幸せの探し方。
幸せを感じたことはありますか。
人生、幸せを探すのが目的なんだろうな、なんて思ったのはいつからだろう。
だとしたら、私は目的を達成している。
でも、人間は欲が深い。
幸せを感じたら、さらなる幸せを、ワンランク上の幸せを求めてしまう。
「いってきます」
「本当に、大丈夫かい?」
「心配性だなぁ、お父さんは」
「う、うむ」
「凪、忘れ物は?」
「無いよ、それじゃあ、今度は本当に、いってきます」
早めに家を出る。まだ寝てるだろう諭さんの部屋に寄って、朝ご飯を作らなきゃ。諭さんは別に良いと言うと思うけど、あの人は放っておくと、ご飯を食べないだろう人だから。
付き合い始めて、正式にもらった合鍵。鍵の開くガチャッという音すら、愛しくなる。
「おはようございます。諭さん」
部屋に入って、一言そう言って台所でサンドイッチとコンソメスープを作る。この時間が楽しい。
幸せすぎて、やっぱりこのままサボろうかなって思うけど、宣言してしまったものは仕方がない。
行こう。
しばらくして、人が動く気配がして、振り返った。
「あぁ、おはよう。凪。気にせず学校行けば良いのに」
「私がこうしたいのです」
心からの言葉。
溢れてくる。
「では、そろそろ行きますね」
「ん。ありがとう」
外は晴れていたけど、刺すような冷えた空気に襲われた。
冬は好きだ。匂いも、景色も白く染め上げてくれる。汚れも、美しい景色も、等しく見えなくしてくれる。
白は好きだ。黒も好きだ。どんなものにも染まり、どんなものにも染まらないから。
「はぁ。少しだけ、憂鬱」
ザクザクと歩いて行く。電車は、混んでるんだろうな。
満員電車は嫌いだ。全員追い出したくなる。もう朝の駅での暗黙のルールも動き方も忘れてしまった。いや、覚える前に引きこもってしまった、の方が正しいかな。
今の私は、入学したてのJKと変わらない。
テンションが舞い上がり、お小遣いを湯水の如く使い、放課後はちょっとおしゃれなカフェのコーヒーを持ち帰りで買って、片手に持って飲みながら気取って町を歩くんだ。
別にしていたわけじゃないけど。もう少し冷めてた気がする。
私は、どんな人だったんだろう。
今の私が本当の私だと思っても、前の私が、どんな子どもだったのか、気になりはする。
「あっ」
改札を抜けたところで、私は足を止める。
どうしようか迷っているうちに、長く美しい黒髪の持ち主は振り返った。
「あっ、凪さん」
「うっ」
涼香さんの眠たげな目が、嬉しそうに輝く。
諭さんが私から気まずげに目を逸らす気持ちを理解した。
「遂に 登校 ですか? 一緒に 行きましょう!」
「よ、よろしく、お願いします」
今の私のたどたどしさは、涼香さんと大差ないだろう。
でも、頼りがいはあると思う。二年続けた猛者に助けてもらえるのだ。頼らない手はない。
電車が来る。人が流れ込んでいく。
「もっ、もう入らないですね。次の電車を待ちましょう」
「何を、している のですか?」
涼香さんに手を引かれ、私は、電車に引きずり込まれた。
扉が閉まる。扉に押し付けられる感覚を味わう。が、すぐに楽になった。
「大丈夫、です。私が、守り、ます」
「す、涼香さん。きつくないですか?」
「余裕、です」
顔が近い。涼香さんの綺麗な顔立ちを、目の前でまじまじと観察することができる。でも、それは涼香さんも同じだ。
「そ、そんなに、見ないで、ください」
「凪さんの、顔、綺麗、だなぁ、って」
何駅だっただろうか、学校まで、二駅だった気がする。
こんな時ばかり、電車は本気で走ってくれない。
比率的に、高校生が多かった。
少し顔を動かせば、オタク的に美味しいシチュエーションが作れる。いや、既に美味しいのかな? わからない。
ただ、問題はそのシチュエーションを作る一因に私がいる事だった。
私の見た目が良い事は、理解しているけど、その、なるべく魅力的な顔は、諭さんにだけ見せていたい。他の虫を寄せ付けたくない。
目を閉じて、時間が過ぎるのを待った。
「凪さん。降り、ますよ」
そう聞こえたのは、寄りかかっていた壁が、急になくなった時だった。
「えっ、あっ」
ぐらッと来たけど、涼香さんが支えてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
それから、学校まで黙々と歩いた。
物凄く疲れた。
教室。私は、どの席だっただろうか。いや、もうクラスも変わっているから、私の記憶にある筈が無い。
だから教卓に真っ直ぐに向かった。
「……あった。主人公席か」
窓際の一番後ろ。都合が良い。
視線を感じるが気にしない。どうでも良い。
座って本を読む。こうしていれば、誰も好んで話しかけてこないだろう。
そう思っていたけど。
「あ、あの、神代さん、だよね」
「……誰ですか?」
「覚えてない? 一年生の時、同じクラスだったと思うけど……」
「聞いたんだから、名乗れば良いじゃないですか」
「そ、そうだよね。あの、雪城日向って言うんだけど」
「そう」
まさか話しかけてくるとは。勘弁してほしい。
「あの……」
「一年生の夏から来なくなったのですよ、私」
「そ、そうだね」
「まだ慣れ切っていない時期です。覚えきれませんよ、とても」
「う、うん」
どうしてか、彼女の方が戸惑っている。戸惑うのは私の方だと思う。
「先生に挨拶に行きますので、失礼します」
「うん。わかった、ごめんね。急に」
謝られてしまった。少しだけ申し訳ない気分になった。謝罪も武器になるんだなぁ。
職員室に向かう。
「失礼します。二年……の神代凪です」
そこまで告げると、二年を担当する席の先生方が一斉にこっちを向いた。
すぐに、一人の男性教師が立ち上がってこっちに来た。
「神代さん。よく来てくれたね」
「えっ、えっと。学年主任の……松田先生? ですよね」
「そうそう。担任の明智先生はまだ来てないけどうん。君が来た事は伝えておくよ。いつもの教室で」
「いえ、今日から普通に教室で授業を受けます」
「……大丈夫かい?」
「問題ありません。元々治療のための休学ですから」
「そ、そうだったね。完治おめでとう。神代さん」
微妙な表情されるのは、噂が噂だからだろう。学校には診断書を出しているから、疑われることは無い。診断書様様である。
「では、教室に戻ります。失礼しました」
こんなものだろう。
さて、私は、大丈夫だろうか。大丈夫だと思いたい。
帰りたくなってきた。胸に手を当てる。トクトクと自分の心臓が感じられた。心は、まだ大丈夫だ。
諭さんがいないと、私は、弱いのかもしれない。
教室に戻ろうと廊下を歩く。
「神代さん」
凛とした声。振り返る。
「えっと……桐原さん」
「はい。その……」
トンと軽い衝撃。
「どうしたのですか?」
「来てくれて、嬉しく思います」
「そう、ですか」
「すいません、急に。引き留めてしまいましたね。失礼します」
息を吐く。
あまりにも頼りない。、制服が疎ましい。
全力の走り方を、思い出せない。
代わりに、諭さんの事を思い出して、幸せに心を浸した。




