甘党少女を近くに感じる時間。
呼び鈴が鳴った。エントランスじゃない。お隣さんだろうか。回覧板はポストに入れておく人なのだが。何か用事があるのだろうか。
覗き窓から一旦覗いてみる。
「ん?」
凪と同じ高校の制服を着た女子三人が、部屋の前で居住まい正して立っている。
はて、俺の部屋を女子高生が訪ねてくる、なんてことはあるのか? 普通に怖いぞ。JKだぞJK。冴えない存在には目を向けないか、目を向けてもなんか映えーな感じで作り変えるかだろう。
部屋を間違えているのでは? 何て考えるが、それはすぐに打ち消される。
凪だ。
凪がそこに立っていた。
「ふむ……」
開け、るか。凪はこの部屋の鍵を持っているはずだが、まぁ良い。
扉を開けた。
「あっ、諭さん。お久しぶりです」
「あぁ。久しぶり」
良かった。
反射的にそう思った。晴れ晴れとした顔で、制服に身を包み、友達と一緒にいる。そうだ、これで良い。これが、一番凪のためになる。
俺はもう歩いて行ける。凪も、自分の足で歩いて行ける。
もしも、その上で……。
「こんな所で話すのもあれだし、上がりなよ」
「はい。お邪魔します」
扉を抑えて三人を通した。
「荒谷、先輩。ダメ、ですね。お互い」
「何が?」
「恋人の再開に相応しくない、という話です。荒谷さん」
「はぁ」
バリバリJKの二人に駄目だしされる、という事は何かあるんだろう。
凪がリビングの入口で立ち止まる。
何を見ているのだろう。別に散らかってはいないはずだ。
「諭さん。そういえば、少し痩せましたね」
「またか」
「えぇ。まぁ。肉が減った、と言うべきでしょうか。代謝が落ちますよ」
「それは困るな」
「えぇ。とても」
凪はゴミ箱の蓋を開ける。
「うわ」
その声に、影山と桐原さんが同じように覗き込む。恐らくそこには、黄色の箱が目を惹く、ブロック型のバランス栄養食の残骸が入っているはずだ。
凪はハッと顔をあげて冷蔵庫を開ける。そこに並ぶは、エナジードリンクとゼリー飲料。そしてボトルコーヒー。
「これ、何日、分の、元気、前借、できるの、ですかね」
「さぁ……」
「……ふふっ」
「……凪?」
肩を震わせ、笑いを堪えているように、一見すれば思えるが、立ち上る雰囲気は決してプラスのものでは無いのがわかる。
「諭さん。健全な創作活動は、健全な生活習慣、ですよ」
「あぁ、そうだな」
「諭さん。最高のパフォーマンスのできる脳、安定した精神。大事ですよね」
「そうだな」
「……諭さん」
「はい」
「これは、何ですか?」
「ちょっと佳境でな。兵糧だ」
「佳境?」
「ん。それで、三人でわざわざ来てどうした」
「あっ、えっと、そうですね」
「ここは私から」
凪が何か言おうとしたが、桐原さんが手で制した。
「冷戦解消の大使、と言った所ですかね。私たちは」
「冷戦って、別に喧嘩していたわけじゃないけど」
「してたわけじゃないって」
「でも、連絡取ってなかったじゃないですか」
「け、ケーキは……」
「一の、甘味より、一の、言葉、です」
「な、なるほど」
わからん。
「えーっと、つまり。大使様は何を?」
「簡単な事です。彼女は頑張ったので、ご褒美をください」
ご褒美、ねぇ。
ご褒美。凪が欲しがりそうなもの。
「んー」
考える。考えて、悩んで、わからず。俺の目は凪を探した。
凪は、話し合いの場を離れて、って、部屋にいない。いつの間に出て行ったのか。
その事に気づいて、俺は二人に目を向ける。二人も、違和感に気づいて、部屋を見回した。
「……」
「……」
「お茶、淹れる?」
「はい」
どこか張り詰めた空気が一気に緩んだ。
「なんというか」
大方、自分の部屋に行ったか、それともスーパーに行ったか。
「今日の夕飯は、そこそこ豪華になりそうだし。食べて行くと良いさ」
「はい」
凪の事だ。二人分も用意する気だろうし。
夜。スーパーの袋を両手にぶら下げ帰って来た凪は、本当に食事四人分用意した。久々にまともに食べた。ホカホカの白米、ジューシーなハンバーグ、添えられたブロッコリー。これが食事だと思い知らされた。いや、知ってたけど。
そして、久しぶりの時間。二人で過ごす時間。
抱き着いて離れようとしない。うるんだ瞳は俺を捕らえて離さない。
「諭さん」
「はい」
「佳境って、結局何が佳境だったのですか?」
「あぁ」
そういえば、言って無かったな。
「ちょっとね。ネット小説界で一番大きなコンテストに応募しようと思って。んで、最低でも十万は超えおこうと。文庫本一冊分だし」
それに、コンテストで賞を取っても、売れるかどうかは、別問題。
日本トップクラスの、名前もかなり通っているコンテストで受賞しても、その後の作家人生が保証されるわけじゃない。
だったら。書き溜めだ。
とにかく、一作品でも多く。審査員に、こいつは書く力があると、見せなければ。
「諭さん。でしたら、もっと頼ってくださいよ。私の事」
「駄目だね」
「なんで!」
「俺も、凪も、一人で歩く力を持たなきゃ」
「そ、そんな……」
「それぞれ一人で歩く力を持って、その上でも一緒にいたいと思うなら、その時は、改めてずっと一緒だ、そう言わせてくれ」
正直、結果はわからない。
俺に、作家になる力があるかなんて、わからない。
何で俺に、一番なりたいものになるだけの才能を、くれなかったのだろう。誰を恨めば良いのだろう。生まれたことを恨めば良いのだろうか。
ただ、配られた手札でどうにかするだけの、こんなクソゲーに産み落としたことを。
ゲームデザインした奴は、二度とゲームを作るな、そう言いたくなるような。
「なっ、わかったか? 凪」
「はい。でも、ご褒美ください。今は」
「ご褒美って、何すりゃ良いんだ? あげられるようなもの無いぞ」
「簡単な事です。私の精神は大分摩耗しました。疲弊です。癒してください」
と言われ、凪はことさらくっつく。もはや密着。そのまま癒着して離れなくなるのでは、ってくらいに。
「肩でも揉むか?」
「それは私がします」
思いのほかあっさりと離れた凪は、俺の後ろに回る。そして、肩に手の感触。それはゆっくりと、凝り固
まった筋肉をもみほぐす。
「やっぱり。凝ってますね」
「そりゃな」
「定期的に、やれば良かったです」
「凪も凝ってそうだけどな」
「どこ見て言っているのですか?}
「今更だろ。というか、俺がご褒美を上げるんだろ。代われ」
凪をソファーに戻して、俺が後ろに回る。
そして、容赦なく始める。うわ、柔らか。全然凝ってねぇ。
くすぐったそうに身悶える様子は、嗜虐心をくすぐった。いや、やめておこう。怒らせるのは、避けたい。うん。
「もう!」
「はい」
「お風呂入りましょ。お風呂」
「あぁ、どうぞ」
「一緒に、です!」
「またか……」
「今度は水着無しで!」
「馬鹿言うな。banされる」
「その発言。メタいです」
という問答の末、しっかりと別々でお風呂に入った。
お風呂上り、やたらうるさいドライヤーで、嬉々として凪は俺の髪を乾かした。
好きな人を近くに感じられる時間は、俺も結構楽しんでいた。




