追い縋る影。
・この気持ちを昂らせて凪を部屋に連れて行く。
▼・落ち着くために離れる。
▽・落ち着くために離れる。
スッと離れると、凪は振り返る。
「どうかしましたか?」
「ん? 何でもない」
頭を撫でてそのまま台所を出た。
今俺は何を考えていた。
「我ながら、俺も結局は只人か」
凪の魅力にやられかけた。いや、でも、良かったのでは? 凪を助けられる。俺の気持ちも一気にぶつけられる。
言葉を尽くしても伝えきれない気持ちがある。俺は知った。
言葉を使ってきたからこそ、言葉の限界が見えると。
でも今は、ステイ。荒谷諭。勢いじゃねぇかボーイ。
「くそっ」
何を躊躇っている。時間は無い。早く。早く。凪を。
「答えを、見つけなきゃ」
俺は無意識にノートパソコンを開き、心を世界に浸した。
「俺は、作家だから」
作家にとって答えは、作品の中にある。
凪を抱きしめた時の柔らかさを、匂いを、温度を。昂った気持ちを、全力でぶつけるんだ。言葉を尽くして表現できないからこそ、行間にも思いを詰め込むんだ。三点リーダー、改行のタイミング。それらにすら、今の俺なら思いを込められる。
まだだ。もっと物語に、凪に差し出せる。俺の全ては、まだまだだ。
「とりあえず。まずはこんなものか」
「あっ、できたのですね」
鍋に火をかけている。何を作っているのか。
「丁度良いです。しばらく置かなきゃいけないので」
「あぁ」
プリンターから吐き出されたホカホカの紙をホクホク顔で読み始める。
こうして毎回に楽しみにしてもらえると、書いた甲斐があるというものだ。そっか、凪は原動力でもあったのか。
この反応があるから書けるのか。
作家にとって、読者の反応がいかに大切か、また学ぶことになった。
「さ、諭さん」
「はい」
「ラブレターですよもはや」
「……うん」
「諭さん、もう隠す気ないじゃないですか。うぅ、面白いですけど。面白いですけどぉ。諭さんの愛がこれでもかと伝わってきます」
凪はたじたじだった。そろそろ俺も目の前で読まれるのに慣れてきたが、今度は凪が恥ずかしがる番とは、思いもしなかった。
「はぁ。もう。甘々です。でも、もっと欲しいと思っているので、恐ろしいです」
この甘党少女の欲は際限が無いようだ。
「毎日毎日、暑いのにご苦労なこった」
喫茶店の窓の向こうに、桐原さんがいるのが見えたので、予定外の出費だが、俺は入る事にした。
凪のお母さんにぺこりと頭を下げておく。
「何書いているんだ……あぁ、小説か。手書きとはすげぇな」
「なっ……見ただけでわかるのですか?」
「そりゃ、俺も書いてるからな。プロじゃねぇけど。わりとわかるぞ」
「えっ、よ、読んでもらっても良いですか?!」
「すげぇなお前」
よく、あまり知らない相手に目の前で読んでくださいと頼めるものだ。
なるほど、この謎度胸が、凪のところに足を向かわせるのか。
「どれ」
ノートを受け取り、読ませてもらう事にした。ファンタジーか。俺苦手なんだよなぁ、ファンタジー書くの。設定が破綻しそうで。
「なるほど」
うんうん。懐かしい。この感じ。
俺もこんな時期あったなぁ。読んでて昔の自分を思い出して恥ずかしくなってきた。でも、顔には出さないようにしよう。
「どうでしたか? 忌憚のない意見をお願いします」
桐原さんはじっと待つ。
あれ、そういえば、眼鏡かけてる。普段はコンタクトなのかな。
今はどうでも良いけど。さて。
「まず、良いかな」
「はい」
「難しい言葉を使えば良いってもんじゃないから」
「えっ……?」
「小説は語彙力披露大会じゃないって話。トップクラスの人々は、それこそ簡単な言葉で表現していく。わざわざ辞書を引きながら小説を読みたい奴なんていない」
この子は恐らく、小学生の頃から頭が良かったのだろう。本をよく読み、勉強をし、周りの生徒から頭良い頭良い。先生からも親からも褒められ、テストで苦労らしい苦労をせずに育ってきたのだろう。
俺もそうだった。周りより語彙や知識があり、聞かれれば大抵答えられた。先生から指名されればポンと正解を返し、周りからすげぇという声を聞いて、気持ちよくなっていた時期がある。
「そ、そんなの、知らない人が悪い……」
「そんな時代は終わった。先生先生と呼び慕われ、弟子を持ち、知識人として名を馳せ、死して尚、お札にまでなるほど、作家様が尊敬を集める時代は終わった。今はわからないやつが悪いではなく、わかるように書かないやつが悪いだ」
「そ、そこまで思ってはいませんけど……」
「何しているのですか? 諭さん」
どうやら喫茶店の手伝いに来ていたらしい凪が、俺の隣に腰かける。
「あっ……桐原さん。諭さんに何か……」
「凪、少し静かに」
「はい」
素直に口を噤む辺り、凪って尽くすタイプだなと。
今はそれは置いておいて。
「あと、設定を長々語るな。何が剣には大剣、太刀、片手剣のカテゴリがあり、さらに細かく、だ。なげーよ。早く戦えよ。なんでプロローグの戦闘で作家先生から長々説明を受けなければならないんだ。一番テンポよく進めなきゃいけない部分じゃねーか」
「うっ。だって説明しなきゃ」
「後から少しずつ小出しにしてけばいいじゃん。例えば、このシーンなら、説明省いて、太刀のスキル、云々とか簡単に済ませりゃ良いじゃん」
「あ、あの、諭さん。少しは手加減を……」
手加減? 何それ?
「後、比喩表現がいちいち助長だな。なんで剣を描写するのに三行も使ってるの? この人が剣が大好き、結婚相手は剣。剣でハーレム作りたい! とかならわかるよ。ただの道具って割り切ってるじゃん、この人。しかも途中で切れなくなったからって捨てて、敵が落とした剣で戦ってるし」
ヒロインとか景色にはそれくらい割くのはわかるけど。いや、それでも多いや。
「諭さん。あの、泣きそうなので、それくらいで」
「まぁ、設定は面白いよね。設定は。素材は良いから、あとは料理人次第だよ。誤字脱字も無いし。良いんじゃない」
ノートを返すと、ハッとしたように顔をあげて、ぺこりと頭を下げた。
「がーんば」
「は、はい! また来ます!」
いや、来なくて良いのだが。
「小説、ですか?」
「ん」
「はぁ」
凪は呆れた目を向けて来る。
「諭さんも、結構ドSですね」
「まぁ、ね」
つい、昔の自分を見ている気分で、色々言ってしまった。手書きを直すの大変だろうから、すぐにパソコンで執筆して欲しい。
「荒谷さん」
そう一声かけ、マグカップ二つ持った凪の母親が目の前に座った。
「えっと凪の、お母様」
「お母様? あはは、お母さんで良いわよ」
「あぁ、はい。お母さん」
「凪、あなたは戻ってなさい。二人で話したいから」
「えっ、不倫?」
「違うわよ」
冗談めかした言葉を交わして、凪はマンションの中に。
店内は俺と凪の母親二人。
「あなた、凪と付き合ってるのでしょ」
早速とばかりに、そう言われる。けど、不思議と動揺しない。俺は背筋を伸ばして頷く。
「はい。お付き合いさせてもらっています」
「そう、でも……」
「凪の病気は、知っています」
「そう、なら話が早いわ。お見合いさせようとした時期もあったけど、全部嫌だと突っぱねられたけど。そう、自分から相手を見つけたのね。良かった」
あの四者面談の時とは違う、どこかフランクな感じ。でも、こっちの方が話しやすい。
「じゃあ、どうにかしようとは……」
「当然でしょ、親だもの」
凪を思わせる、周りを安心させる笑顔。
からっとした雰囲気だが、どこか、思い悩んでいた雰囲気を感じさせる。
「親として許可するわ。凪を孕ませなさい」
「言い方! 良い大人が!」
「それが、今ある確実に凪を救う方法。その様子なら、自分で調べたでしょ」
「……はい」
「なら、無理矢理襲っても良いから。凪が泣いても、親として、どうにかする。あなたのご両親への説明もする。勘当されてもうちであなたが卒業して就職して、独り立ちするまでの面倒を見る。約束する」
「なんで、そこまで」
「親だもの。子どものためなら全部差し出すわ。子どもの命の恩人を蔑ろにするわけがない」
「……あなたみたいな親、本当にいるのですね」
「あなたの歳まで育てたなら、あなたの親も、そこそこ差し出したものはあるはずよ」
「そう、ですね」
俺が一方的に感じてるだけのわだかまりだ。きっと親は、俺を立派に育て上げたと自負してる。
「具体的には、妊娠第十一週辺りで、子どもに病気は移ると発表されてる」
「そう、ですか。難儀な時期ですね」
「男なら、押し倒して見せなさい」
「凪は……」
「うん」
「凪は、助けるためにならして欲しくないと、言いました」
「そう。でも、荒谷さん。生きていればいつか仲直りはできる。未来があるからけど、死んだら未来はない。犠牲無く助けられるものはない」
「いつか仲直りができる、というところ以外は、素直に賛成します」
元に戻らないものだって、あるんだ。
凪の後ろに、死神の幻影何て見えない。でも確かに、迫ってはいる。
凪の母親は、それをじっと見つめている。
「最悪、旦那にさせるかと思っていたけど。今は、あなたに託すわ」
「それはまた……随分と重い覚悟、決めてたのですね」
一票入りました。この先も選択肢あるのでお楽しみに。結末まで変わります。すでに三つは想定してあるので。true good butで。




