夏の亡霊
夏は、憂鬱だ。
思えば、俺が「我が家のメイド。」を完結させたのも、去年のこの時期だ。
あの時の俺は、可能性を信じていた。
俺には作家になれる可能性がある。
あの時の俺は夢見ていた。
俺の小説が、書店に並び、売れ、アニメ化され、映画化までするって。
あの時の俺は、強かった。
孤独でも、毎日、毎日、誰からも褒められず、誰からも求められず、作家仲間がいなくても、書き続けた。一人でも。
そんな、強かったころの自分が、感じられるから。きっと、来年も再来年も、憂鬱になるのだろう。
俺はまだ囚われてる、あの物語に、囚われている。
「俺は、メイド以上の話を書けるかな」
「思い出補正で自分の中で格上げしていませんか? 誰だって、一年も書き続ければ思い入れが湧くというものです。むしろ思い入れが無ければ一年も書けません。荒谷さん、自分の作品を愛し過ぎているのかもしれません」
ラテアートで描かれた猫を眺める。目の前で作ってもらったのだが、器用なものだ。なんとも可愛らしく作ってくれた。
喫茶店のカウンター席。凪は店の制服で店員として、俺は客として。
去年なら、店員とここまで仲良くするなんて、考えなかっただろう。
凪のお母さんは他のお客さんと仲良く談笑しているのを見るに、そこまで変な光景ではないのだろう。
「俺にあれ以上の作品を望むのか?」
「人は強欲なので」
「前も聞いたが、俺にこだわる必要は無いぞ」
「荒谷さんが良いです」
作家が持っていると強いものの一つに唯一性がある。
世間が求めている好みに自信の唯一性を付与する。それがプロ作家としてデビューする一つの条件とも言える。
それができなければ、人気作品の劣化コピーにしかならない。
だけど唯一性なんて、自分でわかるのか?
それか唯一性だと認めるのは、誰なんだ。
「そこまで言うなら、教えて欲しいな、俺の唯一性、オリジナリティって、なんだ」
自分の分のコーヒーを淹れて、飲み始めた凪に、少しの期待を込めて、聞く。
「知りません」
帰って来たのは、そんな端的な答えだった。
「……は?」
「読者は、そんなこといちいち気にすると思いますか? 荒谷さんの作品が好きだから荒谷さんが良い。それ以上の理由、いります?」
そんな風に、恥ずかしげもなく、いつものように直球で気持ちを投げてくる凪の豪速球をがっしりと正面から受け止めて、真っ直ぐに投げ返す余裕なんてあるわけがなく。
「そうかい、奇特なやつだよ」
ひねくれ気味に避けることが精一杯だ。
凪の分のコーヒー代も置いて行くことにした。
また、読んでいる。
「我が家のメイド。」
思えば、俺の作品、感想少ないな。
凪は、感想書いてくれたのかな。何となく探してみる。あぁ、これかなというのがいくつか見つかった。
ブクマ二千越えて感想二桁は少ないよな。多分。数少ない感想は、俺に筆を持ち続ける力をくれた。
でもまぁ、俺よりブクマが少ないけど感想余裕の三桁とか普通にいるし、なんならレビュー二、三個もらってる人もいる。恵まれてる。
俺が投稿しているサイトにはレビュー機能がある。
ユーザーが他のユーザーに小説を宣伝する機能だ。
滅茶苦茶希少なものだ。もらえることなんてほとんど無い。むしろ無いと思った方が良い。
「面白いな」
俺がそう思うのは、当たり前だ。だって、俺が俺の好きなように納得しながら書いたんだ。世間が面白いと思うか、不安に思いはすれど、俺がつまらないと思うはずが無いんだ。
俺はまだ囚われている。
「我が家のメイド。」に
蝉の声が鳴り響く。
その声に、外に出る気を奪われる。
ぼんやりと物語を考える。
暑さはどれくらい続くだろうか。
「ごめん」
そう呟いた。
書けなくてごめん。期待だけさせて、裏切ってごめん。凪を満足させられる話ができなくてごめん。
謝る理由なんていくらでも浮かぶ。
でもその声は、台所でせわしなく動く凪には届かない。
書くための努力はした。まず、名作に触れた。映画も、漫画も、ゲームも、アニメも、ドラマも、劇も、ミュージカルも、音楽も。もちろん、小説も。
でも俺は、その差に打ちのめされた。自分が目指すは遥か高みと知った。
人は盗めというだろう。でも、打ちのめされた。
創作が、小手先の技術だけでどうこうできるなら、苦労しない。そもそも、それらはある程度のレベルに達している前提なんだ、プロの世界は。俺は、己の中身の足りなさを知った。
作家の悩みなんて、普通の、創作なんて考えない人に話しても理解されない。俺が例えば市川に今の悩みを話しても理解何てされない。
「馬鹿馬鹿しい」
「何がです?」
「こっちは聞こえてるんだ。うん」
「謝ってるのも聞こえてましたよ」
「おい」
チキンステーキの乗った皿を両手に台所から出て来て、テーブルの準備を始める。
「今日は、どうですか?」
「見せられるようなものはない。こないだと、変わらない」
ただ男と女が仲良くイチャイチャするだけ。
こんな作品じゃ、何も訴えかけられない。
「荒谷さんは、作品を通して何かを訴えたい、そう見えたので、私もそういう風に読んで意見しているのですが、何でそんなに訴える事に拘るのでしょう」
「なんでだろうな」
そんな事も、思い出せなくなった。
「あっ、今日、花火大会だ。二階からは見えますか?」
そう言いながら、ベランダに出て、顔をしかめて帰ってくる。意外だ、興味あるんだ。
毎年、うるさいだけの祭り。去年も一昨年も、行って無いな。
「……行くか」
「えっ?」
ちょっとした、思い付きだけど、行きたい、そう思った。
「花火大会。凪となら行って良いかなって」
「……荒谷さん、熱でもありますか? チキンステーキは重いですね。今からお粥用意します」
「おい待て」
何で俺が凪を誘っただけで病人扱いされんだよ。
「だ、だって、おかしいですよ、荒谷さん。荒谷さんは、『花火大会? くだらねぇ、一人で行ってこい』って言うタイプじゃないですか」
「そこまで酷くねぇし、冷たくねぇよ!」
ったく。
「嫌なら別にいつも通り家で過ごしても良いぞ」
「そ、そんな事ありません。行きましょう! いつでも行けます!」
首をぶんぶんと振り、鞄を持ち上げて見せる。
「オッケー、ちょっと待ってろ」
パソコンを閉じて、立ち上がる。
本当に、ただの思い付きだ。たまたまその気が起きただけ。
この時を逃したら、二度と行く気が起きないだろうから。
「そういえば、荒谷さん、地元に帰る予定は?」
「無いよ。めんどくさい。新幹線予約していないから、今から自由席とか、地獄を見るよ。夜行バスも無理だろ」
お盆の帰省ラッシュももうすぐだ。こんな悠長な人間を乗せる余裕なんて、どこにも無い。
「それより、行くぞ」
「はい!」
ふわりとスカートが揺れて、楽し気に玄関まで走っていく、そんな無邪気な姿が見れただけで、俺の提案は間違っていなかったと思える。
そして、すぐに後悔した。
「なぁ、何でこんなに人いるんだ?」
「当たり前じゃないですか。この辺りの学生、家族連れ、みんな来てますよ」
ごった返す人の群れ、出店に近づく事すら困難では?
いや、上手い事統制が取れているのは見ていてわかる。流れる空気から、何となく人が列を成して歩いて、目当ての出店で列を離脱する、何て暗黙のルールができているのがわかる。
「な、なんか食うか?」
「無理しなくても、私は荒谷さんとここに来れただけで、結構嬉しいです」
「……ガキは黙って我儘言っとけ」
「? 黙っていれば良いのか、我儘言えば良いのか、わかりませんね」
「余計な揚げ足取らんでい良い」
「……ふふっ、なら」
凪が手を差し出す。
「はぐれたくないので」
「……はいよ」
こんな所見られて、余計な誤解招くとか、考えないのかね。
「……人生投げんなよ」
「荒谷さんが夢を投げなくなったら、考えます」




