暗いからイチャイチャしませんか?
「諭さん?」
「ん?」
気がつけば寝ていたらしい。目の前のノートパソコンはそこそこの量が書かれたことを示していた。
「もう、何度も呼んだのに。寝ていたのですか?」
「あぁ」
「お疲れだったのですね。すいません、気づかなくて」
「いや、俺もうっかりしていた」
ふわっとソースの香り。凪の作る料理では珍しい香り。
「お好み焼き。食べます?」
「いただきます」
食卓に空になった皿が並ぶのに、そこまでの時間はかからなかった。
「んまかった」
「ありがとうございます」
ふわっと凪は笑い、スッと目が細められる。
「諭さん、何を書いていたのですか?」
「えっ?」
「書いていましたよね、さっきまで」
それは問い詰めてるわけでも、咎めているわけでも無く、ただ純粋な好奇心なのはわかった。
ただ、どこか有無を言わせない空気があるのは、否めない。
「なぁ、凪」
「はい」
「俺は、小説の中でなら、人殺しの気持ちを、理解できる。誰かを、見殺しに、できる」
「何がおかしいのです?」
即答で、感情の揺れらしいものを欠片も見せず、凪は問い返した。
「作家って、そういうものでは無いのですか?」
「まぁ、そうだけど、さ」
少し前の俺なら、こんな迷いは無かった。
ただ、今はどうにも、駄目だ。
「もしかして、私、ですか?」
「まぁ」
「ふむ……どうにも、言葉が思い浮かびませんね。こればかりは、諭さん自身が答えを見つけるしか、無いみたいです。ちょっと暗いですね。ねぇ諭さん。少しいちゃつきません?」
「は?」
「イチャイチャしましょうよ。ね?」
どういう流れだよ。
「イチャイチャって、何するんだよ。というか、イチャイチャしたい時イチャイチャしましょうって言う奴、いる?」
「知りませんよ。私たちは、私たちです」
そのまま飛びつくように抱き着いてきた。
「えへへ」
「こっから、何すれば良いんだ?」
「さぁ、知りません。やりたいようにやるべし、です」
悩みながら頭を撫でると、心地よさげに目を細める。
うーん。髪、影山のより少し細いな。顔を埋めたくなったが堪える。きっと良い匂いがする。だが。
「諭さーん。イチャイチャって相手が嫌がらない程度にお互いの欲望を満たす事だと思いますよ」
「んぐっ」
ごくりと喉が鳴った。
凪の、頭に。……GO!
「ふぇっ?」
「すーはー」
「さ、諭さん! 人の頭に顔突っ込んで深呼吸しないでくださいよ!」
「ん、俺も大概変態だな」
「も、もう」
「めっちゃ良い匂い。いででででで」
ギリギリと凪の腕が締め付ける力をあげていく。
「かぷ」
「あの、凪さん、痛いのですが」
「仕返しです」
「はぁ」
首筋が少しだけヒリヒリしたが、まぁ良いや。可愛いし。
何か、俺も大概、デレデレだな。
「諭さん」
「ん?」
「もう少し、このままでも?」
「あぁ、良いよ」
俺も、もう少し凪を感じていたかったし。
次の日も。
「あれ、凪、喫茶店は?」
「諭さんと、いたいです」
ソファーで隣に座り、凪は腕に絡みつくように身を寄せていた。
「どうしたよ。急に」
「諭さん」
「はい」
「私は怒っています」
「ほう」
凪が怒る。
全く想像がつかない。理由も心当たりが、あり過ぎるな。むしろ今まで凪はよく怒らなかったな。
「諭さん。少なくとも今は、私はここにいますよ」
「そうだな」
「私がいなくなった後の事は、まだ考えないで欲しいです」
「……無茶言うねぇ」
「なんで、私が死ぬ話書くのですか! もう」
怒っているようで、怒っていないようにも見える。
「とても悲し気な、物語でした」
「あぁ、まぁ、うん。悲しいよ」
病人らしくなくたって。俺は。
「はぁ」
まだ暑いこの時期。クーラーの効いた部屋で、一日くっついて過ごしていた。
「なんか、随分久しぶりな気がする」
「そんなに経ってないですよ。荒谷さん」
郵便受けを見に一回に降りると、ポツンと見覚えのある人影にが目に入り、出て来てしまった。暑いな。
「んで、桐原さんは今日も凪に?」
「はい」
ため息を吐いた。
「凪の不登校の理由、凪本人が話した事は、聞いたことあるのか?」
「えぇ。まぁ。病気、ですよね。なんか、急に死ぬとか言う」
「誰も信じてないって?」
「私も、正直懐疑的です」
「凪が好きなんだろ」
「えぇ」
ほんのりと顔を赤らめるところを見ると、女の子なんだなと思える。
「好きだから信じる。とても素敵な事ですが、明確な根拠が必要です。私は、神代さんが、ただ単に、何か精神的な理由で来ないように思えてならないのです」
「先生は? 先生に確認したのか? なんなら、俺はわざわざお前に、そこの喫茶店は凪の両親が経営していると教えたと思うぞ。話さなかったのか? お前も変わらねぇよ。ここまで来て、何も確かめようとしないなら、お前も、噂してる奴らと、何も変わらねぇよ」
「なっ、じゃあ、どうしろって言うのですか」
「お前がそのままで良いならそうすれば良い。変わりたければ、それ相応の行動をしろ。それだけだ」
それしか、無い。
世の中、そういう風にできている。多大な代償を強いられ。そうしてようやく得られる少しの変化のために、必死こいて生きなければならない。
俺は別に、彼女より一歩でも進んでるつもりは無い、今まで歩んできた道がそもそも違うのだから。比べようがない。
でも、それでも。
「俺は凪が嘘を吐いてると言うなら、全力で否定しよう」
桐原さんの口が、緩く弧を描く。それはどこか羨望にも、自嘲的にも見えた。
「大事な人なんですね」
「あぁ」
「羨ましいです」
ぺこりと桐原さんは頭を下げた。
「今日は帰ります。今の私では、無理だと思ったので」
その背中が見えなくなるまで見送った。
「今の俺でも、無理だよ」
凪の中に踏み込むなんて、まだ、俺には無理だ。
物語の展開上、いや、さっさと本気出せよと思う展開はある。
例えば某ライダーの歴代が全員集合した映画とか、いやお前らさっさとファイナルフォーム出して終わらせろやと思う事がある。あれは、未だにわからない。
俺も、これが物語なら、さっさと襲っちまえとか思われるのかな。
むっ、なんか例が相応しくない気がしてきたぞ。まぁ良いや。俺の個人的意見という事で済ませよう。
「……凪」
凪、俺は、凪が好きだ。
女子高生を好きになる成人男性とか、無いだろと思ってたけど、好きだ。
大好きだ。
「凪、好きだー!」
「うわっ、どうしたのですか」
玄関の扉が閉まった瞬間、思わずそう叫んでしまった。
「いや、何でもない」
「それは、無理があるかと」
「好きなんだから、仕方ないだろ」
「はぁ」
呆れ気味だ。仕方ないか、それは。
呆れ気味の凪を引き寄せて、抱きしめた。
うん。うん。
「好きなんだなぁ」
「諭さん、大丈夫ですか? 素直過ぎる諭さんも、素敵ですけど、戸惑います」
「あぁ、悪い。でも好きだなぁ」
もう勝手に言葉が溢れてくる。
好きで好きで、とても好き。
あぁ、そっか。
俺は凪が好きだ。それが一番大事で、大事で、とても大事で。
「好きなんだよ、凪が」
それが答えだ。




