第三章-1 脱出と幸運
ここから3話ほど、鳥居強右衛門中心の話になります。
「無念でございます!二の丸も武田の手に渡ってしまいました」
五月十一日、長篠城本丸に奥平軍武将の悲鳴が響き渡った。
「いよいよ残るは本丸のみか……」
「援軍はどうしたのですか!」
「岡崎に木瓜紋の旗が上がっているそうなので到来はしているようだが」
「勝頼も援軍の到着に気が付かない阿呆ではないと言う事だ」
奥平家当主・奥平貞昌は立ち上がって天守閣の西側の窓に歩み寄り、そこから眼下に広がる風景を見下ろした。そこは武田の軍勢でぎっしりと埋め尽くされており、蟻の這い出る隙間もないという言葉がこんなに似合う物かと本気で呆れたほどである。
ちなみに貞昌は武田軍の指揮権が内藤昌豊の手にある事など知らない。もっとも知った所でどうにもなるものでもないが。
「あとどれだけ持たせられると思うか、正直な意見を述べて欲しい」
「それがしは正直あと三日ほどかと……」
「それがしは一週間は持たせられると思うが」
「三日だの一週間だの言うな!この城は落ちん!」
「しかし実際武田が損害無視で攻めかかれば二日持つかどうか……」
将たちは貞昌の言葉に答える様に己が胸の内を極めて正直に吐き出したが、信長の本音がわかっている貞昌はいささか気の毒な気分で彼らを見つめていた。
(我らは武田勢を引き付ける囮。信長公にとって重要なのは長篠城より勝頼の首。まあこの戦いで武田勢を砕けば長篠城など簡単に取り戻せるからな………我らが全滅し、長篠城をいったん失ったとしてもな)
徳川にとって奥平家は反復常ならぬ家であり、今現在心底から奥平家を守りたいと思っているかと言うと正直疑わしい。ましてや織田にとっては奥平家などほとんど赤の他人であり、奥平家と長篠城の内片方しか取れないとなればまず間違いなく長篠城を取るだろう。
そんな絶望と不安が覆う城の中に、突如大声が響き渡った。
「申し上げます!それがしを岡崎まで行かせて下さい!」
「誰だ?」
「それがしは鳥居強右衛門なる者でございます!是非とも、それがしに岡崎への使者の役目をお申し付けください!」
鳥居強右衛門なる三十半ばほどの男は、貞昌に援軍の使者たる役目を任せられる事を必死に乞うた。
「しかし……」
「元より生死は顧みておりませぬ!」
「実際問題、どうやってこの包囲網を抜け出すのだ?」
「夜陰に紛れ地下を潜り岡崎の方へ抜けます」
「岡崎の方へか……?」
「無論!」
「しかし西側の警備は厳重極まりない、抜けるならばまだ北側か南側の方が」
西側は岡崎への最短距離であり、織田・徳川軍がやって来た場合最前線となる位置でもある。兵が多いのは当然の話だ。
「だからこそ、敵も脱出を計って来るのならば北か南と考えるはず!」
「しかし確かにそうだとは言え……」
「それがしの様な端武者一人を惜しんでどうするのですか!このまま座して武田の刃にかかって犬死するを待つぐらいならば、万が一つの可能性に賭ける方がよっぽど増しと言う物!どうか、一死をお賜りくださいませ!」
「わかった。今より書状をしたためる」
「ありがたきお言葉!」
強右衛門の力強い言葉に、貞昌も遂に折れた。
「そなたが帰ってくる場所は残しておく。織田様と殿の元に何とかたどりついてくれ」
「この一命を賭してお役目お伝えいたします!」
「それで、今夜そなたが脱出するとなると我々もやらねばなるまい。夜襲の準備を整えておいてくれ」
「それは……」
だが最後の強右衛門脱出をごまかすための夜襲を行うと言う言葉に対し、強右衛門は口こそ開かなかったが首を傾けて難色を露わにした。
今夜強右衛門が城を出るとして、岡崎への到着が早く見て明日の昼ぐらい、それからすぐ兵を出してくれたとして四万近い軍勢が岡崎から設楽ヶ原まで行くのにおよそ一日半かかる。つまり今日を含め最低でも三日は長篠城を持たせねばならない。
前後の細かい行き違いにより生ずるであろう齟齬を考えれば、せめて五日、できれば一週間ぐらいは持たせたい。だが、もはや本丸しか残っていない長篠城に蓄えられている物資など高が知れている。その少ない物資を夜襲などで消費しては、援軍に間に合わない可能性が高くなってきてしまう。
さらに言えば、夜襲を仕掛けられて怒り狂った武田軍が長篠城を落とすまで何があっても後退禁止と言わんばかりの強行軍で仕掛けてくる可能性もあるし、夜襲をかけたどさくさに何かしようとしているのではないかと読まれて却って強右衛門を危険にさらす可能性も否定できない。
「すまなかった、出過ぎた気遣いだったようだ」
「いえ、ありがたきお言葉でしたが、それがしにはいささか過ぎた配慮です」
強右衛門が難色を示した理由を悟った貞昌は素直に謝意を述べ、強右衛門もまた素直に頭を下げた。
そして戌の刻(午後八時)、強右衛門による長篠城脱出が始まった。
「花菱の紋とは、これはまた面白い」
西側にずらりと並ぶは花菱の紋の旗、馬場信房が軍であった。武田家を陰日向で支えて来た天下の名将の軍勢をすり抜ける事になるとはと、強右衛門は内心武者震いしていた。小声で己が決意をつぶやいた強右衛門は眼下に並ぶ花菱紋の中に飛び込むべく石垣を降り始め、やがて地に足を付けた。
「痴れ者が!」
そこに突如、太い怒鳴り声が飛んで来た。強右衛門は己が見つかったのかと一瞬ひやりとしたが、そうではなかった。
「申し訳ありません、敵夜襲に備えておりまして」
「備えるのはよいがこれはやり過ぎだ!千人起きていれば大丈夫だと言ったろう!」
怒鳴り声を上げていたのは馬場信房である。その怒鳴り声から察するに、城からの夜襲に対する警戒方法について何らかの齟齬が生じたようだ。しかし、これは強右衛門にとっては間違いなく天祐だった。
(この隙を突くしかない)
今なら馬場軍は軽度とは言え混乱状態にあるはずだ。この好機を逃すまいと、強右衛門は息を殺しながら駆け出した。
「やっぱりさすがに半分はやり過ぎだと思ったよ」
「だが千人は起きていろと馬場様は仰っている。俺たちは休める側だがまだ休めない連中も結構いるのだから不用意な事を言うもんじゃないぞ」
「ったく、馬場様はまだ長篠の連中を警戒しているみたいだが城方にそんな力が残っているのかね」
「相手は徳川だぞ、三方ヶ原でとっくに死んでいたはずの家康がいまだに生きているのは配下の連中があれだからだろ」
「ああ、家康様の為なら百万回死のうが知った事かと言わんばかりのな」
兵たちは雑談しながらせわしなく動いていた。
(さすが馬場美濃…生易しい考えであんなに松明を焚かせていたのではなかったのだな)
西側に信房率いる武田軍が駐留してからと言う物、夜間でも大量の松明の炎が途絶える事はなかった。貞昌や強右衛門はこちらを威圧する為に松明を焚かせていたのかと思っていたが、実の所は城からの夜襲、そして脱出を警戒していたのである。
長篠城の包囲が完了して十日以上経ち、残るは既に本丸一つになってしまったのにまだこんなしっかりした警戒を行っていると言うのだ。だがこのままでは警戒に力を割きすぎて疲労が大きくなり間もなく来るだろう織田・徳川軍に対処しきれないと考えたのか、たった今信房自ら過剰な警戒を叱責していた所を強右衛門がすり抜けようとやって来たのだった。
「そなた!いったい何者だ!」
「へい……なんか戦があるっつー事で浜松の弟の所さ避難しようと思ったんですが……」
「ああそうか、邪魔だ邪魔だ、早く行け!」
強右衛門は必死に歩を進め、途中で馬場軍の兵に誰何された際も農民の振りをしてごまかす事に成功した。無論、こんな事態を予測して装束は農民のそれに着替えてある。それでも本来ならば捕らえて信房の所に付き出すべきなのだろうが、信房の指示を遂行する事が最優先になっていた将兵たちはそこまで頭が回らなかった。 その点では、信房も抜かったと言える。
まあ実際問題この極限の状況まで来ると脱出するも籠城を続けるも、警戒を厳しくするも緩くするも、駆け引きと言う次元を越えて天運のなす所であり、天運が徳川方に微笑んだと言うだけの話かもしれない。
とにかく、戦の神に愛されたと言うべき男、鳥居強右衛門は武田の名将馬場信房の陣を潜り抜けると言う大業を成し遂げた。