真面目少女のコンクール。
こいつら、本当に親か?
そう思いながら、恐らく俺より五層くらい上の社会的階層にいるであろうやつらを見回す。
コンクールという勝負の場の割に、目はそこまでギラギラしているわけでもなく、緊張している人たちの中には、日常の中にいるような、平然とした人もいる。この特殊な空間の中では、逆に目立つ存在だ。
しかし、保護者までなんかちゃんとした服着ているし。凪に言われて、そこそこちゃんとした服を着てきたが、正解だったな。従っていなかったらわりと恥ずかしい思いをしていたかもしれない。
「良い? 勝つわよ!」
「う、うん……」
聞こえてきた会話。
うわ、プレッシャーかけちゃってるし。子どもの肩に力が入ったのが見えた。ガチガチだ。
はぁ。気合を入れるのも大概だな。親の期待を受けるのも疲れるんだよ。子どもは。無責任な。
「影山一人見るためにあと何分待つんだ?」
「まぁまぁ、諭さん。会場、入りましょ」
「ん」
凪の言葉に素直に従おう。多分、こういう場は凪の方が詳しい筈だ。偏見だが。何となくそんな感じがする。勘だが。
でもよく見れば、結構ラフな格好をした人もいる。正解がわからなくなる。
重く厚い扉。演奏中は出入り禁止という注意書きを横目に中に入る。とりあえず、真ん中の方の、開いている端の方に座る。ステージがよく見える。
中は思いのほか広くて、椅子も、結構座り心地が良い。ビデオカメラを構えた、端から見れば迷惑な親でもいるかなと思ったけど、それも見当たらない。みんな整然と座っている。撮影禁止とか、なのかな。
場内アナウンスが終わり、話し声がまったく聞こえなくなる。
そして、名前が読み上げられ、静寂した空間、ステージの中心にポツンと置かれたピアノ。ただそれだけでは役に立たない、ただデカいだけの置物。
奏者をただ待ち続けるだけ。相応しき者が現れ、初めてその価値を発揮する物。
だからまぁ、ピアノの値段とか、やたら高いけど、うん。やっぱ金を積んでも奏者がいない家に売るべきじゃない気がするんだよなぁ。ただの置物になって、作った人にも古くから伝わる技術にも失礼な気がするんだよ。
曲が流れる。
音楽の事はからきしだから、良いとか悪いとか、つまらないとか面白いとか、そんなありきたりな感想しか頭に浮かばない。
まぁでも、そこそこ伝統あるコンクールらしいし、きっと上手ではあるのだろう。
でも、上手だからこそ、ミスが目立つんだ。調和の中に現れる乱れ。白い紙に墨汁一滴垂らしたような。静かな空間なら、ペンを一つ落としただけで、みんな振り返る。
ここからは見えないけど、あの男の子は心底焦っているだろう。あぁ、やってしまったと。ミスを取り返さなきゃと。
「テンポ、走っちゃってるなぁ」
隣の凪が、そう呟いた。
俺にはわからん。うちに置いてある楽器とか、琴くらいだ。祖母がやってる。やたら上手いとか、近所の人が言ってたな。
深夜、睡眠を妨害されても、あの琴なら許せると、言ってた気がする。
揺り起こされて、目を開けた。影山の番らしい。同じ曲をずっと聞いてると、飽きる。審査員、大変だな。居眠りとかしないのか。
何で俺達がここにいるのか。それは、影山にとって滅茶苦茶大事なコンクールらしい。
何でもこのコンクール獲れば、音大の推薦が狙えるとか何とか。帰って来た家族に恵まれなかった天才。とか呼ばれているらしい。
すげぇな。知り合いに、世に認められた天才がいるって。
世界は違えど、俺が求めている光を浴びている人がいる。
そう、今まさに、ステージの上で、鍵盤に手をかける。
影山涼香が、この会場の全ての視線を、奪う。
音を全身で浴びる。
なんだろう、これは。
この影山の、奥に秘めた強さは、何だろう。
何で、こんなにも、心に染みるのだろう。
目を閉じた。寝るためじゃない。直視してたら、泣いてしまいそうだから。
それでも、音は容赦なく、いや、視界がシャットアウトされたためにより際立って、押し寄せる。
俺は馬鹿だ。逃げようとして、結局向かって行っている。
俺は、欲しいものが、多すぎるな。手に入らないから、諦めたふりをして、結局、欲にまみれた。愚かな、泥臭い、人間だ。
「すごかったよ」
「ありがとうございます。この調子なら、本選もいけそうです」
「あぁ」
晴れやかな表情。たどたどしさを失くした、影山らしからぬ口調は、まだ興奮が残っていることを感じさせられる。
ただ椅子に座り、ただ鍵盤を叩き、音をかき鳴らすだけで、どうして感動させられるのだろう。
どうして妄想を文字に起こし、見せるだけで、人を感動させられるのだろう。
何の益も無い。何の役にも立たない。合理主義の人間が見れば、唾棄すべきこと。
「諭さん?」
「荒谷先輩?」
二人の年下の女の子は、不思議そうな目を向ける。
凪の手が伸びて来る。目元を拭う。
「えっ?」
あれ、何で今更。
慌てて拭いて、上を向いて。落ち着くのを待つ。幸い、すぐに止まる。
「あはは、影山、お前の本気、刻まれたよ、しっかりと、記憶に、心に」
「嬉しいです」
影山という名前に相応しい、黒いドレス。髪をセットしたのは凪。アップにまとめて、装飾は控えめ。化粧も薄め。顔色が少し明るくなる程度。
清純に、真っ直ぐに。何かに挑むように。何かに祈りを捧げるように、真摯に、鍵盤に、向かい合う姿。 俺は、彼女に憧れた。
家に帰っても、俺の心はどこかに飛んでいた。
ぼーっとして、せっかく開いたパソコンも、表示された画面は一文字も進んでいない。
「天才、かぁ」
羨ましい。
もし、俺に才能があって、それに早々に気づいていたなら、俺は、どうなっていたのだろう。もっと楽しかったのかな。それとも、才能によるプレッシャーに、押しつぶされていたのかな。
こうして、ある程度視野が広くなる歳になって、色々見えてきたから、天才もわりと大変なんだろうなって思う。
才能に胡坐かくだけならすぐに限界が来ることはわかるから。
才能あるやつが、常人の何倍も努力する。だから、常人では行けない領域に辿り着く。ただそれだけ。だから、勝てない。
スタート地点が違うんだ。成長限界が、違うんだ。
「諭さん、また泣いてます」
「は?」
目じり拭う、優しい指。
凪は、ペロッと拭った指を舐めた。
「どうして舐めるんだよ」
「本当は、諭さんが苦しいの、全部飲み干しちゃいたいくらいなんですけど、それは流石に無理なので」
「ただ僻んでるだけだ」
そう。人間の、俺が嫌う人間の醜さは、俺も例外なく、持っている。
あぁ、嫌いだ嫌い。
凪の顔がゆっくりと近づく。
「……いや、直接舐めんなや」
「泣き止まないと泣き止むまでこうします」
「いや、こえーよ」
ったく。
「凡人は凡人なりにやるさ。全く……」
凪を膝の上に移動。その後ろから手を回して、キーボードに手を置く。
「あら、執筆風景は、なるべく見られたくないんじゃないか、と思っていたのですが」
「今更だろ。もうお前に見られて恥ずかしい所なんて無いよ」
弱い所も、脆い所も、内面も、俺が知っている俺は、全部見られた。
「だからまぁ、良いよ。別に」
指を走らせる。心が赴くままに。頭は自動的に、色々考えてくれた。
努力だけで、どこまで至れるのか。
心は、何を、世の中は、人は、何を求めているのか。考えて考えて、そして、書く。
息を吐いた。パソコンに表示されたデジタル時計は、そろそろ夕飯の時間を指していた。
あっ、凪を抱えたままだから、夕飯無いや。良いや。別に。
なんか幸せそうに寝てるし。
そのまま、ソファーに横になる。俺も、目を閉じた。少しだけ、疲れた。




