34,政府専用病院/談話室・昼
日除け越しの光が射す談話室。人の姿は無いように見える。
そこに、つい先刻までジェンを怒鳴っていたサシェを病室から半ば無理矢理に連れ出したスズミが入って来た。
「はいはい、取り敢えずそこの椅子にでも座りましょうか」
「…………」
仏頂面のサシェは、しかしスズミには素直に従い、適当な椅子に腰掛ける。
その間、スズミは備え付けの湯沸かし器と茶葉で茶を淹れ、彼女の元へと運んだ。
「温かいもの、お好きでしたか?」
「……別に。嫌いでも頂くわよ」
折角淹れてくれたんだから、とサシェはスズミから茶の入ったカップを受け取り、口を付ける。
二、三口、茶を飲んでから、サシェは、ふう、と息をついた。
「ありがと。大分落ち着いたわ。悪かったわね、迷惑掛けちゃって」
「いえいえ、お気になさらず」
眉の力の抜けたサシェを目にし、スズミは微笑む。すると、彼等の背後から走る足音が響いた。
「あ、居ました! サシェさーん!」
その足音の主──シグネはサシェに駆け寄り、満面の笑みを浮かべる。
「何よ。何か用?」
「はい! 先程ジェンさんのお見舞いに行って来たのですが、私、貴女にお礼が言いたくて! ジェンさんを治していただいて、本当にありがとうございました!」
深々と頭を下げるシグネを、サシェは困惑の目で見た。
「な、何であんたがお礼なんか言うのよ?」
「だって、あんな理不尽な輩に殺されかけた仲間の命を救って下さったんですよ!? 感謝せずにはいられないじゃないですか! 感謝は人に伝えてこそ、ですし!」
シグネを些か煙たく感じながらも、サシェは、あそう、と彼女を遇らう。そして、満面の笑みを崩さないシグネは、そうそう、と嬉々とした表情を浮かべた。
「あの、それで私、思ったんですよ!」
「何を?」
「はい! サシェさんの『能力』、もっと多くの人に認知してもらうべきなんじゃないかって!」
シグネの言葉を耳にした途端、サシェの表情が変わる。
「この国は傷付く人々が多く居ます。私も含めたシュダルト警備隊や治安維持部隊は、そんな人達を救い、力になる為に、毎日一生懸命働いています。でもたまに、どうしてもあるんです。救えない時が。理不尽に傷付けられて、搾取されて、幸せに生きるべき善良な人達が虐げられているのを見ていると、私、どうしてもその理不尽が許せなくなるんです。でも、サシェさんは違います! その力があれば、どれほど傷付いた人であっても治し、それを目にした人の心を癒し、人々を救う事が出来る! 私、そう思ったんです! それにお師匠様にも話したんですけど、その力をもっと活用すれば良いのに、って仰ってましたよ!
……って、どうしてそんなに怖い顔をなさってるんですか?」
サシェに睨まれている意味が分からず、シグネは首を傾げた。程無くして、自らの視線の意味を一向に理解する様子の無い彼女に、サシェは呆れ気味に溜息をつく。
「別に、何でもないわ。気にしないで。でもまあ、一応あんたにも言っときましょうか。私の『能力』は他言無用。良いわね?」
「え、そんな!? サシェさん、もっと自分の力に自信を持って良いんですよ!?」
「そうじゃなくて。私の『能力』は私の口から説明したいの」
「! 成程、そういう事でしたか! なら私からは黙っておきますね! 大丈夫です、私、約束は絶対に守りますから!
……あ! もうこんな時間! 私、警備隊の業務に戻りますね! ありがとうございました!」
シグネは再度深く頭を下げると、駆け足で談話室を出て行った。
「……夕立みたいな人でしたね」
「全くよ。うざったいったらありゃしない」
「僕は好きですけどね。彼女の笑顔に心救われる人は実際多いでしょうし」
頬杖をついて溜息をつくサシェの隣で、スズミはふと彼女を見る。
「お嫌いなんですか、自分の『能力』」
「……まあね」
サシェは小さく呟いてから茶を一口飲んだ。
「あたしの『能力』、超回復。対象の霊力の残存度合いに応じて肉体を強制的に回復させる『能力』。自己強化系なんだけどね。ほら、身体強化って、自身と自身に触れているものに対して強化が掛かる、ってあるじゃない? それを利用して、あたしが触れた人間に強化を掛けて、『能力』を発動するの。そうすれば、自分と同時にはなるけど、相手も一緒に回復する。あの時ジェン君の火傷を治したのはそういう理屈よ。
……医者としての知識を身に付けたのが先だったからかしら。これがあたしの『能力』だって分かった時からもう気に食わなかったわ。人が自分自身の傷や病気を治す力を、医者として一番信じなきゃいけないものを、あたしに全否定しろって言いたいのかって思ったもの。でもまあ、ごく普通の感性を持つ人からしてみれば、奇跡を起こせる力って見られるんでしょうね。それこそシグネが言ってたみたいに」
ふむ、と相槌を打ったスズミが、口を開いた。
「ジェンさんのあの大火傷でさえ、ほんの数十秒で回復させる事が出来る『能力』、ですか。確かに、奇跡と呼ぶ人は多いでしょうね。異国風に言えば、救国の女神、なんて呼ばれ方をするかもしれません。その扱いを何時か受けるかもしれない、そう考えるだけで疎ましくなる気持ちは良く分かります。でも」
サシェの茶の入ったカップへ徐に指を向け、スズミは目を細める。
「『能力』は個の象徴、つまり自分自身の性質を表すもの。その力だって、元はと言えば貴女自身が生み出したものなんです」
冷めた茶が熱を帯びていく事に気付き、サシェは目を見開いた。
「どんな『能力』だって使い方次第。嫌いになるのも良いですが、一度くらい、向き合ってみるのも悪くないんじゃないですか。損はしないと思いますよ」
スズミに笑いかけられ、サシェは極まりが悪そうに外方を向く。
「……知った口ばっかり利かないで」
ややぶっきらぼうに言ってから、サシェは茶を一気に飲み干そうと仰いで──その熱さに、慌ててカップを机へ戻した。
一連の様に思わず吹き出してしまったスズミを、頬を赤らめながら睨む彼女だったが、ふと表情を緩ませ、浅く息をつく。
「頑張らなくちゃね、あたし達」
「? どうされました、急に?」
唐突なサシェの発言に、スズミは目を瞬かせた。
「憶えてる? あの時、ぼろぼろのジェン君が相手に言った言葉。
上、つまり政府がどんなに腐っていようと、彼等は国を維持するっていう最低限の役割は絶対に果たす。軍人は上官の命令には絶対に逆らわない。だから警備隊が民間人に暴力や武力を振るうような事をしていたとしても、軍や政府側に大義名分があるんだ、って。
あたし、これ聞いた時、すっごくつらかったのよ。だって、国を維持するっていう最低限の役割は絶対に果たすって、軍人ならそんなの当然でしょ? そんな、至極当たり前の事に対して大義名分があるんだ、なんて、それ以外に大義名分が無いって言ってるのと一緒じゃない。そんな情けない話、ある?」
それに、と、サシェは続ける。
「あれってジェン君が『能力』保持者で、尚且つそこらの警備隊とか治安維持部隊なんかより何倍も強いから言える話なのよ。これが一般人の立場になってみなさい、同じ事が言えないどころか、普通なら今頃、そこら中で暴動が起きてるわ。あたしはどちらかと言えば裕福な家の出だし、士官学校を卒業してすぐ国境警備軍に配属されたから、国内の治安の悪さに触れる機会なんてほとんど無かったけど、それでも、ああ、この国って抑圧されてるんだ、って、一発で分かったわよ。
……でも、今自分にその状況をひっくり返せる力があるかって言われたら、絶対無いし。だからせめて、当然の事だけが大義名分の人間にならないように、彼にそういう人間だって思われないように頑張らなきゃ、って。今回の任務で思ったのよ」
言い終わってから今度こそ茶を飲み干して席を立ったサシェを目にし、スズミは笑みを浮かべる。
「そうですね。僕も貴女を見習って精進しなくては」
「は? あんたはもう、十分じゃない。今更何を精進するのよ?」
「いえいえ、それほど立派な人間ではありませんよ、僕は。それにさっき、あたし達、って仰ってましたから」
「え!? そ、そんな事言ったかしら……!?」
「ははは。さあ、どうだったでしょうか。僕の聞き違いだったかもしれません」
「どういう意味よー!?」
小さな一室を去りつつ、賑やかに言い合う二人。
その彼等を眼下に見下ろす影が、一つ。
影は部屋から離れ、人気の無い物陰へ飛び降りると、籠手に刻まれた術式をマフラー越しに口元へ近付けた。
「アレグリア様。メイラ・エンティルグ及びスズミ・ティノーチェの偵察、完了致しました。ご報告は何時が宜しいでしょうか──……?」
ギルド/ギルド長室・昼
じりじりと石畳を焼く太陽。
強い日射しが日除けを通って柔らかく部屋を照らし出すギルド長室で、ジェンは黒革の張られた椅子に畏まった様子で座っていた。
暫くして、彼の背後の扉から、ギルド長──ティモスが現れる。彼は分厚い紙束を手にしており、後に続く受付嬢の一人もそれと同量の紙束を抱えていた。
ティモスは彼女に紙束を机に置くよう指示して業務に戻らせた後、机を挟んで向こう側の椅子へ座り、ジェンと相対した。
「こちらが請求された情報書類になります。不備などありましたら、何時でもお寄せ下さい」
「ありがとうございます。マスター直々に、こんな」
「我々『ギルド』は貴方に本当にお世話になっていますからね。この『ギルド』を束ねる者として、一度だけでもこうしてお礼を言いたかったのですよ」
「そ、そんな、大した事なんてしてませんよ。ハハハ……」
照れ臭そうに頭を掻くジェンを、ティモスは真剣な眼差しで見る。
「して、こんなに大量の情報、一体何に使うのです?」
「ああ、ちょっと人探しをしていて。手がかりらしい手がかりが無いもんで、『ギルド』にもし来ていたら、と思って。と言っても、来ている確証は無いし、来ていたとしても情報開示を本人が拒否してる可能性も十分にあるので、ぶっちゃけ望み薄なんですけど」
成程、と蓄えた顎髭を撫でてから、ティモスはジェンに笑いかけた。
「見付かると良いですね。これからのご活躍とご多幸をお祈りしていますよ」
「ありがとうございます。では、失礼します」
席を立ったジェンが、部屋を後にする。
すると間も無く、ティモスの横の壁がドアのように開き──隠し扉──、中から一人の壮年の男が現れた。
「トント元帥、確証が取れました。彼、帝国軍へおよそ二週間前に正式に入隊しています。何でも、メイラ・エンティルグ率いる『能力』保持者のみで構成された部隊で活動しているようです」
男の報告に、彼は険しい顔つきで唸る。
「遂に動き出したか、帝国軍。『敵勢ギルド』の存在に勘付いたな。
だが、人探しをしている、か。フ、あれも嘘が下手な男だ。ジェン・クスト。お前の持ち帰った情報には隠蔽と捏造が施してある。そう簡単にあの組織を潰させる訳にはいかんのだよ。
さて、そうなればまず真っ先に起こり得るのは治安維持部隊からの協力要請の減少か。君、『敵勢ギルド』と連絡を取れ。早急にだ」
「了解致しました。直ちに通達文を送ります」
男が隠し扉へ消えるのを確認した後、ティモスは一人、笑みを浮かべた。
「さて、ここからが正念場だ。貴様の組織、貴様の部下、徹底的に利用させてもらうぞ。ゼド・バートン」
中央政府/メイラ・エンティルグ専用執務室・昼
こんこん、と、部屋にノックの音が響く。
「入れ」
メイラが声を掛けると、失礼します、という言葉と共にジェンが部屋へと足を踏み入れた。
「メイラ大佐。これ、例の情報書類です」
「おお、無事に戻ったか。すまんがそこに置いといてくれ。
……にしても、用意に丸二日掛かると言われた時点で覚悟はしていたが。この量か」
どすん、と重量のある鈍い音と共に机の上に置かれた書類の山──手頃な大きさの林檎を縦に五つ並べても足りない──を眺め、メイラは呆れ果てて溜息をつく。
「正直、滅茶苦茶重かったです」
「だろうな。ご苦労、と言いたい所だが。実はついさっき、治安維持部隊から案件が舞い込んできてな。これから招集を掛ける。復帰してからまだ三日経ってないが、出れるか?」
「はい、何時でも行けます!」
「良し」
『能力』保持者を集め、遂に反国家的な霊力使用者の殲滅に乗り出した帝国軍。
行く行くは「敵勢ギルド」と会い見え、互いに刃を交える行く末は避けられない。
しかし、それでも。それさえも。
遍くを呑む歓喜の歌。産まれ落ちる大厄災。
いずれ来たる滅びの刻、その凶兆の一端でしかない────。
これにて2021年8月5日から続いておりました毎日更新を終了させて頂きます。近々登場人物紹介【2】を出す予定ですので、暫しの間、お待ちください。
感想、意見、誤字報告、字下げ忘れ等ございましたら、お気軽にお寄せください。




