書く気があっても、書けるかは別の話。
「あぁぁぁぁぁぁ!」
部屋の中で俺は叫ぶ。防音しっかりしてるマンションで助かった。
頭の中でまだ聞こえる。書けと迫ってくる声が。
「くそぉぉぉお!」
土曜日、なのに朝から起きて俺は挑む。
枯れた泉から無理矢理絞り出した物語の欠片を並べる。けど、どれも、とても俺が書いたとは認めたくない話ばかり。
締め切りに迫られたやっつけ仕事のようだ。それでも世に出してしまっても良いのは、ある程度名作を出した大作家くらいだ。まぁ、そんな大作家も余程の事無い限り出したくないだろうけど。
麦茶のパック、そういえば二回が限界で、三回目は十分置いてもただのお湯だったな。
作家は、どれくらいで出がらしになっちまうのだろう。
「いや」
凪の顔が、信頼に満ちた目が頭に浮かぶ。
俺のその場しのぎの書き溜めた話を楽しそうに読んでいた凪を。
それは、まだ残っているちっぽけな作家擬きとしての意地に、プライドに火をつけるには十分だった。
「嫌だな」
一人のファンを裏切るなんて、俺には無理だった。
「……荒谷さん?」
「おら、何でも命令しろ。ハグか? 頭撫でるか? 褒め倒すか? それとも一日執事として過ごすか?」
「……あの、荒谷さん。いつもと違いますね」
「自分の無様さがな……それより、良いのか? 休日なのに」
「休日でも喫茶店は開いてますから。今頃お客さんの所ですよ、二人とも」
土曜日、一日かけても俺が納得する話は欠片も湧いてこないで、部屋で呻いているところ、凪が来る足音が聞こえて、ようやく一日が終わりかけていることに気づいた。
「一度、君の親御さんと話した方が良い気がするんだ?」
「何をですか?」
「この部屋出入りして飯食わせてもらってること」
「あぁ、知ってますよ。うちの親」
「……は?」
「知ってます。流石に気づかれますよ、娘が夜中に、休日には朝から出歩ているのですから」
「マジで?」
えっ、それで許してくれているの、ご両親、懐広すぎない?
「今まで良い子にしていたので。その分ということで」
柔らかく、凪は微笑んだ。
なんか、悩んでいたことがどうでも良くなっていく。
「君の笑顔、人を駄目にするよ」
「へ?」
「何でもない。それで、命令は?」
「あ、あぁ……じゃあ、はい、アーン」
気がつけば用意されていた夕飯のハンバーグ。それを一口サイズに切って、フォークに刺して差し出してくる。
「……アーン」
顔が引きつりそうになるのを抑えながら、それを食べた。
「くっ、凪、アーン」
何となく、俺も凪に差し出してみる。
「……? アーン」
小さく口を開け、躊躇いがちに食べる。
「うん、良い味です。ソースも焼き具合も完璧ですね」
「……どう思った?」
「もう一口良いですか?」
目を輝かせて真っ直ぐにこちらを見つめて来る。
「マジで?」
「はい、あーん」
さっきよりも積極的に待機姿勢。これが燕の親の気持ちか・
「アーン」
差し出すと、嬉しそうに食べる。
「あっ、あとでこの時の様子もちゃんと書いて見せてくださいね」
「わかったよ。ったく、こんなオタクで地味な奴にされて嬉しいのかねー」
「嬉しいですよ。荒谷さんは憧れの恩人ですから。それに、荒谷さん、見た目悪くないと思いますよ」
「ねぇよ。市川見てるだろ」
あいつ、性格と人間関係はあれだけど、彼女がどんどんできるだけあって見た目良いからな。
「市川さんは、見た目の良さとそれ相応の事をやっているから、女性をとっかえひっかえできるのです。荒谷さんはその相応の努力が足りないのですよ」
「素材の問題をどう解決するんだ」
「素材は良いと言っているのです!」
頬を膨らませて、あからさまに怒ってますアピールをしてくるが。
「信者に片足突っ込んでる君に言われても、客観的な意見として参考にはできないな」
全く。
そもそも、見た目良くして女作ってどうこうとか、俺には向ていない。それをするにはまず、俺の口が悪すぎる。
思えば、凪にもそこそこ酷い事を言っている気がする。凪の場合は、結構わざとな所もあるが。
「まあ、見た目だけで人を選ぶような人に、良い人が来る確率は、低いと思いますけど」
苦笑い、自嘲気に。
どこか物悲しそうに、凪は笑った。
「なんかあったのか?」
「ありましたけど、その頃の私は、私ではないので」
振り向いた時の凪は、俺が店に通い始めた時の、無表情無感情の、コーヒーで二時間粘る俺に向けていた軽蔑だと思っていたものだった。
「荒谷さん。明日も期待しています」
「あ、あぁ」
それから少し、キーボードに指を走らせる。凪の好きそうな感じに仕上げる。
「ほら、注文の品だ」
「はい、毎度ありがとうございます」
そうして、凪はニヤニヤしながらそれを読みふけっていた。
そんなに良いものかね。
「あっ……」
先に声を上げたのは、影山さんだった。
「いや、逃げるのかよ」
大学からの帰り道、自転車で走っていた俺の正に正面から歩いてきて、俺を見た途端、曲がり角を曲がろうとしたのである。
「あっ、い、いえ。うっ」
「んな気まずそうにされても」
「だ、だって、怒る……」
「んで、なんだ? 市川ならまだ大学にいるぞ。そのまま俺とすれ違えば行けるぞ。そこ曲がっても行き止まりだ」
「……まさにこの曲がり角曲がって、行き止まりになっている家が、私の家です」
「ふぅん」
なんだ、逃げたわけじゃなくて、帰宅を試みただけか。
「そうか、引き留めて悪かったな。それじゃ」
ペダルを踏みこむ。別にこの子に特段用事があるわけじゃない。
「あっ、あの……寄って、行きません?」
「彼氏持ちが男をほいほい家に誘うな」
「あ、あの。お詫び、したくて、その、サボって、迷惑かけた分」
「働きで返せ」
しかし、端正な顔立ちの中に子どもっぽさを混ぜた顔を、今度は上目遣いにうるませて向けて来るのだ。
シフトの代わりをねだる時より、厄介である。
「わかったよ。行けば良いんだろ、行けば」
「わかれば、良いのです」
全く、接客はしっかりできるのに、なんでこう、仕事が終わるとたどたどしくなるのだか。
「なぜそこで急に偉そうになるかな……」
影山さんの家は、何というか。生真面目な雰囲気を出していた。
家には、住んでいる人の性格が出ると思っている。という今までの俺の仮説は、証明された。と言うにはサンプルが足りないか。
「どうぞ」
「お邪魔します」
「親はいません」
「そうかい」
いても困るからいない方が助かる。
家の中はそこまで明るくないし、小奇麗というわけでも無い。換気ちゃんとしているのか、と聞きたくなったが、そこは堪えた。
「手、出します?」
「何が悲しくてリアル女子高生に手を出さなきゃいけないんだ。彼氏持ち」
「冗談、です」
「冗談言うの下手くそかよ」
リビングに入って目に入ったのは所狭しと並べられた賞状の数々。テレビの目の前のソファーに座らされる。
トロフィーも窓際に並んでいる。埃被っているように見えるが。
ちらりとキッチンの方を見れば、三人分の、恐らく朝食だろうか。その食器が並んでいた。時間が無かったのだろう。
「……ピアノにバイオリンに、そろばんに。剣道の段位認定書。また随分と色々やってたんだな」
「全部、やめました」
きっぱりとそう言い切る。
「それより。飲み物出しますね。オレンジジュースと紅茶、どちらが、良いですか?」
「オレンジジュース」
「わかりました」
こういう時は、どっちかちゃんと選んだ方が良いって、何かで読んだ。
窓を開けたい。この家だけ、外と切り離されている感じがする。せめて冷房を……けれどそれを言うほど俺は図々しくなかった。
こっそりと、持ち歩ているタオルで汗を拭く。
「お待たせしました」
「うん。ありがとう。それで、俺を呼んだ目的は? お詫びとか何とか言ってたけど」
「荒谷先輩って、彼女いた事ありますか?」
「ねぇよ。見てわかるだろ」
「見てわからないと思います。そういうこと。人は見かけによらずと言いますし」
こいつさらっと中々失礼な事言って無いか? 正論だけど。
「だけど良かった、です。私、初めては、同じく初めての人に、貰って欲しいと常々思って、いまして。はい。どうです、か?」
「はぁ」
「貰って、ください」
「何言ってんだおめぇ。さっきも言ったが、何が悲しくてリアルの女に手を出さなきゃいけないんだ?」
「逆に聞きたい、のですが。なぜOkと言っている女性に、手を、出さないのですか? 据え膳食わぬは男の恥、って言いますし、リアルの、何が駄目、なのでしょう」
清楚さ漂わせる雰囲気で、おずおずと爆弾を連投してくる。怖い。
「お前あれか、清楚ビッチか」
「経験ないので、ビッチの定義には、当てはまりません」
「はぁ。何で彼氏でもない男に貰ってもらおうなんて発想に至るのかねぇ」
「悪い事、ですからとても。最強に」
まじで市川の彼女、意味わからねぇ。
「帰るわ。くだらねぇ。自分の身体で詫びになるって思ってるのも気に食わねぇ」
「……確かに、貧相、ですけど」
「そういうことじゃない。貧相なのは一定層から凄まじいまでの需要があるだろうよ。ったく。じゃあな。ジュースごちそうさん。拘りある癖にやり方に拘りが無いってのも、可笑しな話だな」
「……男の人にも色々あるのですね」
「なんだ、誘えばみんななびくと思ったか? そうだと思ってたなら、一人でシーソー遊びしてないで、市川のナンパなんか振り切って誰かと恋人になっときゃ良かったんだよ」
これ以上話す事も無い。家を出る。
夏だな。まだ明るいよ。外。




