真面目で律儀な少女。
「っ、荒谷先輩。離して、ください」
影山の腕を掴んで市川から離した。
思ったより強い力に驚いた、一人なら普通に負けそうである。
凪と二人がかりで抑え込みにかかるが、少し力を抜けば逃げられてしまいそうだ。
そんな俺たちを、市川はただ静かに見ていた。
「放っておいてくれれば良かったのに」
どこか嘲るように、市川は言う。
「彼女の手を、お前で汚したくないよ」
「別に、彼女の家庭は壊したくて壊したわけじゃないし、僕は壊してない。僕が壊したのは彼女の母親だけだ。別れを切り出したのは彼女からだけどさ」
「……チッ」
わかっている。こいつがこいつのためにやったことが結果的にこうなっただけ。でも。
「それでも、お前が悪い」
「そうか」
影山が急に大人しくなるけど、手を離す事だけはしない。凪は一瞬力を緩めるが、すぐに思い直す。
長い黒髪が陰になり、その表情を伺い知る事は出来ない。
「影山。ダメだ」
「私は、悪い子に、なろう、と思いました。あなたを、殺すために。あなたが、母と、関係を、持っていたことは、知っています。だから、あなたが声を、かけてきた時、あぁ、この人か、って」
殺す、と言う言葉に、確かな意思を感じた。誰かの声で震えたのは、初めてだった。
「へぇ」
「悪くなれば、誰かを殺める事に、抵抗が、無くなると、思っていました。ダメでした。さっきみたいに、衝動的にならないと、無理でした」
「……当たり前だろうが。それに、お前に悪は、無理だ」
「そうだね、本当に。君には無理だよ
気障ったらしく髪をかき上げ、そして、見覚えのある顔で笑う。
「でも、言葉は、本気っぽいなぁ。流石に無理だわ、死ぬのは勘弁」
影山の身体から力が抜けたのを感じた。今度こそ手を離した。
「私が、諒さんを、憎めば良いのか、わかりません。私は、親は、嫌いでした。でも、私の中の普通を、奪われたことは、恨んでいます」
巣から落とされた雛。
そんな文言が頭に浮かんだ。
「それは君の勝手さ。涼香。俺は俺を守るために生きているだけだから」
「あなたは、女の敵。です」
「よく言われる。帰るよ。荒谷、また大学で」
「一か月先の予定を勝手に決めんな」
どうせ無視しても、絡んでくるのだろう。
家に来たくなったら、ベランダから入ってくるのだろう。
彼は、そういう奴だ。わかりやすいくらい、自分のために生きている。
「なぁ、影山」
「はい」
「今聞いて良いのか、わからないから。嫌なら無視し手も良い」
「はい」
「あいつの事、好きだったか?」
「……はい。あの人は、会いたい、と言えば、会ってくれました。いつでも。夜中でも。とても、気遣い上手で、連絡、すればいつでも、返して、くれました。付き合っている時、嫌いに、なれるわけ、ありませんでした」
あいつの女を壊す手法は知らないけど、彼女として大事には、していたんだな。
「いやー。凄いですね。お父さんにお願いして、荒谷さんの部屋の台所を改装したくなるくらい、この家のキッチンは充実しています」
「お手伝いさんが、料理上手で、お父さんが、改装したの」
「はぁ」
鎌からピザを出してうっとりと眺める凪はとても楽しそうである。が、マンションに窯は流石に無理だと思う。
女子高生二人がパタパタと忙しくキッチンを動き回る。
料理なんて、肉と野菜を炒めるくらいのやつが、その空間にいても邪魔なだけだろう。
「ちなみに、そのお手伝いさんは?」
そう声をかけてみると。
「お父さんと家を出ました」
と、なかなかえげつない答えが帰って来た。
「君は、着いて行かなかったのか?」
「高校生は、転校とか、面倒、じゃないですか」
パスタを持った皿をテーブルに並べる。遅れて凪がピザを二枚テーブルに並べる。
「食べましょう」
「ん。食べながら、凪に聞かなきゃいけない事があるからな」
「あー。あれだけの事があっても、頭から飛んでなかったのですか……」
凪に関しては、今ある素材を繋ぎ合わせると、辻褄が合う説明が一つしか浮かばない。
「お前、不登校だろ」
「面と向かってそう言われると、なかなかキツイものがありますね」
目を泳がせ、俺と影山を交互に見て、ため息を一つ。
「はい、私は高校に行っておりません。名前だけは在籍している。俗に言う不登校です」
俺の部屋を掃除したり、朝起こしに来たり、明らかに生活時間がおかしかったからな。高校なんて通ったのは四年も前の話だから、変わっている可能性もあったから確信はしていなかったが。
「不登校でも制服は着るんだな」
「……ご近所さんの目もあるので……それに、テスト期間は行っているんですよ。テストで良い点とれば、多少は甘く見てくれるので、進級。えへへ」
はにかむように柔らかく微笑んで。誤魔化すようにピザを頬張る。
「我ながら美味しいです」
「あぁ、美味いな」
一旦話題を変えたい、そんな意思表示に見えたので、それに乗ることにしよう。あまり無暗に踏み込むと、なかなか辛い目を見るという事は数時間前に学んだことだ。
「食い終わったら、帰らないとな」
もう、日は沈んでいる。
きっと外は涼しいだろう。
「学校、来ませんか?」
しかしこの真面目で律儀な影山さんは、そんな俺たちの逃避に待ったをかける。
「えっ……と、涼香さん?」
「私、凪さんとは、友達。何があったのかは知りませんけど、凪さん、守ります。腕っぷしは、あります」
「えっと……暴力は、やめましょうね」
影山の圧に、凪も流石に困り模様。
まぁ、これまで大人と渡り合ってきた影山が、同年代にビビる方がおかしいのだ。思えば、接客がちゃんとできていたのも、そういうことだろう。
「私が、凪さん、守りますから。諒さんをひっぱたいた時、なんか、感動、してしまいまして」
あぁ、まぁ。
俺は殴ったら負けとか思ったけど、凪はすぐに手が出たな。影山にとっては、殴ってくれた方が良かったみたいだが。
「恩返し、したい、です。お二人には」
「えっと、大丈夫ですよ。涼香さんは涼香さんの高校生活を、どうぞお楽しみください」
やんわりと、凪は断った。
その日はそれで済んだが。
「荒谷先輩、起きてください」
……は?
目が覚めたら、なぜか艶のある黒い髪が目に入った。
「なぜ、お前がここにいる」
「凪さんを、迎えに来たら、荒谷先輩を起こして、朝食を作る、とのことでしたので」
「あのなぁ、遅刻するぞ」
「まだ、夏休み、です、今は夏期講習期間で、普段より、遅いのです」
そういえば、そうだな。俺もだけど。
「んで、凪を学校に連れて行こうと?」
「はい」
「こういうのはゆっくりの方が良いだろ。あいつテスト期間はどうしてたんだ?」
「別室で、受けている子が、いるとは、聞いていました」
「ふぅん」
まぁ、そんなところだろうな。
「あまり無理に連れて行こうとすると、こじれるぞ、こういうの」
さて、起きるか。
最近、凪の作る料理は美味いと、素直に思う事にした。何度も言うが、料理に罪はない。
「おはようございます。荒谷さん。涼香さんはコーヒーは何か淹れますか?」
「ブラックで、大丈夫、です」
トーストに目玉焼きにウインナー。スープ。模範的な朝ご飯である。
「凪さん、洋食が得意、ですか?」
「そうですね。何か作るとなるとつい洋食ですね。和食とか中華も、できなくはないのですけど。あっ、和食少し苦手かもしれません。やっぱり」
「……和食、得意、です」
「本当ですか!」
流石才女、だな。
「そろそろ、行きます。凪さん。無理強いは、褒められたことでは無い。荒谷先輩から、そう習い、ましたから」
「あっ、はい。ごめんなさい。いってらっしゃい。です」
折り目正しく、美しく、品を感じさせるお辞儀を見せた影山は、音一つ立てずに家を出た。
その一連の動きに、影山涼香を見た気がした。
それから、影山はバイトをやめた。いつもの俺なら、頭を抱えながら、先の事に憂いを感じているところだが、むしろ良かったな、なんて思っている。
市川が言っていた、前の影山というのがふと気になったが、良いや。大事なのは、今、そしてこれからだ、動き出した彼女の昔を粗探ししても仕方がない。
そして、不登校がバレた凪は堂々と俺の部屋に居座るようになった。
「荒谷さん、何かして欲しい事ありますか?」
「俺は別に、お前に管理されるほど生活習慣が乱れていた覚えは無いんだよ。前から思っていたけど」
「えぇ。はい。でも、創作に割く時間は多いに越したことはありませんから」
微笑み、そして、頷く。
「私は、荒谷さんが書く物語が、楽しみですから」
ため息一つ、作業に戻る。書き忘れていた分の日記を書き終え、今日の分の短編の執筆に移る。
「長編、か……」
俺は、また書けるのか。
短編は慣れてきた。短い中に起伏を詰めて、起承転結を作る。
でも、長編だ。
俺に、それを書くだけのエネルギーを、出せるのか……?
「むしろ、何で書けたのかな」
長らく開いていなかった、小説投稿サイト『小説家になりたいひと集まれ』のマイページ。そこから、「我が家のメイド。」を開いた。
次回・夏の亡霊編、スタート。