真面目少女の夏休み。
夏休みに入って、ほぼ同居状態になし崩しになってしまっている少女。
今日も朝。顔を誰かに突かれている感覚に目が覚めると。
「おはようございます。荒谷さん」
と、笑顔弾ける凪がそこにいた。
「あぁ、おはよう」
「ちゃんと一人で眠れましたね。良かった」
「ガキか、俺は」
凪の目が細められ、髪をすくように撫で始めたので起き上がることで回避。
子ども扱いされても困るっての。母性ある年下は、憧れる存在だし、心の底でミリ単位で喜んではいるが、それよりも、何というか、年上の威厳を維持したい気持ちの方が勝ってしまう。
「ったく」
「バイトやめて正解だったのでは? 夜早く眠れてるじゃないですか」
「まぁ、な」
それは実際、否定できない。
「朝御飯、できてますよ」
「あぁ、ありがとう」
さぁ、さっさと食べて、まずは。
今日の分の短編か。うん。今の凪、何を命令してくるかわかったものじゃないから。しっかりこなしていこう。
「そういえば」
「はい」
「影山とは連絡とってる?」
「はい。あれ、荒谷さん、連絡先持ってないのですか?」
「そんなとこ」
そろそろ昼の時間帯。コーヒーを飲んでクッキー齧って、パソコンに思いつくままに文章を連ねて行く。こうしていると、たまに大事なことを思い出して、丁度凪と影山は今どうしているのか、気になった。まぁ、心配はしていなかったが。
エプロンつけてせっせと掃除していた凪は、手を止めてスマホを取り出す。
「いります?」
「……もらっとく」
「じゃあ、涼香さんにも送っておきますね」
「頼む」
それから俺の方からもメッセージを送っておく。すぐに返信が来た。
影山らしい、生真面目な文章だった。
「なぁ、凪」
「はい」
「女の子はどういうメッセージ喜ぶ?」
「……そうですねぇ、意味の無いこと送られても困りますからねぇ。そこそこ関係が深ければ良いのですが」
なるほど。つまり俺は無理だな。
さて、続きを書こう。
……Jk二人分の連絡先が俺のスマホにあるって、変な気分だ。やましい気持ちは無いが。
呼び鈴がなる。見に行く。
「……いや待て」
姿勢を正して佇む影山涼香が、そこにいた。
「……何の用だ?」
「暇、だった、ので」
「……はぁ」
とりあえず中に入ってもらった。アクティブなのか控えめなのかわからんな、この子。
「まぁ良いや。今日は何してたんだ」
「家でずっと、ピアノの、練習を、していました。午後は、ヴァイオリンの、予定です」
「お、おう……飯は、食ってるのか?」
「……忘れて、ました」
「最後に食ったのは」
「えっと、お二人と、食べた、夕飯、でしょう、か」
「凪!」
「はい!」
声をかけるだけで、やはり同じことを思ったようで、すぐに準備を始める。
土鍋を出すという事は、お粥だろう。うん。
久々に食べる時は、胃に優しくしなければならない。びっくりさせないように。
「あっ、凪。俺にも頼む」
「お任せを」
「……! 荒谷先輩が、素直」
「それで、そんなに練習して、何を目指しているんだ?」
「コンクールに、出たくて」
コンクール?
「なんで急に」
「私の、原点に、還りたい、ので」
真剣、に見える。まぁ、影山はそこまで冗談を言う人間ではない。冗談みたいなことを本気で言うタイプだ。結構厄介だな。
いや待て、冷静になれ。なぜ俺が影山のコンクール出場に否定的な思考に陥っているんだ。
「まぁ……」
いや待て。
ここで良いんじゃないと言って良いのか? そんな適当に。
「先輩?」
「あぁ、いや」
くそっ。
「見込みはどうなんだ? 先生は?」
「いえ、一人で、練習、しています」
「えっ?」
「流石に、前に、習っていた、先生を、師事するほど、余裕が、無いです。お金に」
「世知辛い」
淡々とたどたどしく現実を述べる影山に涙が止まらない。なんてことは無いが、うん。
「それで飯も食わずに練習してたと」
「はい」
ため息ついて頭を抑えるのは当然の反応だろう。
「体調管理もできないやつが、一人で挑もうと考える世界なのか、コンクールって」
影山は目を泳がせる。
「今は大丈夫でもすぐに影響出るぞ」
一応、経験談だ。だんだんと起きるのが辛くなる。力が入らなくなる。
「ごめん、なさい」
「ふん」
「荒谷さん、もう少し優しく、ですよ」
凪が台所から出てくる。
「涼香さん、私も心配ですよ。私を友達と言ってくれた人が倒れるのは、私も辛いです」
「うっ……」
「美容にも悪いです」
「はい、ごめん、なさい」
深々と頭を下げる。そうさせるだけの圧力が、凪から出ていた。優しくとはなんだろう。
「ん、うまい」
「あは、ありがとうございます」
火傷しないよう、適度に冷まされてから出されたお粥は非常に食べやすかった。
「荒谷先輩が、素直」
「んな驚くことかよ。別にいつも通りだ」
素直になったつもりなんて、一切無い。
「人は、そう簡単に変わらねぇよ」
簡単に変われるなら、俺は今頃、売れっ子作家か、まともに就活している。
凪だって、早々に俺を見限って、ちゃんと学校に行って立派にJKやっている。
「変われないから、しがみつくんだ。自分の根底に、確かにあったものに」
あぁ、そっか。だから影山も。
俺も。
凪も。
「影山」
「はい」
「頑張れよ」
「えっ……はい」
「何驚いてんだ」
「だ、だって、荒谷先輩、その、反対、みたいでしたから」
まぁ、否定はしない。
「前に進むためなら、頑張りなよ」
正しいのだろうか。
年上として、正しく導く。
あぁ、本当だ。
正しいって、普通って、なんだ。
俺の中の常識を、彼女に押し付けて良いのか?
思考を巡らしても、考え方の基準、それは所詮、俺が歩んできた人生、学んできた教養、出会った人の言葉、それだけで。
大海の如き世界の、ほんの一掬い。
でも、だからといって。
俺は自分勝手には生きられない。目の前にいるこの二人を、ちゃんと生きられるようにしたい。出会ってしまったのだから。
そう思っている。
でも俺は、そろそろ自覚しなければならない。
凪のいない生活が想像できないと。
凪がいる生活に、居心地の良さを感じている事を。
凪がいないと、わりと駄目になりそうだと。
「本人には絶対に言えないな」
口の中で小さく呟いて、お粥をかきこむことで誤魔化した。
「それでは、練習があるので」
「今度食って無いって確認したら、凪を派遣するからな」
「喜んで作りに行きますね」
「それは、ご褒美、です」
そんなくだらないやり取りをして、影山は帰った。
「凪」
「はい」
プリンターが印刷を始める音。すぐに紙を吐き出し始める。
それを確認して、ベランダに出た。
長い黒髪が印象的な後ろ姿、見えなくなるまで黙って見送った。
「荒谷さん、ちゃんと模索しているのですね」
「まぁな」
スマホを見る。
「……あ?」
「どうかされました?」
それに答える暇なんて無い。
玄関の鍵が開く音、しかし、俺はそこそこ防犯意識が高い。ドアチェーンに侵入は阻まれる。
「諭! お母さんが来たわよ!」
「あ、荒谷さん……」
「マズいな……アポなしの客に会うつもりは無い!」
「……よし、開いた」
「は?」
ドアが閉まる音、そして、フローリングの廊下を歩く音。
「あら、彼女連れ込んでいたの。こんばんは。諭の母の真澄です」
「あっ、えっと、神代凪です。あr、諭さんにはいつもお世話になっております」
俺がこの世で一番恐れている人物は二人いる。その二人というのは両親なのだが。
「んで、何しに来た」
「親にご挨拶じゃない。随分と。お盆なのに帰ってこないって言うから、三時間も車走らせたのよ」
「父さんは?」
「仕事」
「立派に子離れできてるな、母さんも見習いな」
そんなやり取りを尻目に、凪はお茶を用意していた。
「えっと、どうぞ」
「あら、ありがとう。随分とできた彼女ね」
「違う。彼女ではない」
「それ以外に考えられる状況かしら?」
さて、長い話になりそうだ……。




