溶けそうな作家擬き。
よく、ファンタジーや異世界転生ものの小説で、街並みを表現する時、ヨーロッパ風という言葉が便利に使われている。
確かに、俺たち凡人はヨーロッパ風と言われれば、何となく石畳の道を馬車が走り、西洋風の建物が乱立し、紳士服やドレスを着た人々が町を闊歩する様を思い浮かべるだろう。
そこに別に文句があるわけではないが、初心者作家が忘れがちなのは、自分と他の人々は決して同じ思考回路では無い事。言葉にしなければ伝わらないことがあるという事。書いているうちに内容が読者と脳内で自動的に共有されるなんてことはありえないこと。
今のヨーロッパは立派にアスファルトが敷かれ、エンジンで走る自動車が走り回っている。
紳士服もドレスも、必要に駆られなければ着ないだろう。
まぁ、デビューできていない時点で、俺もその初心者作家と何も変わらない。結果が出てないのだから。デビューした途端に偉そうに創作論を語る人もいるが、あまり好まれないけど。デビューすらしていない俺に、発言権は用意されていない。
「荒谷さん、今何を考えているのですか?」
「あぁ、太陽が俺たちを焼き殺そうとしている理由だよ」
目を落とせば石畳、顔を上げれば名前も知らない洋服店が、軒を連ねる。人の群れは壁となり、店に入るのも一苦労では無いかと思わされる。俺はこの光景を、一言で何と伝えれば良いのだろう。
凪に目を向ければ、長い白いワンピースに、大き目の麦わら帽子。またワンピースかよ。とは思うが、似合っているし、好きなら良いやとまた空を見上げる。俺も帽子被って来れば良かった。
「凪の服見るか」
「荒谷さんのは?」
「俺が着飾った所で誰も得しない。凪は素材が良いからな、楽しそうだ」
「えっ……」
「あっ」
暑さで頭がおかしくなってるな。太陽が俺の脳細胞の一部を焼き払いやがった。ピンポイントで言うつもりの事と、言わないでおこうと思っていることを選別する回路を焼き切ったな。
やべー、ぼーっとする。人が、多すぎる。
「行くぞ」
「は、はい」
凪がなんか嬉しそうにしてるから良いや。俺の言葉で喜ぶとは、信者とは随分と安く済むのだな。
汗が噴き出してくる。タオルで拭う。なぜ今日はこんな、憎たらしくなるくらいに快晴なんだ。
「すまねぇ」
「あはは。まぁ、私も最近まで引きこもっていたので、丁度良かったです。あはは」
凪が憐れんでいるのがわかった。
アイスコーヒーを吸い上げる。
ついて早々にランチタイムとは。少し早いからおやつタイムにするけど。
冷房の効いたレストラン、居心地がいい。
電車で二駅。そこからバスに乗って十分。歩いたのなんて家から駅まで、バス停からここまでくらいだ。その間に、校庭を三周したくらいの汗をかいた気がする。
「もう少し外にいたら、頭痛くなってたかも」
「それは大変です。今日の分の短編が危うくなります」
「もう書いてあるから安心しろ」
心配するのそっちかよ。
ったく、なんで四歳も年下の女の子に振り回されてるんだ、俺。
暑くてもケーキは旨いし、コーヒーを飲めば頭がスッキリする。
「行くか」
「はい」
いつまでもここにいるわけにもいかない。覚悟を決めよう。
「これどうですか?」
「いつもと変わらん」
「このリボンの感じが良いのに」
黒ワンピースだけでどんだけレパートリー欲しいのだ、この子。
「うーん。たまには別の。どれが良いのかなっと」
いざ選ぶとなると、悩んで手が止まる。
どれも良いなと思える。凪の素材の良さもあるが。
実際、ワンピースは俺の好みの服ではあるのだが。
「荒谷さんの好みは何ですか? 教えてくださいよ。荒谷さん」
「いや、凪が着ている服って、わりと俺の好みなんだよね」
「あっ、やっぱりですか。ですよね、小説に出てます」
「まぁ、内面さらけ出しているようなものだからな」
そうなると、凪は最近になって知り合ったが、前から俺の内面を知っていた。って事か。うわ、すげー変な気分。
「となると、これですか?」
少しサイズ大き目なネルシャツ。袖がダボっとするくらいの。
「あとは、チラッと足が見えるくらいが好みですかね。私、足にもそこそこ自信がありますから」
「やめい」
好みを次々と言い当てられ、物凄く居心地が悪い。ついでに自分の好みに自分から染まろうとしている行為に対して止めるべきか止めないべきか、選ぶのは彼女だと思いつつ、でもやっぱり止めた方が良いのではと悩んで、手が中途半端な所で泳ぐことになる。
「あと、ベレー帽も好きそう。ディアストーカーも」
「帽子を描写した覚え、そこまで無いけど、よくご存じで」
「熟読してますから。それに白いTシャツに、黒いミニスカート。どうです?」
神代凪。恐ろしい子。
「あぁ、素晴らしいよ」
素直に軽く手を叩いて称賛。
「えへへ。じゃあ、これ購入で」
近くにいた店員さんに渡すと、深々と頭を下げて行ってしまう。何となしに嫌な予感を覚えながら俺が財布を出そうとすると、手で制される。
「ここで待っててください」
「お、おう」
女物の服屋なので、一人にされるとわりと困るが、冷房の効いた店内から、ギリギリまで出たくない。
仕方ないので、服の組み合わせの勉強をしようとマネキンを色々見て回る。
「お洒落なもんだ」
そういえば、スーパーで試食販売している人もマネキンって呼んでたな、店長。
「お待たせしました」
凪が、さっき選んだ服に着替えて立っていた。
「靴はローファー、ですよね、これなら」
「……俺は君が恐ろしいよ」
素直にそう思う。
外に出て道を歩けば、チラチラと視線を感じるわけで。すぐに凪が見られていると気づいたけど。
「やっぱ君は美人だ」
「荒谷さん、今日はなんかおかしいですね」
「だろうな。夏のせいだ」
そう、夏のせいだ。
俺が三次元の女の子に、美醜の区別はあっても、魅力を感じるわけが無いのだから。
「例えばだ、凪。現実で女の子と付き合うとして、未だに前時代の思想に囚われ、デートで発生した料金は男が持つべしと考える女は、まぁ俺はその時点で切るのだが。食事代、安物の店は嫌みたいなくそ女が相手だとして大体一人三千円か? 後は移動費で電車だけで千円くらい。これくらいは女も出すか? 車なら完全に俺持ちだろうけど。ガソリン代」
「凄い極端な例を想定していますね」
「最悪を想定して動くのは大事だろ」
昼食、既に注文は済ませてある。服にお金を使わせてしまったので、ここは俺が持つが。
「さらに記念日にはプレゼント。大体五千円前後を想定しておくか。花は邪魔だから小物かな。高すぎると気が引けるから、安いので良いよという良識的な女の子なら良いけどな」
「むしろ、そういう人の方が多数派だと思いますよ」
俺のこのくだらない主張を、嫌な顔一つせず、熱心に聞く女の子に、多数派を語られてもな。
「そんでもって、それだけされて、労ってくれる女の子は少数派だろ。食事代払ってもらったから、ここは私が持つね、みたいな女の子、いるか? 彼氏の車で移動して、ガソリン代を渡してくれる子、いるか? 運転お疲れ様とかいって、コンビニでコーヒーくらい買ってくれる子はいるだろうけど」
「荒谷さん、女性経験少ないようですから、私も彼氏持ちの女の子をリサーチしてるわけでは無いので、何とも言えませんね」
ニコニコと、何が楽しいのかさっぱりだが、意見を述べてくれる凪。
俺なんかに構って無いで、男漁りしに行けば良いのに。
「記念日も、彼氏の誕生日でもない限り、男がプレゼント渡す謎の風潮あるし」
「あー。それはあるかもしれません」
「カップルによっては、月ごとに何か月記念みたいなことしてるしな」
中学時代、何故かカップルが雨後の竹の子の如く乱立する時期があった。
昨日まで野球部のキャプテンと付き合ってた女が、次の日はサッカー部の部長と付き合ってるなんてことは珍しくなかった。
大体三か月で分かれる風潮があったな。一か月記念、二か月記念、教室でイチャイチャして、三か月記念で別れる、みたいな。鬱陶しい。
「怠いですね。それ」
「なっ。男女の友情との違いとか、キスとかそこら辺だろ」
「キスフレンドってあるらしいですよ」
「マジか。ならもう、恋人という線引き、曖昧だな」
女子高生に何話してんだ、俺。
影山相手なら、俺ももう少し話題を選ぶんだろうな。凪だとどうしても脊髄で話している感じが否めない。
「さて、ところがギャルゲーなら大体五千円で可愛い女の子と結ばれる。素晴らしいだろ」
「荒谷さん」
凪が手を伸ばす。そして、机の上で組まれていた俺の手を握る。
「画面の中の女の子と、こうして手を繋げますか?」
柔らかく、すべすべした手はとても触り心地が良い。家事をしているのに、全く荒れていなかった。
少しだけ、頬を赤らめる凪。自分から来るなら、恥ずかしがるなよ、ったく。
何を思ったのか、手を握り返していた。凪も少し驚いていた。自分の行動が理解できなかった。
「えっ、と」
手を離そうとするけれど、逃がさないと言いたげに、強く握られた。
「凪、二次元は触れられない、それは禁句だ。あと、恋人同士じゃないだろ、俺達は」
この関係に、名前をつけられるなら、つけて欲しい所だ。
示し合わせたわけではないが、同時に手が離れた。何故か顔が熱かった。