作家擬きは祈らない。
「諭さん。さーとーしーさん! 諭さーん!」
賑やかに俺の名前を呼ぶのは、大好きな人。何て言うと少し少女漫画チックだろうか。
優しくてしてしと叩いてくる凪。
茜なら容赦しないんだろうなぁ。高校の時にあまりにも強く叩くから反撃したら、泣かれたな。反撃されると思っていなかったのだろう。
今はそこら辺の甘えは無いだろうが。
罰で人は動かない。暴力には反撃が待っている。
「諭さん。初詣行きませんか?」
「俺は、神には祈らない」
「そうでしたね。でしたら私とお家デートと洒落込みませんか? 他の皆様には適当に言っておきますので」
……恐らく、初詣行って、そのまま福袋買いに行って、帰ってくるのは夕方か。
「今起きれば、二人きりの時間、増えますね」
人を動かすには、確実な利益を提示するべし。
凪め、わかっていやがる。
俺は目を開けて体を起こした。
「茜が起こしに来ると思っていたのだが」
「茜さん、今日朝稽古にも来なくて、おばあさまが見に行ったら、部屋でずっとゲームしているようで、驚いていましたよ。今は着物の着付けをしています」
恐らく、俺がこの家に置いて行った奴だろう。何を考えているんだ。
まぁ良い。
「さて、お家デートとは言うが、何をするんだ?」
「それは、これから考えます」
凪が部屋をでてしばらく、玄関の方から家を出る旨を伝える祖母の声が響く。
そのタイミングで俺はベッドから下りた。
「んで、お家デートとは何をするんだ?」
「そうですねぇ……今から考えます」
顔を洗って居間に行くと、凪がお雑煮と磯辺焼きを用意してくれた。
「自分で用意するよ、これくらい」
「私がしたいんです。諭さんのための、神代凪でありたい、と今は思います」
凪が胸のあたりを抑えて、頬をふにゃりと緩ませる。
「この命は、私と、諭さんのものです」
「……そうかい」
わりと重めの答えが返ってきて、一瞬反応が遅れた。そして、返した答えが正解だという確信も無い。
餅はよく伸びる。さっき台所を覗いたら、餅つき機を使った形跡が見られた。
「美味いな」
「諭さんは少し遅く食べてますから、味もより染みているでしょう」
「少しお得な気分だよ。ん。美味いな、これ」
「えへへ、それ、私が作りました。お口に合ったようで、なによりです」
「……凪の料理が不味かったことは無い。俺が知る限り」
「勉強の甲斐があった、というものです」
さて、どうしたものか。
お家デートとは。自室で何となくくっついているが。
「うぅむ」
「こうしてるだけでも、私は楽しいですよ」
「まぁ、俺も、別に不満はない」
「本当ですかー?」
からかうようにそう言うから、凪を抱える腕の力を強める。
胡坐に乗せるような姿勢。俺が凪を包んでいる感じなのだが。
滅茶苦茶良い匂いするから、落ち着かないのも正直なところだ。
「もう少し欲を出しても良い気がしますよ、諭さん」
「そんな煽ると危ないぞ」
「何がです?」
「言わせんな」
「彼女ですよ、私。良いじゃないですか、荒谷さんの欲望のたけ、ぶつけちゃってくださいよ」
「それは違う」
「?」
「欲を解消するために彼女がいるわけじゃないだろ」
「そうですね。それはその通りです。諭さん」
「だから俺はこうしてくっついているだけで満足だ」
「……わかっていないですね、諭さん」
「何がだよ」
首だけ振り返った凪の顔は、不満げに頬を膨らませていた。
「女にも欲はあるのですよ」
「えっ」
「諭さん」
「は、はいじゃなくて、なんだよ」
もたれかかるように体を預ける。凪を全身で感じることになる。
「前に進みましょう」
「むっ……」
口をつぐむ。
じれったくなったように凪は立ち上がり、俺の肩をポンと推す。何をすれば良いかわからない俺は、動かない。
「よーくわかりました。諭さん」
「な、何をだよ」
「もう良いです。何も言わないでください。諭さんが私にしたように、私は私の思いを諭さんにぶつけます」
そう言いながら、凪は体重をかけて俺をベッドに押し倒しにかかる。抵抗しようと一瞬思うが、そんな思考は、そんな意思は、唇を塞がて、口の中を蹂躙されて、頭が真っ白になって、霧散した。
「大丈夫ですか、諭さん。物凄くげっそりしていますけど」
「……誰のせいだと」
恨みがまし気な目を向ければ、凪は苦笑いで答えた。
時刻はそろそろ夕方になろうという時間帯。
「凪は、その、さ」
「はい」
「いや、何でもない」
くだらないことを言ったらまた襲われかねない。
もう俺は信じるしかないんだ。これ以上疑うのは不信が過ぎるというものだ。
何を疑っているのかすら、凪に吹っ飛ばされた。
こんな事で悩みが吹き飛ぶとか、シナリオメインではないギャルゲーかよって。
あぁ、思い出した、俺は。俺は、あんなに言われたのに、凪を人殺しにしてしまったと、未だに後悔していたんだ。
そして、凪が死ぬことを、簡単に想定して、それを物語として描き出せた自分を、未だに嫌悪していた。
「気持ちって、ドカンとぶつからなきゃ、伝わらないことを、改めて思い知りましたよ、諭さん」
「……苦労かけたな」
「本当ですよ」
もう、迷わないくて、良い。
「なぁ、凪」
「はい」
「俺に、できるかな」
「できるに決まっています。私が一番信じている作家ですから」
「凪……俺、決めたよ」
「何をです?」
「俺の就活は、作家になることだ」
「はい」
「迷惑、かけるかもしれない」
「寄りかかってください」
憂いも、心配も欠片も感じさせず、凪は笑う。
この笑顔を曇らせない。胸に刻み込んだ。




