大晦日でも眠くはなる。
十二月三十一日。
その日、祖父は朝から張り切る。
蕎麦を打つのだ。
祖母も、性格はあれだが、料理が好きな人で、恐らくエビ天でも用意してくれるだろう。
「はぁ……」
凪はと言えば、さっきまで祖父に蕎麦打ちを習い、今や自分でも打ち始めている。午後は祖母の手伝いを
したいと言っていた。
「……諭君」
「ん?」
「そんな退屈そうにため息つきながら私の攻撃、凌ぎきれるの?」
「いい加減、慣れた」
「何が?」
「ワンパターンだよね、茜」
「んなっ?」
「お前は相手をもう少しよく見ろ」
恐らく、同年代に自分より強い奴がいなかったんだな。
大体が身体能力のごり押しで容易く勝てる相手だった。といったところか。
だから、相手が誰であろうとどうでも良い。相手に合わせて色々変える、何てことをしてこなかった、って感じか。
祖父に勝てないのは当然で、恐らく、本気で倒そうと思ってようやく壁にぶち当たったのか。
「ただ早いだけの相手は、オタクには通用しない。オタクはゲームもするからな。パターンを掴めれば、攻略方法も思いつく」
まっ、思いつくだけで、身体が付いてこないのもオタクだけどな。
「うわ……小説書いてるだけのもやしっ子じゃなかったんだ」
「もやしっ子をこんなくそ寒い道場に誘うなよ」
「だって相手いないし。叔父さん、なんで大晦日も仕事なの?」
「どうせ部下のフォローだよ。父さんだし。無駄に面倒見が良いんだ」
「嫌い嫌い言いながら、わかるんだ」
「知ってるから、汚い所も綺麗な所も」
俺にその綺麗な面だけを、見せてくれれば良いのに。
凪は教えるとは言ってくれた。良い所を。俺だって、悪い所ばかりじゃないのは、知っている。
こうして、俺の家族に積極的に交流を図ってくれているのはありがたいとも思っている。
ありがたいけど、でも、だからと言って、俺の方から何かしら仕掛けられるかと言われたら、別問題だ。
「はぁ」
「またため息ついたー。へこむ―」
「別に、俺は防ぐ事しか考えてないだけで、じいさんは攻撃も考えるから、力が分配されるだろ、話が違うだろ、それなら」
「そうだけどさー。そもそも、諭君とじいちゃんは歴も基礎の実力も違うじゃん」
汗をタオルで拭きながら、木刀を片付ける。
「えっ、もう終わり?」
「ほぼ引きこもりに長時間の運動は不可能です」
「はぁ、何でオタクになっちゃったんだろ」
茜と俺は六歳差か。
茜が生まれる頃には俺も物心がついていた。
叔父さん家族が急に帰って来て、叔母さんが入院、しばらく経って赤ん坊抱えて帰って来て時、驚いたのは覚えている。
それから一年に二回、会うたびにできることが増えていく赤ちゃんという存在に、そこそこの神秘性を感じていた。
今や体力馬鹿だけど。
「昔は、よく遊んでくれたのに」
「もう一緒に遊ぶような歳じゃねぇだろ。お前と俺、遊ぶ内容が違い過ぎる」
「まぁ、確かに。私にピコピコは向いてないな」
「だろ、俺もボール遊びは向いてない」
「やぁ、やってるかい?」
「あっ、叔父さんおかえりー」
「父さん、早いね」
「思ったより早く済んだからね。珍しいな、諭が茜の相手をするなんて」
「ふん。父さんにあとは任せるよ」
「あぁ、そうだね。じゃあ、やろうか。茜ちゃん」
「じゃあ、俺は帰る」
返事は聞かずに道場を出た。
実家に帰ってから一文も書いてない。それはあまりにも心が不健康になる。
ノートパソコンを起動、心を世界に浸す。
良かった、文章は頭に浮かぶ。
それから、誰も訪ねてこない部屋で一人。ようやく俺らしい実家の過ごし方ができた。
心が、ほんの少しだけ孤独を求めていたことに気づいた。
「諭―、そろそろ夕飯食べない?」
「今日は何?」
「すき焼きよー」
むっ、少しだけ、興味が湧く。
「凪ちゃんも手伝ってくれたのよ」
「……今行く」
母親は、俺が凪に弱い事を見抜いてやがるな。見抜くまでも無いか。多分漏れ出てる。
居間には全員集まっていた。
凪に呼びに来させれば一発じゃん、我が母よ。
「出てきたか引きこもり」
祖母の嫌味は聞き流して、自分の定位置に座る。
卵を割ってかき混ぜる。すき焼き卵いらない派とはわかりあえないだろう。
張り切ったのだろう。肉が結構良い奴だとわかった。
「諭さん」
「ん?」
空になった茶碗、いつの間に取ったのか、おかわりが盛られて差し出されている。
薄い微笑みは、強情な心を溶かし、馬鹿馬鹿しい事に拘っているなと自分に呆れさせるのには十分だ。
でも、今更どうしろって言うんだよ。
俺は、今の俺の態度しか、わからない。
風呂から上がって、何となしに居間に行く。
テレビは今、年末恒例、今ややる意義がさっぱりわからない。他の音楽番組の方がクオリティが高いのではと思われる、紅白にわかれて行われる歌合戦が映っている。
部屋に入る。そのままベッドに身を投げ出して目を閉じた。小説は、今日書きたい分は書き終わったし。
「諭さん、諭さん。起きてください」
「ん、ん?」
「蕎麦、食べませんか。私が打った分、諭さんの感想、聞きたいです」
「ふわっ、おう、凪か」
「はい。大晦日、寝てしまうタイプなのですね、諭さん」
「まぁな」
大晦日だから起きてる、なんてことはない。
眠くなったら寝る。眠くないなら起きてる。普通だろ。
「諭さんらしいです。天ぷらの作り方のコツも勉強したので、今度披露したいです」
「それは楽しみだ」
「諭さん、ご家族にも、そんな顔を見せれば良いのに」
「えっ? あー。うん、今すぐには、無理かな」
「はい。急に、とは言いません。もちろん」
凪の言うそんな顔、というのはどんなのかはわからない。でもまぁ、うん。
「凪のおかげだよ、この家にいて、ここまで余裕がもてるのは」
「はい、私も、来て良かったな、って思います」
部屋を出た。今のテーブルには、鍋の代わりに蕎麦を盛られた大皿が並んでいる。その隣の皿には、天ぷらが盛られている。
時計をちらりと見ると、もうすぐ日付が変わり、年が終わる事を示している。
俺は、こうして、心穏やかにここにいられることに、未だに驚いている。




