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スイカ

作者: 北尾麟

もう冬なのではないでしょうか。これは夏の話です。

夏休みに祖父母の家へ遊びにいくと、よくスイカを食べたものだ。

裏山の近くにある古井戸で冷やされて、丸く大きな低い皿に並べられた、三角形の赤い果実。

「スイカの種って、食べたらお腹の中で芽を生やすの?」

そんなことを、私はよく祖父に尋ねていたのを思い出した。

種のないスイカがあったら、一度は食べてみたいものだ。

しかし、私は思うのだ。その黒い種を、誤って噛んでしまったり、遠くに飛ばしたり。品がないと怒る人もいるかもしれないが、それこそがスイカの魅力の一つなのではないのかな、と。


西の瓜、と書いてスイカと読む。なんでも、スイカは西の方からやって来たそうだ。祖父が言っていた。


あの丸さ。緑と黒の縞模様しまもようが、机の上にそのまま切って並べてある、あの暑い日が。幼い私にとって夏の風物詩だった。

遊びに行く、とは言ったものの、あの田舎では、スイカを食べること、それくらいしか、することがなかった。

空が広く、山々がそびえ立つ。自然は雄大だが、森も小川も、遊びたいときに遊べるほど、家の近くにはなかった。

だから、庭で駆けて回っては、祖父母に遊ぼうとせがんだ。

遊び疲れてふと時計を見ると、午後3時になっている。

「おやつは?」そう聞くと、祖母が切り分けたスイカをお盆に乗せて持ってきてくれるのだ。

夏にはよく食べたスイカ。それくらいしか印象にない田舎だった。


法事の日、食材の買い出しを頼まれた私は、車を出す。

1人、家から車で30分ほどかかる、この辺りで唯一の大型スーパーへと車を走らせた。

目的地に着いて、車から出る私に押し寄せる熱気に、少し驚く。

ニュースによれば、連日更新されたらしい猛暑。

私は、スーツを脱いで来るんだったかな、と考えた。

幼少期の半袖半ズボンならばともかくとして、黒いスーツに黒いズボンというのは、なんとも部が悪い。

買い物を終えた私は、店内の冷房と外の気温の温度差に、少し嫌気を覚える。

溢れんばかりの荷物を抱え、車へと向かう。駐車場まで歩いたのは数分だったが、それだけでも、私は汗だくになっていた。

陽で乾いた水蒸気によって水色のセダンの輪郭が歪み、弱々しく見える。

車のドアを開けると、案の定蒸し風呂状態の車内。

助手席に荷物を置くと、私はどっと疲れた気がした。

買い物をしただけなのだが、暑さのせいか身体がぐったりとする。いや、体だけでなく気持ちの面でもそうなのかもしれない。


生物なまものもあるので、せっかく買ったばかりの食材が痛む前に帰らないと。夏場に車内のこの暑さでは、すぐに食材が傷んでしまう。


行きでは窓を開けて、感じる暑さを騙し騙しやり過ごしていたが、帰りは食材のために冷房をつける事にした。

車があって良かった、と思った。


ゆっくりと駐車場を出る。エアコンの風を浴びながら、ふと私は、祖父母が車を持っていなかったことを思い出した。

幼少期の思い出として、錆びた自転車を覚えているから、おそらくはそれで買い出しに行っていたのではあろうが。


見渡しても目立った建物はなく、開けている道に、郷愁を感じた私はふと呟いた。

「そういえば、スイカがなかったな」

探していたわけではないのだから、あのドラッグストアで、実際スイカが売り切れていたのか、私が見落としていたのか、取り扱っていなかったのか、のどれかはわからない。

こんな暑い夏の日になると、祖父母とスイカを思い出す。


もう片方の祖父母は北国に居るので、私の中で、祖父母との思い出は、夏と冬で明確に分けられるのだ。


私にとってあたりまえだった夏のスイカ。

車を運転する帰路、私は思いついたように考えていた。


祖父母の家から、スイカが買える1番近くのお店はどこだったか。

確か、家の近くにはこじんまりとした小さな個人商店が一軒あり、野菜や食料品、日用品は売っていた。

だから、自転車に乗らなくても、そんなに足を傷めずに行けた距離にあったはずなのだ。

でも確か、あのお店では、スイカが売っていなかったような気がした。

幼い頃の記憶だから、あまりはっきりくっきりとは覚えてはいないが。


しかし、祖父母の家にいる間は、よくスイカを食べた。よく、というのがどれくらいなのかは、私にはもう覚えていないのだが。

ただ、よく食べていたということだけは間違いがない。

毎年毎年やってくる私のために、祖父母はきっと、スイカを買いに行ってくれていたのだ。



私の身体に張り付いたシャツを撫でる風が、少し冷たく感じる。汗が乾いて、体温が奪われていく。


このうだるような暑い中、自転車を漕いでスイカを買いに行ってくれていたのだ。


私は、あまり悩む事なくすんなりと、その考えを飲み込んだ。


涼しいな。

信号停車をして聞こえてきたせみの声に、呑気にも私はそう思う。



夕方、時間ができたので記憶にもおぼろげな、祖父母宅近くの個人商店に行こうと、叔母に場所を尋ねた。

「ああ、あそこ?えっと、……そうだ石和商店!潰れちゃったよ。随分前に。あー、七年くらい前かな?」

向かおうとしていた店が、潰れていた。最近はこちらに来ていなかったから、その変わりように驚いたが、不思議には思わなかった。


誰も住む者がいなくなったこの祖父母宅は、当然空き家となり、誰も住む者がいなければ、もうじき、3ヶ月程で壊されてしまうそうだ。

土地も、親族の誰かが利用する必要がなければ、売るらしい。


一瞬だけ、自分がここに住めば、と考えはしたが。その考えの非現実性に、声にも出せなかった。

私にも、仕事と生活があるのだ。


思い出の詰まった家がなくなってしまう事。思い出のある人と話せなくなってしまうこと。

思い出がなくなるわけじゃないけれど。でも、なんとなく。いや、なぜだか、ぼんやりと、私は寂しかったのだ。


夕暮れ時に、幼少期の情景と重ねながら、縁側に座り込み、裏庭を眺めていた。

幼少期に比べて、建物が、景色が、少し小さくなったように思える。

庭を駆けたり、縁の下をくぐったり、楽しそうにはしゃぐ子供達。

かえるがいた、とはしゃぐ彼らを、幼い頃の自分と重ね合わせた私は、また、少し寂しくなってしまった。


「スイカが、食べたいなぁ」


線香の匂いが、風鈴の音に乗せて香った。



五時半を少し過ぎた頃、叔母の明るい声が家に響いた。

「みんな、おやつよ。」

縁の下で遊んでいた子供達が、一斉に、楽しそうに駆けていく。

私はまた、少し寂しくなった。

ここからこの夕焼けを見るのもこれで最後かなと思うと、私は、見納めんばかりに、目に焼き付ける。

携帯で写真を撮ろうかとも思ったけれど、なぜか無粋に感じたので、それは後に回す。

「ささ。お兄さん、貴方もどうぞ」

後ろから陽気な叔母の声がしたから、どうぞ、というのは、きっとおやつのことだろうと思った。

「いえ、私は結構ですよ。もう、いい大人ですから」

夕景から夜景に変わりつつあるオレンジの階調から目を離し、叔母に目を向けた。

「あらそう?たくさんあるから、欲しくなったらいつでも言ってね。子供達が食べるから、余ることはないと思うけれど」

叔母の、両手のひらに収まるくらいの、低い皿に置かれたおやつ。

「すみません、やっぱり頂いてもいいですか?」

私の言葉に、少しお節介な叔母は、嬉しそうに笑った。


縁側で座る私に、しゃがんで皿を渡してくれる叔母。私は少し申し訳なくなりながら、お礼を言った。


瞳に映る夕焼けを、もしもこのまま写真に収められたのならば、きっと、どこかしらの何かしら、有名な賞に入選するのではないだろうか。

東から昇った太陽が、西へと沈んでいく。それだけなのに。

郷愁、とは、この景色を表すための言葉なのではないのか。そう感じた。


西。西の瓜。

私は、叔母に貰ったおやつを、口いっぱいに頬張った。


おやつ、という子供っぽい響きが、幼い頃の自分を連れてきてくれたのだ、と、そう感じた。

種は、飲もうか。飛ばそうか。


私は、もう一度おやつを頬張った。

しゃくりと、気味のいい、私の夏の音がした。

なんとなく、祖父母のことを思い出しました。思い出すと感傷的な気分になるのはなぜでしょうね。

その理由を考えるよりも、ただしばらく、浸っていたい気になります。不思議です。

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