な森が広がっている。
ラーストア家の使命は、この森から現れる魔物たちを排除することにあった。
南の森では日々様々な突然変異が行われ、独自の生態系が築き上げられていく。
一週間もすれば、別種の魔物によってかき乱されるような忙しい生態系だ。
そんな森から、餌を求め、あるいは競争に敗れ人里へと降りてくる魔物を狩るのが、ラーストア家の仕事だった。
リヴェルが出発して半日が過ぎた。
……騎士たちが、戻ってきた。
すぐに私が出迎えに向かうと、リヴェルと騎士たちは不思議そうな顔をしていた。
良かった……怪我などはしていない。
こちらに気づいたリヴェルが顎に手をやりながら、こちらを見てきた。
「なあ、アーニャ」
「どうしたのよ?」
「……キミの祈りを受けてからおかしいんだ」
え……? 私はこれまでの自分の祈りの評価を思い出す。
……別に何か家から文句が出ていたわけではないけど。
「どういうこと?」
「……魔物の討伐が前よりもやりやすくなった気がするんだ。身体能力が向上した……とかではないのだが。騎士たちも皆そういっていてな。初めは調子が良いだけなのかと思っていたのだが……」
「……そう、なの。祈りの効果があった、とかなのかしら? まあ、うまく狩れたのならそれでよかったわ」
「それは確かに問題なかった。ただ、魔物の体が頑丈でな。今日はちょっと右腕が痺れてしまったな」
リヴェルはひらひらと右手を振っていた。
魔物にはゴーレムのような岩でできた体を持つ存在もいる。そういった魔物を相手したとなると、確かに大変だっただろう。
……ん? ちょっと待って。
私の中にぴこーんと一つの良い案が思いついた。
「とにかく、夕食は準備出来ているわ。いつでも食事は可能よ」
「それなら、先に頂こうか。準備の手配を頼む」
こくりと頷いてから、私はその良い案の実行へと移った。
◆
「リヴェル様。本日の魔物討伐によって利き手に負荷がかかっていましたよね? というわけで、食事のお手伝いをさせていただきます」
とてつもない恥ずかしさがあったが、私はメイドとしての業務と割り切ってそう言い切る。
食事の席についたリヴェルが目を見開いていた。
「どういうことだ!?」
「どういうことも何も、そのままの意味です。右腕に負担がかかってしまい、明日以降の事務的作業に支障が出てはいけませんよね? そう思いましたので、私が食べさせてあげようかと思いまして……」
あーだこーだ理由をつけていたが、理由は簡単だ。
リヴェルにあーんができる!
一度、やってみたかった。リヴェルにこうやって何かを食べさせてみることをだ。
しかし、リヴェルはぶんぶんと首を横に振る。
「全然大丈夫だ! まだまだぴんぴんしてるから! ほら動くから!」
アピールしてきたが、私はそっぽを向いてみなかったことにした。
「こっち見ろ! 問題ないだろう!?」
「傷が足りなかった、ということですか……」
「追撃されるのか俺は!?」
「そんなことはしませんよ。……ただ、見た目以上に負担があったかもしれません。出来る限り休ませるべきではないでしょうか?」
「それは……まあ、そうだが」
まだ渋るか! いいじゃん! ちょっとくらい!
「それに、元々事務作業もそうですが……手を使う仕事というのは見た目以上に内部への負担が大きいのです。私の知り合いにも、文字を書きすぎて手首を痛めてしまったという人もいます。たまには、お休みになっても良いのではないでしょうか?」
早く首を縦に振れ! 私がそんな風に思っていると、リヴェルは頬を赤くしながらポリポリと頬をかく。
な、何その反応は? 普段見ない様子に、私が少し困っていると、
「……いや、その」
言いよどんだ彼は、それからぼそりと口を開いた。
「……さすがに…………照れる」
リヴェルの言葉に、私は正気に戻らされた。
……自覚した瞬間、自分の頬が熱くなってくるのが分かった。
た、確かに……! と、とても恥ずかしい……!
意識しないようにしていたそれに直面し、私はもはや先ほどまでの勢いを失ってしまう。
口を開いても、あぁっ! う、うぅぅ……! といった言葉にならないうめき声のようなものしか出てきてくれない。
何か、何かを言わなければならないというのは分かっていたが、思考がまとまらない。
……そんな中、何とかやっと絞り出すように私は――。
「へぇ、照れるのね」
「……」
リヴェルを挑発するような言葉だった。必死の照れ隠しである。
私の言葉を聞いたリヴェルが肘に手を当て、それから鼻で笑い飛ばした。
「ああ、いやキミに照れるとかではなくてだな。単純に、俺は女性とあまりそういったことをしたことがないからな。一応、キミも女性、だろう」
い、一応!? 泣いていい!?
「そうですね、そうですね……っ。分かりました。速やかに食事の準備をしますね」
ここで「あーん」の強行に移れれば良かったんだけど、さすがに羞恥もあってこれ以上の行動は出来なかった。
私はとりあえず落ち着くことが出来たため、リヴェルにそのように話をし、食事の準備を開始した。
やはり、リヴェルは私をまったく女性とは思っていないのよねぇ。
男の友人みたいな感じなんだろう。はぁ、まったく仲良く出来ないわよね……。
◆
『リヴェル視点』
「な、なぜ俺はあーんしてもらえるせっかくの機会を棒に振ってしまったんだぁぁぁ!!」
部屋で一人、頭をかきむしる。
せっかくの! せっかくのチャンスだったのに!
俺は自分の頭で、枕を叩き続けた。
◆
『クレル視点』
最近、国の様子がおかしい。
魔物狩りにおいて、これまで怪我人ゼロだったにも関わらず、
くしくもそれは、アーニャが去ってからだった。
アーニャからシャニアに祈りが変わってからだ。
――祈りなんて誰がやろうとも変わらない。
何の知識もない子どもがやろうが、老婆がやろうが、それこそその辺にいるスラムの女にやらせようとも、だ。
もちろん、気分的にそんな身分のない奴らに任せるのは嫌だったが、あくまで気分的なものでしかない。
はずなのだが――。
オレは今国内で起きている問題についてまとめさせた騎士団長から、話しを聞いていた。
「魔物が狩りにくくなっている、だったな?」
「はい」
「原因は分かったのか? 肉体に何かあるわけではないだろう? 疲労が関係しているとでもいうのか?」
「騎士たちの様子は特に変わっていません。ただ、ある時期を境に露骨に失敗が増えています」
「ある時期だと?」
「はい、アーニャ様が……失礼。アーニャがこの城を去ってからです」
オレの眉が反射的に動いた。
……アーニャがいなくなってからだと?
「それを裏打ちする何か情報はあるのか?」
「はい。アーニャが去る前と去った後の怪我人の状況についてまとめました。これまで数年アーニャは我々騎士団の祈りを担当してくださいましたが、ほとんど怪我人は出ておりませんでした。月に一人、二人程度です。そして、現在。シャニア様の祈りに変わってからは、現在一ヵ月ほどが経ちましたが怪我人は二十人と出ています」
今シャニアもオレの隣に座っているのだが、彼女が露骨に不機嫌になる。
オレも、無礼なことを言う騎士団長を睨んだが、彼も怯みはしない。
……生意気だ。こいつ、クビにでもしてやろうか。
「騎士たちの実力に問題があったんじゃないか?」
「それももちろん、まったくないわけではないでしょうが……そこで、私たちは別の情報を集めました。アーニャがキラストリア家の祈りを担当していたときのことです。アーニャから、シャニア様へと切り替わった前後を調べました」
アーニャ、シャニアの家であるキラストリア家。
……確かに、彼女の家も領地を持っていて、その管理、また私兵の投入によっての魔物鎮圧も行われていただろう。
「屋敷で私兵の状況変化について丁寧に記されていたのですぐに情報は集まりました。そして、その結果は……アーニャが担当していた六年間の怪我人は100人ほど。シャニア様に変わってからの六年間では……1000人ほどでした。また、アーニャのときは大怪我というのはなく、死者はゼロでした。シャニア様に関しては死者もその一割ほどの123人が確認されています」
「なっ!?」
圧倒的な数字だった。
所詮は平民に近しいような立場の私兵たちの命なんざどうでもいいのだが、それでも決して無視しきれない数字でもあった。
「もちろん、長い年月ですので、同じ騎士、同じ状況ということでもありませんが……ここまで数字で露骨に出てしまうとアーニャの祈りに何かしらの効果があったのでは……? と考えるのも自然なことだと思います」
「……確かに、な」
そこまでの情報を提示されれば、オレも少し考える必要があった。
「かつて、聖女様と呼ばれる人がいました。彼女の祈りは人を癒し、力を与えたといわれています……。もしかしたら、アーニャにもそれに近しい力があったのでは……と私は考えています」
「そ、そんな聖女の話なんてあんなもの、尾ひれの付きまくったものではないのか?」
隣にいたシャニアはとても不機嫌そうに、騎士団長を睨んでいた。
「聖女だなんて……アーニャが聖女なら、クレル様に認められた婚約者の私は何? 大聖女だとでもいうの?」
「……いえ、それは」
「ていうか、そんな数字で遊んで楽しい? 無能の極みじゃない? どうせ、たまたまよたまたま」
「たまたまでは片づけられない数字なんです。私はこの国の防衛を管理しております。減らせる被害は出来る限り抑えたいのです。そこで、クレル様。良ければアーニャ様を騎士団の祈りの専門として雇用していただくことは出来ないでしょうか?」
「はああ!? ねぇ、クレル様。こいつうざいから、クビにしない?」
シャニアが甘えた声をあげてくる。可愛い声だ。
……オレもクビについては検討した。しかし……被害が抑えられるのなら、悪い話ではないだろう。
祈り役なら、安く雇用できるだろうしな。
ただ、シャニアをどう納得させるか。そこが問題だ。
シャニアは確かに綺麗だ。アーニャも綺麗な奴だったが、愛想がなかった。
シャニアは少しプライドが高い。何より、アーニャと自分を比較して、時々面倒臭くなることがある。
あと、やたらと干渉してくる。最初は可愛いと思っていたが、最近は面倒になってきた部分がある。
愚痴はこのくらいにして、オレは騎士団長を見た。
「……アーニャは祈りに関しては才能があったのかもしれないな。祈りだけは、な。特別職として戻すのは十分にありだろう。この国のためにも、そして何よりシャニアの負担も減らせるだろう」
シャニアのためを、というのを伝えれば彼女も納得するだろう。
見れば、嬉しそうにシャニアは微笑んでいた。
そんな彼女の髪を撫であげた。
「そうね。私の方が劣っているとは思わないけど、確かに仕事が減るのは嬉しいよ、クレル様」
「ああ、そうだな」
あとはアーニャが戻ってくるかどうかだな。
まあ、奴は元とはいえオレの婚約者だ。婚約者の頼みを聞くのは当然だろう。
第一、オレは王子だ。次期国王なんだからな。
「ありがとうございます。ただ、祈りがこれほど影響出ている以上、雇用する場合はそれなりに費用を捻出していただきたいのだが」
「平民の平均年収はどのくらいだったか?」
「300万ゴールドほどになります」
「なら、それでいいだろう」
「し、しかし! 祈りの効果は確かで――」
「ふん。そんなもの隠しておけばバレないだろう。出来るのなら、もっと安く雇用しろ。所詮、祈るだけなんだからそんなに金を払う必要はないだろう」
騎士団長が愕然とした様子で見ていたが、それからしぶしぶといった様子で頷いた。
まったく。
確かにアーニャに能力はあるのかもしれないが、そんな高額出してまで雇うのなら兵士をたくさん雇ったほうがいいだろう。
まさか、雇った兵士が全員怪我をするわけでも、死ぬわけでもないんだ。最終的にはそっちのほうがいいはずだ。
というか、元オレの婚約者だ。またこの宮廷で仕事が出来るとなれば喜んで戻ってくるはずだ。
◆
私はリヴェルの自室に呼び出されていた。
「どうしたの?」
「……こんな手紙が届いてな」
彼から手紙を受け取った。まず真っ先に目に留まったのは、王国の紋章の入った蝋がついていたことだ。
それから、手紙を読んでいき、思わず頬が引きつった。
宮廷からの手紙で、現在アーニャを探しているから、見かけたら教えてほしいという話だ。
「私、何かされるのかしら?」
「いや、それについては大丈夫だ。王国内にいる知り合いの貴族に聞いたら、すぐにこっちの手紙が送られてきたよ」
リヴェルから手紙が追加で渡される。
そこに書かれていた内容は、『祈りの聖女』として雇いたいから、というものだった。
祈りの聖女、ね。
私もリヴェルの元に来てから自分の祈りが少し普通ではないというのを理解していた。
「なるほどね。でも、クレルが良くそれを許可したわね」
「一応そこは一国の王になるだけの器なんだろうな」
「……本気で言っている?」
「南の国はみんな言っているよ。我々にとって、あれほど良い男はいない、と」
「良い男の前に、都合の、って言葉ついていない?」
「さて、どうだったか……?」
とぼけんじゃないわよ。
周辺国からすれば、クレルが扱いやすいから早く就任してほしいってことなのよね……。
やっぱり、彼に政治で表舞台に上がってもらうのは大変なのではという私の考えは正しかった。
「話を戻そうか。騎士団の怪我人、死者が増加してしまって少しずつ大変なことになっているらしい」
「それで、私を戻したいってことよね」
「というわけで、キミの意見を聞きたい。」
彼は肘をついてこちらをじっと見てくる。その凛々しく真剣な表情はとてもかっこよかった。
「戻りたいのならば、案内しよう」
「戻りたくないって言ったら?」
「今まで通りここで生活をしてもらうことになる。どうする?」
「もちろん、戻るつもりはないわ」
ここでの生活の方がいいに決まっている。
リヴェルと一緒にいられるんだしね
「それなら良かった。それじゃあ、今のキミの状況を伝えに行こうと思う。今度、舞踏会が開かれるようでね。その挨拶がてら事情を伝えに行こうと思っている」
「私も同行していいかしら?」
「同行? ああ、いいけど。どうしたんだ?」
「私が直接話したほうが早いと思ったの。それに、色々やられたまんまで」
「相変わらずキミは性格悪いなぁ?」
「リヴェルには言われたくないけど」
べーっと舌を出すと、リヴェルがにやりと口元を緩めた。
「それじゃあ、当日はドレスでも着て一緒に行くとしようか」
「あら、用意してくれるの?」
「もちろんだ。婚約者とでも偽っておけば、他の令嬢たちへの牽制にもつながるからな」
「風除けね。ほんと、あんたって女性苦手よね」
「なっ? 別に苦手ではないんだが?」
どうやら、そういわれるのは癪にさわるようだ。
リヴェルが頬を膨らませたので、私がからかってみる。
「だって、苦手でしょ? 私ですら、近づかれると意識するんじゃない?」
お願いだから意識してよ。彼がまったく私に興味ないのは理解していたが、それが嫌だったので私が抵抗するように彼に近づいた。
すると、彼は眉間を寄せるだけだった。
「苦手じゃないっての。意識も、別にしないって」
そういってリヴェルはそんな感情を表に出すかのように、手を挙げた。
え、何をするの? ちょ、ちょっと待って!
彼の手が私の頭へときて、優しく撫でた。
少しだけ硬い彼の手が、私の髪を、頭を撫でていく。こ、心地よい。それに、天にも昇るような気持ちよさがあった。
まるで頭の中をかきまぜられているような酩酊感。でも、悪い気はしない。むしろ心地よいとさえ思えるほどの感触。
私はぼーっとしてしまい、意識がとびかける。しかし! しかしだ!
そんな姿をさらすわけにもいかず、私は必死に表情を取り繕う。
それから、声を張りあげる。
「い、いきなり髪を触るんじゃないわよぉ……っ! い、言っておくけどね。女性はね、好きな人とか以外に髪触られたって、気持ち悪いとしか思わないのよぉ……っ!」
好きな人だったから、気持ちよかった……っ! そんな感情と言葉はぐっと抑えたつもりだったけど、言葉に力がなかった自覚はある。
すると、リヴェルは頬を引きつらせ、それから苦笑をした。
「ああ、そうかそうか。まあでもこれでわかっただろ? 俺だって別に女性が苦手なわけじゃないんだからな? 分かったな?」
「どうだか……まあ、別にいいわ。とにかく、当日の舞踏会はよろしくね」
私はささっと言いきって、その場から退散した。
全力疾走で廊下を駆け抜ける。
う、嬉しかった! で、でも……。
部屋に着く頃には、高揚した感情が反転する。
――あれ? 私女として見られていないから、あんな簡単にボディタッチされたのでは?
私は悔しくて枕に頭を叩きつけた。
◆
『リヴェル視点』
うわあああああああああ!
俺は自分の部屋の枕に頭をぶつけ続けた。
「な、何をやっているんだ俺はあああ!」
嫌われた! 嫌われてしまったよ!
ちょっとした反抗心。
……それと、ちょっぴりあったスケベ心。
――アーニャに触れたい。
――アーニャの髪に触りたい。
好きな人だから。愛しい人だから。そんな気持ちが爆発してしまった結果が、アーニャの髪に触れるという行為だった。
「軽蔑しきった目をしていたよな! ああ! もう、俺の馬鹿ぁぁぁ!」
俺は何度も何度も頭を枕に叩き続けた。
◆
舞踏会が開かれる会場へ、私はリヴェルの腕に手をかけるようにして歩いていく。
並んで会場入りするのだが、周囲の人たちは驚いたようにこちらを見ていた。
まず第一に、リヴェルが注目を集める。大国の公爵様にして、婚約者を持たず、容姿は整っているのだから当然だ。
そして、ぎょっとしたような目が私にも向けられる。
この国で私のことを知らない人間はいないだろう。少なくともこの舞踏会に出入りするような立場の人たちは、私のことを少なからず知っているはずだ。
だが、誰も声をかけてくることはない。私とリヴェルの関係について問いかけるような者はいない。
だって、誰がどう見ても、私とリヴェルは婚約者、あるいはそれ以上の関係なのだから。
……実際は、ただの風除けなんだけどねぇ。
心で泣きながら、私は微笑を携える。
会場へと入ったところで、クレルとシャニアがこちらを見てきた。
二人とも、とても驚いたような顔をしていた。
「お久しぶりです、クレル様」
すっとリヴェルが頭を下げると、クレルもまたぺこぺこと頭を下げた。
「お、お久しぶりです、リヴェル様」
クレルは王子で、リヴェルは公爵。
しかし、国の力関係故に、クレルはこうしてペコペコしていたのだ。
そして、クレルは笑顔とともにこちらを見た。
「わざわざ直接連れてきていただいてありがとうございます」
「いえいえ、そんなこと気にしないでください」
リヴェルはにこやかに微笑み、私をちらと見てきた。私はクレルに一礼を返した。
すると、クレルはにやりと笑った。
「久しぶりだな、アーニャ。喜べ、おまえをまたこの宮廷で雇ってやる!」
そう宣言したクレルに、笑顔を返す。
「お断りします」
「なぁぁぁっ!?」
クレルが大きな声を張りあげる。
当たり前だ。誰が戻りたいと思うのだろうか? ていうか、なんでこんなに上から目線なの?
「ど、どういうことだ!? 貴様、オレが雇ってやると言っているのだぞ!?」
「いえ、お断りします」
「調子に乗るなよ! 今の貴様はただの平民なんだぞ! 国の王になる男の命令ならば、喜んで引き受けろ!!」
怒鳴りつけ、つめよってきたクレル様の前に、リヴェルが立った。
「クレル様、それ以上彼女に無礼な発言をするのはやめていただけませんか?」
「ええ!? どういうことですか!?」
「彼女は俺の婚約者ですから」
周囲がざわめく。
私の内心もざわめく。
こ、婚約者ぁぁぁ!? そんな話聞いてない! こ、婚約者ってことは、け、結婚するの!? 私たち!? 将来チューするの!? 私がリヴェルとぉぉぉ!?
唖然としていたクレルがちらとこちらを見てきた。シャニアもまた、驚いたように私とリヴェルを見比べていた。
ずっと黙っていたシャニアも驚いたようにこちらを見てきた。
「り、リヴェル様? そ、それ本気で言っているんですか? いつも、私に会いに来てくれていませんでしたか? 屋敷の方に!」
「えーと……キミは確か、アーニャの妹でしたか? 申し訳ありません、名前までは憶えていなかったのですが……」
「……」
シャニアが呆然と固まっていた。
「た、頼む! 戻ってきてくれないかアーニャ!」
クレルがそう叫んだが、私は首を横に振った。
「今さらもう遅いですよ。私はこの国に戻るつもりはありません。私はリヴェルの婚約者として、これからの人生を共にしますので」
私はそういって、リヴェルの腕に抱きついた。
こ、婚約者アピールのためなら、このくらいした方がいいわよね?
ありがとうクレル様! おかげで合法的にくっつけた!
「そ、そういうわけで……今回はこの挨拶のために来ました。それでは舞踏会の方々、楽しませていただきますね」
リヴェルはそういってから、澄ました表情で歩いていく。ま、まったく意識されていない。
……いや、落ち込んではいけない。
これからだ。
まだまだ、たくさん時間はある。
ゆっくりと、時間をかけて生きていけばいいんだ。
……そう考えただけで胸の中が温かくなる。宮廷にいたころには感じられなかった幸せな気持ち。
……ああ、今私はやっと、自分の幸せを求めて生きているんだ。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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