踏みしめた足跡。
「我が家のメイド。」俺が初めて投稿し、一年かけて完結させたネット小説デビュー作。最終的にブックマーク数は二千を超え。一日に入ったポイント数を競う日間ランキングも、総合百位まで達成した。
高校生の主人公と、それに仕えるメイドとの交流を描いた作品ではあるのだが。
そもそも、俺はこれをなんで書こうと思ったのか。
この作品のヒロインであるメイドちゃん。確かこれでもかと理想を詰めた覚えがある。俺の中にあるヒロインの理想形を。
理想のヒロインを動かすだけで、こんなに長く、一年も続けられるのか……?
俺はこれを、どうやって書いた。
どうやって、結末に辿り着いた。
「読むか」
そうして、俺は自分の作品を一から読み返すことにした。
メイドが家にやってきて、ぎこちないながらも交流を深めていく。
出会いや事件を通して、成長していく。
そう、出会いは必要だ、人が最低でも三人集まり、初めて政治が始まる。悪が生まれる。関係性の中の悪である。絶対悪ではなく、相対悪である。
「二人だと、ただの会話劇だからな」
それから、男と女、恋に発展するのも物語の流れとして、自然なものだろう。
メイドはメイドとしてご主人様に抱いて良い気持ちなのか悩む。主人公は、優秀な彼女に自分が相応しいのかを悩む。
なんというか、この主人公に恋するメイドちゃんも、なかなか苦労人だよな。
紳士的も過ぎればただのヘタレだからな。
「ふむ……」
「荒谷さん?」
「あっ、おかえり」
「……! た、ただいま帰りました!」
何を驚いてんだ。
「そ、それで、何していたのですか?」
「『我が家のメイド。』読んでた」
「どうしてです?」
きょとんとしながら凪は聞く。
「あぁ。俺がなんでこの作品を書き続けられたのか悩んでな。それで」
画面に目を戻す。
主人公とメイドちゃん。それぞれが今の関係について悩む。
そういえば、感想に距離感が好きってのが多かったな。
「この二人の距離感……」
「荒谷さん。短編は……?」
「あぁ、書いてない。すまん」
「い、いえ、まぁ、長編のために時間を費やしていたと言うなら……」
「それは駄目だ。約束は約束だ。書いてから悩めば良かったんだよ。反省」
凪にはそこらへん、きっちりしておきたかった。この一か月、見限ることなく、素直に真っ直ぐに向けて来る期待に、応えられない現状は、少し許せないものがあるし。
「何すれば良い」
「……出かけませんか? 明日」
「どこに?」
「そうですねぇ。荒谷さん、免許持ってますか?」
「持ってるけど、車が無いぞ」
「じゃあ、電車が良いですねぇ」
別に決めていたわけじゃないようで、凪はスマホを取り出す。
さて、どこかな。
「あっ、アウトレットモール行きたいかも」
「良いと思うよ。何が売ってるか知らないけど」
「服とか、インテリアとか」
「あぁ。じゃあ、凪の服でも見るか」
そういえば、あの主人公、メイドちゃんのコーディネート考えるの、好きだったな。
凪が少し嬉しそうに目を輝かせたのを見て、少しの満足感を覚え、同時に俺で良いのか、影山とかの方が良いのではとか考えて、でも、誘われたのは俺だと思い直してスマホに目を戻す。
流石に、一日で読み切るのは難しいかな。
「グダグダで削りたい話だな、この辺り。いるのか、体育祭の話とか、文化祭の話とか」
読み進めていく。確かこの辺り、ひたすらイチャイチャして、メイドちゃんの可愛らしい反応を楽しむだけの小説にしようとか思ってたな。
それでキツイなってなったんだっけな。イチャイチャを維持しつつ、登場人物を掘り下げようと思い直した。その路線を間違えたとは思っていない。
でも、書籍化もできなかったし、コンテストに申し込んでも精々一次選考を通過できた程度。
「売れない、そう言われてんだもんな」
最高に理想を詰め込んだヒロインは、世に出しても売れない。
「そういえば。この辺りだったかな。薄々書籍化は無理だと察し始めていたのは」
それでもできると思っていたから、笑える。
ようやく主人公を掘り下げし始めた。
でもその後なんだよな、メイドちゃんを掘り下げんの。
新人賞なら速攻で落とされるな。ハハッ。
新人賞は提出した原稿で完結しても違和感ない仕上がりにしなければならない。続編を匂わせてはいけない。出したフラグは回収しきらなければならない。
売れなければ一巻で打ち切りなのだから。
「荒谷さん。夕飯……」
「あっ、すまん」
「いえ……どうですか?」
おずおずと見上げてくる目。真っ直ぐに見返す。
「なんでこの主人公、モテるんだろうな」
読んでてわからなかった。やるときはやっているし、人間的に悪いわけではない。でもわりとうじうじした面が目立つ。
ヒロインが可愛いのは重要だが、主人公に魅力を持たせるのも、大事だ。
例えば、英霊を召喚して聖杯をかけて戦争する物語の赤髪の主人公とか。例えば、特殊な事情を抱えた女子生徒五人しかいなかった学園に転校してきた、たった一人の男子生徒とか。
ヒロインも魅力的だったが、何より主人公が魅力的だった。
「俺の書いた主人公は、魅力的だったのか……?」
「確かに、悩んでばかりでしたね。それが、人間的と言えなくもないと思いますけど」
珍しく中華。麻婆豆腐だ。
レンゲを手に取る。
「……辛い」
「あっ……」
「でも、それが良い」
すぐにホッとした顔を見せてくれる。
実際、汗が噴き出るようだが、食べる手が止まらなかった。ヤバい、美味しい。
「定期的に作って欲しいな、これ」
粗挽きのひき肉が良い。楽しい食感だ。
「はい。嬉しいです」
あっという間に食べ終わった。
もう一杯いける。
凪の料理は、息抜きというか、詰まった思考を解きほぐすのに、一役買ってくれていた。
「でも今は、ごちそうさま」
「お粗末様です」
再び、自分の作品を読み返す。
「凪は、いつ出会ったんだ、これに」
「高1の頃。なので、去年の夏ですね」
「となると、完結を意識して動いてた辺りかって、百話書いてた辺りで俺に気づいたって言ってたな」
大学一年の夏の初めに始めて、大学二年の夏が本格化したころに完結させた物語。それから続編を書いて、短編を書いて、終わったのがまさに夏の終わり。それから新作を書こうとして、無理で。
「続編とか、読んだか」
「読みました。勿論。でも、神薙先生の新作を書きますって宣言、それから、ずっと待っています」
続編までついてきてくれる読者、少なかったな。
ヒロインは結局三人になった。
俺は昔から、誰か一人を選ぶ物語にどこか不満を覚えていたところがある。それぞれの結末が欲しい。そう思っていた。
その点、ギャルゲーは好きだ。シナリオによって質の差はあるが、ちゃんとそれぞれのヒロインが主人公と結ばれた場合の物語が用意されていた。
だから俺は、それぞれの結末を描いた。
その判断を、間違っていると思ったことは無い。結末も、そこそこ綺麗だ。
やっぱり、全力を尽くしている。今の俺に、これ以上の案は出せないし、これ以上の作品を書く、自信がない。
粗削りだし、無駄もあるが、やっぱり、面白いんだ。自分で読んでも。
「くそっ」
「荒谷さん」
後ろから感じる温もりと重み。柔らかさ。気がつけば、台所から聞こえていた水音が止んでいることに気づいた。
「根を詰め過ぎです」
後ろから抱きしめられていることに気づくのに、少しの時間を要した。
「凪、俺にできると思うか?」
「信者にそれを聞きます? できるに決まっているじゃないですか」
抱きしめる力が強まる。一瞬、身を委ねてしまいたい。そう思ってしまったけど、堪えた。
堪えろ、荒谷諭。相手は女子高生だ。しかも三次元だ。
だから引きはがして、立ち上がった。
「全く。明日出かけるんだろ。準備してさっさと寝ろ」
「明日起こすの私なので。遠足前の子どもじゃないので、すぐにぐっすりですよ。不登校児は寝るの得意ですから」
胸を張ってなぜか自慢げだ。
「……ありがとな」
気がついたら、そう呟いていた。
きょとんとしている凪が、面白かった。