終章-2 開眼と未来
これにて最終回です。まだ先がありそうなラストですが最終回です。
ところで「しった激励」の「しった」が使えないのは何でなんですかね……。
「内藤昌豊、そなたは自らの意見が用いられぬ事を恨みに思い武田家の当主であるこの武田勝頼を小寺に幽閉し、武田軍をほしいままにした」
長篠の合戦から二日後の五月十六日、勝頼は遠江の高天神城で口上を述べていた。武田家当主を小寺に押し込め武田軍の実権を握り込んだ謀叛人、内藤昌豊に対しての裁きを下す為である。
だが、その声に迫力はない。棒読みという言葉がここまで見事に当てはまる物かと勝頼自身呆れ果てていたぐらいである。
「その結果我が側近である跡部大炊介を織田に追いやり、武田の機密を流出させた。その罪、断じて許される物ではない。ましてや自らの手に武田軍の実権を握り込んだ結果、馬場信房ら四人の将と三千近くの兵を失うとは全くもって愚かである。よって、この高天神城にて切腹する事を命ずる」
「ちょっと待ってください、それでは」
「それでは何だ、不服か」
「ええ」
白装束を身に纏い地下に座らされている昌豊の反論にも、勝頼はやはりそう言ってきたかと言う気分にしかなれなかった。
「切腹如きで済まされる事を、それがしがやったとお思いですか」
「ご、如きとは、如きとは……」
勝頼は昌豊に向けていた目線を慌てて手元の書状に動かした。
そこには打ち首の上さらし首と書かれており、切腹とは書いていない。要するに、勝頼はたった今書状の内容を言い換えたのだ。
「まさかとは思いますが、この謀叛人の命が惜しいとおっしゃるのですか?」
「馬鹿を言え!謀叛人の命を惜しむ奴がどこにいる……!」
昌豊の言葉を強く撥ね付けた勝頼だったが、内心では自分に呆れ果てていた。
(……ここにいるのだがな)
たった今、自分がいる訳がないと言い切った「謀叛人の命を惜しむ奴」というのが自分である事を、勝頼はよくわかっていた。
(これほど武田の事を慮っている男を殺さねばならないのか……)
勝頼は昌豊を失いたくなかった。跡部勝資を織田に追いやったと言ったものの、勝資があれほど派手に撤退宣言をしたはずの自分に気付かず馬場軍が崩壊するのを喜んで騒いでいた有様を目の当たりにし、勝頼は勝資に絶望すると同時に昌豊のやった事を謀叛と呼ぶ気が全く失せていた。
「甘過ぎます!」
そんな勝頼の心を読み切っているかのように声を張り上げたのは山県昌景だった。
「武田家は謀叛人に断固たる処置を取れないほど脆弱である、そう思われたいのですか!そんなのはそれがしだけで十分です!」
昌景の兄・飯富昌虎は武田義信の守役であったが、義信が謀叛を起こしたと疑われ自決を強要された際に、謀叛の首謀者の一人として切腹していた。その結果飯富姓を名乗りにくくなった昌景は甲斐の名族である山県の姓を受け継ぐ事になった。
とは言え、その謀叛人の最大の庇護者である飯富昌虎の一族が武田の宿老の座にいるのは紛れもない事実であり、その点では信玄の処置も甘いと言わざるを得ない。ここで功績があったからと言って昌豊の命を救うような事をすれば、武田家の威信はさらに低下するだろう。
「わ、わかっている……だが、これまでの功績と言う物がある!」
「功績があれば罪を犯しても刑を引かれると?」
「内藤家の家禄は全て召し上げ、一族の者は全てわし自らの預かりとする!どうだ、これでも不足か!?」
「昌豊の御首はどうなさるので?」
「せめてもの温情として、故郷に埋めさせてやる!」
「残念ながら、まだ甘いと言わざるを得ませんな」
「甘いだと!?すると何か、昌豊の三族を皆殺しにしてその全員の首を躑躅ヶ崎館に晒せとでも言うのか!?」
「この際です、いっそその方が」
「大概になされよ、山県殿!!」
昌豊の処分について勝頼と昌景が激しくやり合っている所に、突如昌豊本人が首を突っ込んで来た。
「いい加減、お館様を一人前と認めてあげてもらいたい!!」
「何を急に……そう認めていなかったからこんな暴挙を働いたのではないか!」
「認めているのならば、お館様の処分にああだこうだ文句をつけないでもらいたい!まあこんな事をやった手前三族皆殺しは覚悟しているが」
昌豊の文句をつけるなと言う言葉に、昌景の顔色が変わった。
「そ、そうか……だが昌豊、そなたがお館様を一人前と認めていなかった、それは覆しがたき事実ではないのか?」
「否定は致しません」
今の二人の、いや自分を含めて三人のやり取りがほぼ筋書き通りであった事は勝頼もなんとなく承知していた。一人前云々と昌豊も昌景も言っているが、自分が一人前の当主でない事は勝頼自身が一番わかっていた。謀叛人の処分さえまともにできない自分が、一人前であるはずがない。
「もうよい!昌豊はこの高天神城にて切腹、内藤家の家禄は全部没収、一族はわしの預かりとする。これが決定だ、異論は一切認めん!!」
勝頼はこれ以上の議論は価値なしとばかりの厳しい言葉を放った。
そしてその厳しい言葉は、言うまでもなく自分自身への励ましでもあった。その言葉と共に昌景が無言で頭を下げたのを見た勝頼は、涙を無理矢理にこらえながら右手を振った。
まもなく、昌豊の切腹の儀が開始された。
「何か言い残す事はないか?」
「馬場殿が真田を道連れにした理由をお考えくだされ、ただそれだけです」
勝頼の呼び掛けに、昌豊は淡々と答えた。まるで、ここに来るのが予定通りであり、勝頼のこういう質問に対してはこう答えるのだと言う、あらかじめ定められた台本をなぞっているかのような。
「では…………」
昌豊はその二文字を言うや自らの腹に刀を突き立て、作法通りの十字腹に自らの腹を切った。そしてそれを確認した介錯人の手により、昌豊の首は宙を舞った。
昌豊の胴体から鮮血が噴き出すと同時に、勝頼の目から涙があふれた。ここまで武田の事を思っている男を遠ざけ続け、かつての上官の死を心から喜ぶような矮小な男を側近にしていた自分が悔しく、情けなかった。
「泣いている暇はございません、信長は今回の戦を勝利とは思っていないはず。続いて何らかの手を打って来ると考えるべきでしょう」
「そうだな……それで信長はこの高天神にまで来ると考えているのか?」
自分とて胸が張り裂けそうに悲しいはずなのに、あくまで冷静さを失うことなく言葉を投げかけてくる昌景に、勝頼は必死に涙と悔しさをこらえながら言葉を紡いだ。
「いえ、おそらくは岩村……」
美濃の岩村城は三年前、信玄在世の際に武田軍が秋山信友の手によって奪取し、今も信友が城主として君臨している。美濃は尾張と並ぶ織田家の本領であり、織田の人間からすると実に気持ちの悪い存在である。
「岩村城を陥落させて武田に対しての勝利を喧伝するつもりか」
「そう考えられます」
「では早速援軍を送らねばなるまい」
「それならば、内藤殿最期の言葉をお取りいただければ幸いでございます」
「最期の言葉……?」
昌豊の最期の言葉、勝頼にはその意味が分からなかった。
「真田信綱殿、昌輝殿両名がお討死した今、真田家は誰が中核となるのでしょうか」
「あっ!」
昌景の指摘で、ようやく昌豊の最期の言葉の意味に気が付いた勝頼は思わず声を上げてしまった。
「必ずや武田を支えてくれる人間になると、それがしは信じております」
「わかった……それで、彼に内藤軍をつけるというのか?」
勝頼の言葉に、昌景は黙って頷いた。
「すまないな皆、この至らぬ男の為に」
「武田家に仕える者の勤めを果たしているだけにございます」
「わかった……」
そう小声で呟くと勝頼は一人の男を呼んだ。昌豊と信房、昌景が次代の武田を託せると判断した一人の男を。
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「大変でございます!」
昌豊の死から一月後の六月十四日、信長は嫡子織田信忠と寵臣河尻秀隆に包囲させていた岩村城に自らもまた当たるべく岐阜城に入っていた。その岐阜城で、信長は思わぬ報告を聞く事となった。
「岩村城を包囲していた信忠様の軍勢が、救援にやって来た武田の援軍により大敗!副将の河尻秀隆様を含むおよそ千五百の兵を失いました!」
「何だと!河尻を討ったのはどこの誰だ!」
「わかりません」
「わからないとは何だ!」
「いえ、足軽だったので……」
「河尻め、足軽如きに何をやっているのだ!それで信忠も信忠だ!いったい武田はどれぐらいの軍勢でやって来たと申すのだ!」
「およそ三千五百かと」
そこまで使者とやりとりを続けた所で、下座にいた秀吉が真っ青になっていたのに信長は気が付いた。
「どうした筑前?」
「ま、まさかとは思いますが……その大将の名は真田では?」
「そ、そうです!なぜご存じなのですか!?」
使者が驚きながら秀吉の言葉を肯定するや、秀吉の顔がさらに青ざめた。
「筑前、真田がどうかしたのか?」
「わしは考えておったのです。長篠で上様を弄んだ輩が誰なのかを。内藤か、馬場か、山県か……ですがどう考えてもしっくり行かなかったのです。彼らは年齢も年齢だけに、この場を凌ぎ切っても先は見えております。果たして、この先の武田を守れるのかと」
「それで、次の武田を託せる優秀な若手を探しておったと」
「それが誰だかわかりませんでしたが、今気が付き申した。彼らが次の武田を託す存在として選んだのが、真田であると」
長篠以前まで、武藤喜兵衛を名乗り信玄の近習として信玄の軍略を肌身で学んでいた信綱・昌輝の弟、真田昌幸。兄二人の死により真田の家名を継いだ真田昌幸。いや、兄二人が犠牲になる事により、真田家当主として武田の中核に関わる権利を得ることになった真田昌幸。彼こそ、信房と昌豊が次の武田を託した存在であった。
「おそらく、内藤家にいた連中は全部真田の支配下に入ったでしょう。内藤軍の配下ならば精鋭、身分は足軽でも河尻殿を倒す技量の持ち主がいた所で」
秀吉がそこまで言った所で、信長は右手の扇子をへし折った。
「おのれ真田め!これよりすぐわし自ら岩村城へ侵攻する!!」
怒り、憎しみ、そして闘志。様々な思いをない交ぜにしながら、信長は叫んだ。
そして、それから七日後。信長は岩村城下に、信忠軍・秀吉軍を含む三万五千の手勢を並べていた。
一方、岩村城には真田昌幸が秋山勢を含め八千余りの兵と共に立て籠もっていた。
「行くぞ!貴様と共に、武田の未来を屠ってやろう!」
「来るなら来い!長篠に散った馬場殿と兄上たちの無念、今ここで晴らしてくれる!」
お互いの声が聞こえてもいないはずなのに、信長と昌幸はほぼ同時に叫んでいた。
長篠から一月あまり、織田と武田、真の決着を付けるための戦いが、今岩村の地にて始まろうとしていた。
了
ここまで読んでいただきありがとうございました!