18話チャップブック
「どうしましょう?」
お茶を飲んでいた、リリアの元に、急にサロンへの招待状が来たのでした。
「どうしましょう?…ですって?それは、『行く』以外の選択肢なんてないわ。そうでしょう?リリアさん!!」
メアリーは、少し興奮ぎみに言い、急に娘らしい口調になったメアリーをフェネジは、面白そうに眺めていました。
「サロンって…そんな嫌なところなの?」
フェネジは、困り顔のリリアに聞きました。
リリアは、寂しげな笑顔で、フェネジにいいました。
「いいえ。アプフェル夫人のサロンは、とても芸術的で素敵な集まりなの。
招待される方々も、名士や才能溢れる音楽家や詩人で、招待を受けることはとても光栄な事なのですけれど…。
どうして、私が呼ばれたのか…、分からないから不安なのですわ。」
リリアは、無意識にバイオリンを持つ手に力を入れました。
「それは、あれだけ上手にバイオリンが弾けるんだもの。アプフェル夫人のサロンにだって呼ばれるわよ。
私だったら行くわ!
だって、あのアプフェル夫人なのよっ!!」
メアリーは、少し興奮しながら言いました。
アプフェル夫人は、エリーザベト皇妃とも親しくされる高貴で、とてもファッショナブルな婦人でした。
メアリーも、ウィーンに来た頃は、夫人に憧れて、色々と噂話を集めたものでした。
「そうですわね…。メアリーさんも御一緒できたらよろしいのに…。」
「!!!」
メアリーは、リリアの『御一緒』の言葉に天にも上るような気持ちになりました。けれど、すぐに悲しい気持ちになるのでした。
「この体じゃ。どちらにしても行けないわ。」
メアリーは、自分の姿がリリア意外の他の人に見えないことを思い出してため息をつきました。
不思議な事に、フェネジの魔法もきかないのです。
これでは、憧れのアプフェル夫人に挨拶もできません。
「でも、急な呼び出しだよね?普通なら、何日も前に招待状が来るんじゃない?」
いつになくフェネジの鋭い突っ込みにメアリーは、驚いてフェネジを見ました。
そうです。
この時代は、連絡手段が限られています。
1870年代には、電話の特許合戦が始まります。
でも、まだまだ実用には至っていません。
しかも、高貴な方のサロンへの招待なら、何日も前から来そうなものです。
「それは、多分、先に招待された音楽家の方が欠席されたのかもしれませんわ。
私たちは、宮廷に常駐していまから、時おり、そのような事を依頼されるのですわ。
でも…普通は、宮廷楽士の中から選ばれるのですが…。」
リリアは、いつもと違う人選に少し不安そうでした。
「どうしたの?」
メアリーは、リリアの心配の仕方が尋常でない気がして聞きました。
リリアは、悲しそうにメアリーを見つめました。
それから、決心したようにメアリーに話をはじめます。
「シュマーレン家の末のご子息と、あのクグロフ家の方がいらっしゃるそうで、多分、無くなったバイオリンの代わりを…私のバイオリンの音色を聴いて品定めをしに来るのだと思いましたの。」
リリアは、愛しそうにバイオリンを見つめました。
リリアは、はちみつ色の癖の無い長い髪をしていました。
それを三つ編みで乙女らしく結い上げてあり、細いうなじの後れ毛にキラキラと午後の光が集っていました。
きれいだなぁ…。
フェネジは、長いまつげを下に向けてバイオリンを愛しむリリアの姿を見ていると、なんだか胸がキュンとして、助けてあげたくなりました。
俺に任せておけっ!
と、格好よくフェネジは声をかけるつもりでした。
が、
「ええっ、シュマーレン家の末のご子息って、まさか、チャップブックじゃないのかい!!」
と、メアリーに先に叫ばれて、フェネジは、ビックリして折角の決め台詞を忘れてしまいました。
「チャップブック…とは、どちら様でしょうか?」
リリアは、メアリーが何に興奮しているのか分からずに困惑しながら聞きました。