夏の暑さに目が眩む。
「手」
「はい」
凪は俺の声に素早く反応。手を差し出す。
はぐれないように。そんな大義名分で、すべすべの手を合法的に握る。
引っ込める事も、嫌そうに力を抜くこともせず、握られた手を握り返してくれる。
「荒谷さん、何か欲しいものありますか?」
「さっぱり思いつかん。いや、強いて言うなら、帽子かな」
さっきから直接太陽光線を食らってて、頭があぶり焼きにされそうである。
「帽子ですか! 早速行きましょう」
グイと手を引かれ、歩き出す。
ここだけ切り取れば、元気な彼女に振り回される彼氏。
うん。勘弁してほしい。俺はまだ捕まりたくない。……捕まるのか? どこまではセーフなんだ? 手を繋ぐは流石にセーフだろ。うん。
いや落ち着け。何で何かする前提なんだ。付き合っているわけでもないのに。
はぁ。
アスファルトに肉を並べればバーベキューでもできそうな天気。
「……たまにはジャンクな物食べたいな」
「? と、言いますと」
「凪の作る料理って、きっちりしてるからね。ほら、あれだよ、クラシックとかオペラとかずっと聞いてると、なんかこう、即興曲とかで歌ったり踊ったりしたくなるみたいな」
「変な例えですね」
「流石信者片足」
「略し過ぎです」
凪のそこそこ厳しいツッコミは、心地が良い。
「ふぅ」
帽子を押さえ、下を向く彼女の表情を伺い知れない。
目的の店に辿り着いたのか、看板を確認して、中に入っていく。冷えた空気が出迎えた。
「凪……顔、赤くね? 大丈夫か?」
「えっ、あはは、大丈夫ですよ」
……はぁ。
おでこを指ではじく。所謂デコピンだ。
「無理すんじゃねぇよ……あれだ、えっと……お前が倒れたら飯どうすんだよ。あ、あと、掃除とか」
「ふふっ」
「なんだよ」
凪は何がおかしいのか、楽しそうに笑う。
「あは、あはは。荒谷さんが、心配してるのが、面白くて」
「ひでぇな。俺だって心配くらいする」
少しだけ苦しそうに、でも、嬉しさを滲ませて。
「ごめんなさい。荒谷さん。折角のお出かけ。私から、誘ったのに」
「……店の入り口にいつまでもいるわけにはいかねぇ。行くぞ」
今度は俺が手を引く番だった。
あんな顔されて、文句の一つでも言える度胸何て、俺にはねぇよ。
駅行きのバスに乗り、電車に乗る。ここから大体三十分で俺達の住むマンションの最寄駅である。思えば、あのマンション、駅に結構近いな。立地が良い。
肩にかかる重みにはそろそろ慣れてきた。
具合悪そうだったからな。それに、凪の持ち歩いている頭痛薬、そこそこ効きがよさそうな奴だったし、
眠くなったのだろ。
「ったく」
そのままにしておく。こんな硬そうな肩に寄りかかってよく寝られるよ。
ベストポジションを探すかのようにもぞもぞと動く度にくすぐったさを感じる。
「……あとでこの時の様子書いて、見せてやろうか」
恥ずかしがるだろう……いや、喜びながら読みそうだ。やめておこう。
書いた短編の手直しを考えた方がよさそうだ。何を命令されるか、考えただけでげんなりする。
その姿勢で、右手でスマホを弄る。利き手じゃない手でフリック入力、当たり前だけど、遅いな。
結局、凪は起きなかった。起こすか迷ったけど、背負う事にした。
駅員さんに切符二枚見せて、改札から出してもらう。
「……軽いな」
寝てるからかな。そういえば、母親が言っていた。身体を預けてもらうと軽くなる。預けてもらえないと、体重そこまでじゃなくても重く感じる。
それでも、細いなぁ。細いから、凪のその良く育った部分がより強調される。
「だからと言ってどうというわけでもない。というわけにもいかないな」
堪能したいという欲が湧くのは本能というものだろう。
ぐっ、耐えろ。荒谷諭。人として終わるぞ。相手は三次元の女であることを、忘れるな。
「はぁ、はぁ」
軽いとは思っていたがやはり人一人。マンションの階段を上がるのも一苦労。大人しくエレベーター使えば良かった。
「ほら、着いたぞ」
「ん」
返事はあるが、目覚める気配ない。このまま部屋に連れ込むのか……。寝ている女の子を運び込むのは、わりと気が引ける。
仕方ない。
部屋に運び込んで、そのままソファーに寝かせることにした。
無意識のうちに、自分の中身が負に傾こうとしていることに気づいた。
削ろうとしていた。また。
凪の涙を思い出した。凪の笑顔を思い出した。
「はぁ」
頭を抱えた。
どうすれば良い。どう書けば良い。
突き刺そうとしたナイフは振り上げたまま止まっている。溢れ出した血に浸そうとした指は、手持無沙汰に遊ばせてしまう。
書き方を模索するって、どうやるんだ。
ソファーで寝息を立てる、恐らくただ一人の俺の信者に目を向けて、今だ埋まらない、自分の書いた小説に目を戻して、また頭を抱えた。
偉大な作家には、己の苦悩をひたすら書き尽くして、文豪と呼ばれ、名作として語り継がれた人物もいる。と俺は思っている。
てめぇうじうじ悩んでんじゃねぇと背中を蹴りたくなった小説もある。
指は動かない。
想像の泉は枯れたまま。
俺はなぜ、書けたのか。
俺の書く原動力は、何だったのか。
「荒谷さん、あーらーやーさーん」
目を開ける。見慣れた、整った顔立ち、薄茶色の髪。
「凪……」
なかなか最悪の気分の目覚めだ。
別に凪が嫌いというわけではないが。自分が何も成していないことを思い出させてくれる。
椅子の上で体育座りの姿勢で寝ていたらしい。立ち上がるとぽきぽきと音が鳴った。
凪を泣かせるくらいなら、おもちゃになった方がマシだ。
「体調は?」
「万全です。治りました。ご迷惑、おかけしました」
「そうか、なら良かった。それで、今日は、何をすれば良い?」
「はい、そうですね……」
俺が書けたものはあるが、見せたくないとを伝えても、凪の表情は崩れない。
凪は待ってくれている。落胆とか、残念とか、失望とか、そんな表情を一切見せることなく、俺に下す命令を考えてくれる。
「では、荒谷さん。あれ、やらせてください」
あれと言って指さしたのは本棚。そこには所狭しと、ライトノベルから、純文学、俺が気になった作品、気に入った作品が並んでいる。
「何をやらせろと?」
「これです」
俺は思わず手を伸ばして止めようとしたが、凪は本棚に元々なぜかついていた機能、隠し棚を開く。そこには、突然の来客や、親の襲来に備えて隠しておいた恋愛シミュレーションゲーム。の中でも、十八歳未満が買えないやつが収納されている。
「……おい」
「荒谷さんは、この手のものはキャラクター、またはストーリー重視だと思っているので。私も荒谷さんの原点を知りたいと思いました」
凪の言う通りだ。
この手の十八歳未満が買えない物は、実用性を取るか、ストーリーを取るか、キャラクターの可愛さを取るかに別れる。
十八歳未満が買えない要員を取り除いたもの、所謂、全年齢版を発売をするためには、ある程度の売り上げ実績が必要なわけで。
つまり、この手のゲームの隠れた名作、またはこれから名作として語り継がれるものを探すなら、自ずと、十八禁版に手を出さざるおえないわけで。
「というか、原点を知りたいならまず、今まさに君が弄っている書棚をだな……」
「読んだことありますし、読んだこと無いものは既に、勝手にお借りして読み終わりました」
あとはこれだけです、と凪は興味深げにパッケージを眺めている。
「そ、そうだ、俺がはまったアニメをいくつか紹介しよう」
「荒谷さん。命令です。やらせてください」
凪は既にやりたい奴をいくつかピックアップして、テーブルに積んでいる。
「くっ……とりあえず。そうだな」
あーくそっ、バックアップ取った時点で売れば良かった。
「これとこれとこれ」
凪が興味持った中で、当たりだと俺が思った物を残してあとは棚に戻す。
「ありがとうございます」
「お前、十六だろ」
「数え年十七です」
「どちらにせよアウトだ」
「知りません」
今時守っている人、いません。と目が語っている。
まぁ確かに、スマホ一個あれば、小学生でもあれな画像や映像を見ることが可能な時代ではある。
「そもそも、あんな制限のどこに意味があるのか」
「まぁ、苦手な奴にとって指標になるくらいの役割は果たしているだろ」
パッケージ詐欺なんてもの、あるし。可愛い女の子とイチャイチャするゲームかと思ったら、なかなかえげつない殺し合いになるとか、嫌だし。
「では、お借りしますね」
凪はニコニコ笑いながら、借りたゲームを鞄に仕舞う。
影響を受けた覚えはかなりあるが、原点を知りたいからと、ここまでやるのか、流石信者である。