第七話 『黄昏』
波にさらわれて消えた足跡に 自分を重ねてしまう
その情景が寂し過ぎて
あなたに甘えるように 少しだけワガママを言ってみたんだ
なのに 困らせてしまってごめんね……
沈みゆく夕陽が 初めて悲しい色に見えたのは
時の流れが 加速し始めたから―――
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今日は快晴―――。絶好の海日和!
俺は鼻歌を歌いながら、親父の実家の倉庫で浮き輪を探す。少し埃を被った浮き輪とビーチサンダルを手に取り、庭に出た。
サンダルに履き替え、海パンにTシャツ、その上に羽織ったバスタオルという海ルックで、パンパンに膨らませた浮き輪を片手に、俺は真夏の大地を駆け出した。
いつもの場所で彼女と合流。
「うんちゃ♪晴れて良かったねぇ」
あの日と同じ、麦わら帽子に白いワンピース。
(その下に水着を着ているんだろ!?早く見せてくれよハァハァ)
とまではいかないが、少し期待しながら…いや、かなり期待しながら並んで歩き始める。
「何ニヤけてんの?顔がエロいぞ」
「えぇっ、エスパー!?俺、心読まれてんの!?」
「…分かりやす過ぎるのよ、少年」
「ハハハ…、だって思春期だもん☆」
「ぴょん太の95%は『性への思念』で出来ています♪」
「京一な。残りの5%は何?」
「『優しさ』や~ん!」
「嬉しくない!バファリンに負けてるーっ!」
澄み渡る空の下、掴まえた小さな手のひら。
俺に微笑みかける、キミは確かに傍にいたから…。
数分歩けば海に到着。村祭りの広場から少し離れた場所に砂浜がある。
適当な場所に荷物を置き、俺は一目散に浮き輪と共に海へと飛び込んだ。
…自分でも照れ隠しだったんだと思う。
しばらく潜った後、勢いよく俺は立ち上がった。
そして振り返ればすぐそこに、水着姿の彼女が居た。
恥じらいながらも、何かを期待する様な表情で俺を見る。
「女子と二人きりで海なんて10代の男子なら誰もが望むシチュエーショントップ3に入る程の感動的場面だから夢のようだよ!俺もう死んでもいいよ、さようなら母さん!と思うくらい似合ってます!付き合って下さい!」
「……やっぱりキモイな。金輪際あたしに近寄らないで。さようなら」
おっと唐突に別れを告げられたけど、もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対!
お約束の冗談を言い合いながら、波打ち際ではしゃぎ回る二人。まるでベタな青春ドラマだ。
「海って、思ったより冷たいんだね!いつも村から見てたけど、実際入るのは初めてだか
ら。でも気持ちいいね♪」
「だろ?だから人は海が好きなんだ。俺が行きたいって言った理由が分かりましたか?」
「分かりましたよ~!水着見れてサイコー♪ってコトでしょ?」
「そうそう、やっぱ夏は女人の水着を眺めるに限る――って違ぇよ!」
「店長、ノリツッコミ入りまーす!アハハハ♪」
楽しそうに笑いながら水を蹴って遊ぶ少女。
時折、彼女は子供の様に、寄せては返す波をただ不思議そうに見詰めていた。
そんな姿も愛らしく思えた。
今度は、泳ぎ方を知らない彼女を浮き輪に座らせ、俺がそれを泳ぎながら押していってやることに。
「この辺は結構深いから、浮き輪から落ちたら溺れて死ぬぞ?」
俺はここぞとばかりに、いつもの仕返しに意地悪を言った。
「ちょちょちょ、ちょっと!離さないでよね!浮き輪!絶対!」
「前フリだろ?そ~れ~っ。今までの恨み~」
そう言って浮き輪を手離す。
「前フリ違う!キャー!ごめんごめん!悪かったから!」
慌てふためく彼女の姿がおかしくて、再び浮き輪を掴んでは離す。
「そ~れ~っ。これはクリリンの分~」
「謝るから!クリリンごめんなさい!ついでにヤムチャも!」
勝った!初めて勝った!そして、俺は虚しさを覚えた!男として!
沖の方まで行ったところで波に身を委ね、俺たちはのんびりとした贅沢な時間を堪能した。
陽が傾きかけた頃、俺は帰り仕度を整え、彼女の名前を呼ぶ。
砂浜に座り込んだ少女は、俺の呼びかけに応えることもなく、大海原に沈みゆく夕陽を眺めていた。
俺は隣に座り、もう一度声をかけた。
「どうした?」
「んーん、何でもない。浜辺で見る夕陽はロマンチックだなと思って」
…寂しげに笑う横顔の意味など分かっていた。
「そうだな」
彼女は俺の肩に頭を預けて寄り添う。
潮風が運んだキミの髪の香りにこの胸は焦がされて、そっと肩を抱いた。
『このまま時が止まればいい』
何万回と使われてきたであろう言葉を、俺は心の中で叫んだ。
ふと、独り言の様に彼女がポツリと呟いた。
「海…、来年もまた来たいな…」
その言葉の真意を理解出来ない俺ではなかった。
けれど、どれ程探しても返す言葉を見付けられずに、ただ頷くことしか出来なかった…。そんな自分を恨んだ。
「今日はありがとね♪」
別れ際、少しだけ無理をした明るい笑顔で彼女が言った。
「…あぁ、またな。ちゃんと日記に書いておけよ」
「あっ、あのね!」
意を決したような強い口調に驚きながらも、その声に耳を傾ける。
「……あの日、神様に聞いたの。やっぱり…間違ってなかった…」
それだけで理解した。
「……そうか」
そう答えた瞬間、不意にその顔が近付いたかと思うと、彼女は俺に口づけた。
頬に触れるだけの軽いキス―――
唇を離したと同時に、踵を返して走り去っていった。
一瞬の出来事だった。
俺は切なく高鳴る鼓動を感じながら、黄昏の中に消えてゆく少女の姿をただ見詰めていた。
いつか思い出さえも『痛み』になるのだろうか?
全て…、忘れないけれど。
やがて離ればなれになる二人を憂うかの様に、ひぐらしが鳴いていた―――




