第一話 『出逢い』
ずっと待ってた この出逢いを
あの日 『夏』が始まった時から この場所でずっと―――
駆け寄ってきたあの子は ポカンと口を開いたまま 驚いた様子で見上げていた
そして 無邪気な顔を浮かべては そっと眠りに就いた
その寝顔が微笑ましくて ずっと眺めていたよ
どんな夢を見ているのだろう?
そんなことを思いながら……
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輝く夏の太陽が照りつける、海沿いの国道を車で走る。
今年も盆休みを親父の故郷で過ごすことになった俺は、後部座席で寝転びながら、窓に切り取られた四角い空を眺めていた。街中の喧騒から解放された、ゆっくりとした時間が流れる感覚に俺は身を委ねる。
夏―――
無条件で心踊る季節。何かを期待させてくれそうな季節。世間的な夏のイメージはそんなところだろう。だが、俺から言わせれば暑いだけの季節である。汗をかけばベタベタするし、日焼けをすればヒリヒリするし、空気は蒸し蒸しするし、蚊に刺されるしロクなことがない!
それでも、何かが起こることを願ってしまう俺も、やっぱり夏に踊らされているのだろうか。
別に、ひと夏の恋を期待している訳じゃない。あんなものは漫画やドラマやギャルゲーの世界だけの話だ。現実は甘さ控えめだ。現実は苦い夏だ。夏の憂鬱だ。
(だから結局、例年と変わらず過ぎゆくだけの退屈な季節なんだろーな)
などと考えながら、溜め息をついて俺は目を閉じた。
親父の故郷、そこは小さな村。近所にコンビニ一つない、ひっそりとした村。
田舎は嫌いではない。澄み渡る空気、視界を覆う山々、静かに流れる小川。少し歩けば、広大な海さえ眺めることができる。
ただ、都会と比べるとあらゆる面で不便なので、長く居る気にはなれないのが正直なところだ。
だから、この一週間の旅が丁度いいくらいだと思う。
そんなことを考えていると、目的地付近に到着。
海近くの適当な場所に車を停め、荷物を担ぎ、通り慣れた細道を進む。しばらくすると親父の実家が見えた。
玄関の扉をおもむろに開ければ、じいさんの姿があった。
「じいさん、久し振り」
「んん?…キミは誰や?」
まじまじと俺の顔を覗き込みながら言う。
「遂にボケたか…。貴方の孫のペ・ヨンジュンです」
「かっはっは、お茶目なジョークじゃよ。可愛い孫の顔を忘れる訳がなかろう」
「ったく、この老人は。可愛い孫にとりあえずお小遣いちょーだい☆」
「……キミは誰や?」
「貴方の孫です。キムラタクヤ似の」
「……前向きじゃな、お前は。悪い意味で」
一年振りに会うじいさんと俺は、相変わらずこんな調子で、延々と面白くもないコントを続ける。
その後、ばあさんにも挨拶をし、持っていた鞄を部屋の隅に放り投げると同時に、俺は再び外へと歩き出した。
何も変わらない風景。変わって欲しくない風景。子供の頃から慣れ親しんだ風景。
そんな風景を愛でる様に眺めながら、川沿いの道を一人で歩く。
「早速あの場所まで行ってみるか」
思わず口から出た独り言に少し苦笑しながら、真っ直ぐに続く道を進んだ。
『あの場所』とは、俺が幼い頃からお気に入りの場所だ。
一面に広がる草原の中に、空高くそびえ立つ一本の大樹。幻想的なその光景に魅せられた俺は、毎年真っ先にその大樹の下へと足を運ぶ。
腰の高さくらいある草を掻き分けて進み、草原の中央にある大樹の木陰を目指す。
大樹の根っこを枕にして、自然の声に耳を傾けながら静かに目を閉じると、決して辿り着けない、遠い世界へすら連れて行ってくれそうな感覚に陥る。
俺にとっての安らぎの場所。
空を仰ぎながらその光景を思い出して、少しばかり早足になった俺は、再び視線を前方へと戻した。
その時――――
夢中で自転車を漕ぐ、麦わら帽子をかぶった、髪の長い少女と擦れ違った。
その瞬間、何故か俺は目を疑ったと同時に、考えるよりも先に後ろを振り返り叫んでいた。
「あっ、あのっ!!」
声に気付いた少女が自転車のブレーキを握り、驚いた様子でこっちを振り向く。
「………えっ!?」
少女がそう言いながら自転車を降りた時、吹き抜けた風が彼女の帽子をふわりと飛ばし、弧を描いてそのまま側を流れる小川へと落下させた。
「ちょっと待ってて!」
そう叫んだ俺は、結構な速さで流されていく帽子を慌てて追いかけ、タイミングを見計らって川の中へと足を入れる。
何とか帽子は救出したものの、腰の辺りまでずぶ濡れになる破目に。
(これは流石に、帰って着替えないとな…)
すると、帽子の持ち主が駆け寄りながら言った。
「すみません、ありがとうございます!……大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫!少し濡れたけど、帽子が無事で良かったよ」
苦笑いで答えながら、麦わら帽子を彼女に返す。それを受け取った少女は、ほっと胸を撫で下ろした。
「ありがとう。……で、あの…」
さっき思わず声をかけたことを言おうとしているのだろうか。返答に困り果てた俺は、慌ててとっさに思い付いたことを口走った。
「…いや、その…知り合いに似てる気がしたから、つい……」
少女は一瞬唖然とした表情で俺を見ていたかと思うと、次の瞬間クスクスと笑い始めた。
俺はそんな彼女をバツの悪そうな顔で眺めていたと思う。
(歳は同じくらい?地元の子だろうか?ってか、ちょっと不審に思われたかな…?)
などと考えていると、少女は大きな瞳で俺を捉え、優しく問いかけた。
「里帰りで来たの?」
「いえ、初めてのお使いの途中で迷子になりまして…」
「えっと……、絡みにくいですね、正直」
「初対面で狙い過ぎました、すみません!」
そんな小粋なジョークにツッコミを入れてもらえる訳もなく、濡れた帽子を乾かせながら、川原に二人で座り込み、俺は少女に自分のことを話した。
都会とまではいかないが、他県の遠い街から毎年夏だけこの村に来ること。すぐ近くに親父の実家があること。お気に入りのあの場所に向かっていたことなど。
俺の話を聞き終わると、彼女は何かを確信したかの様子で、今度は自分のことを話し始めた。
地元の人間で、歳は俺と同じく16歳。うちの親父の実家とは正反対の場所に住んでいるらしい。
初対面なのに小一時間程語り合えたのは、少女が何処となく懐かしさを感じさせる雰囲気を持っているからだろうか。
「そういえばまだ言ってなかったね。あたし、神木 彩夏。彩りの夏と書
いて彩夏。……名前、聞いてもいい?」
「ペ・ヨン……、西野 京一です。…普通でスミマセン」
照れを隠すように俺は答えた。
「 『きょーいち』かぁ~。いい名前だね♪呼びやすくて」
悪戯っぽく笑顔を浮かべる少女を、ただ黙って見詰めていた。
「そうだ!今日のことを日記に書いておこうっと♪」
そう言って彼女は、自転車の前かごに入れてあった一冊のノートを手に取った。
それを目にした瞬間、俺は驚愕する。
「ジャポニ○学習帳の絵日記!?」
それは、誰もが小学生の頃に愛用したであろう、ジャポニ○学習帳シリーズの日記帳。
「あっ、馬鹿にしたわね!絵を描くのが好きなだけよ!」
少しむくれて日記帳を開いた少女は、今日の出来事を声に出しながら書き始めた。
「8月×日 晴れ。今日、西野とかいう変なヤツと出逢いました」
「いきなりだな、おい」
「西野は帽子を追いかけて川に飛び込みました。下半身がズブ濡れになったので、漏らしたみたいになってて内心めっちゃウケたし」
「…そんな風に思ってたのね」
「その後、河原に座り込んで色んな話をしました。『やっぱプレステ3は最高やなぁ』と私たちは笑いました」
「何故に関西弁?つーか、そんな話してねーし」
「私は、コイツとおったらなんかオモロイなぁと思いました。とても楽しかったです。SONYさん、プレステ3を作ってくれてありがとう」
「そーゆーオチかい。俺、ほとんどおまけじゃん」
「よし!」
何に納得がいったのかは分らないが、そう言って少女は日記帳を閉じた。
「絵は描かへんのかいっ!」
俺は思わず渾身のツッコミを入れた。関西弁で。
「さてと、そろそろ戻ろうかな」
「あぁ…うん。悪かったな、引き止めてしまって」
「いいのいいの!限りある貴重な時間を失っただけだから」
「うん、胸に刺さるわ!……じゃ気をつけてな。帽子、飛ばされんなよ」
「てへへ♪」
「また逢えないかな?」
そんな簡単な言葉を口にできずに、俺は少し焦りながら、ただ少女を見詰めていた。
すっかり乾き切った麦わら帽子を、再び頭に載せて彼女は立ち上がる。
そして、白いワンピースをふわりと翻し、自転車にまたがりながらこう言った。
「また逢おうよ!」
「えっ!?」
何このオイシイ展開!?これは夢!?あるいはギャルゲー!?って思った。
彼女は勝手に話を進める。
「明日とか、その『お気に入りの場所』で。待ち合わせの時間は今日くらいで!じゃね♪」
ゆっくりと走り出した彼女を見送りながら、喜びを隠し切れずに俺は応えた。
「時間テキトーだな!ってか、あの場所知ってるの?」
「地元で知らない人はいないって!誰が名付けたか 『世界樹』って呼ばれてるの!由来は多分、ゲームから!アハハ♪」
そう叫びながらペダルを漕ぐ少女の背中が見えなくなった時、俺は胸の高鳴りを憶え思わず苦笑した。
「彩夏…か」
本当のことなんて……言える訳がない。
一瞬で恋に落ちたと気付くのに時間など必要なかった。
これが、かの有名『運命』ってヤツなのか―――!?
「なんてな……」
ガラにもなくそんなことを思う自分を否定するかの様に呟きながらも、緩みっぱなしの頬はしばらく元に戻りそうもない。
半乾きになった下半身に不快感を抱きながら、けれど足取りは軽く、俺は来た道を歩いて帰った。
命を振り絞る様に、この世での『生』を証明するかの様に、ただ鳴き続ける蝉たちの声が遠くから聞こえる。
そんな、変わらない世界の中で俺は思った。
今までとは違う『夏』が始まるような気がした―――