第九話 『刹那』
最高の笑顔で告げられたなら あなたに伝わるかな…?
本当に幸せだったことが
終わらない夏なんてないけれど
永遠に色褪せない夏は 確かにここに在るから
だから…… 泣かないでよ
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あの日から10日が経った。
眠ることも出来ずに、居ても立ってもいられなくなった俺は、いつもより早く家を飛び出した。
朝焼けが眩しく照らし出す風景の中を、夢中で駆け抜ける。
初めて出逢った場所。
二人で何度も通った坂道。
視界に広がる緑の草原。
そして、空高くそびえ立つ大樹―――
この場所でキミを待つ。
ちゃんと約束をした訳ではない。現実を見詰めれば、この夢の様な時間がそこで終わってしまう気がしたから、俺は目を背けたんだ…。
「もしかしたら、もう……」
その言葉の続きを掻き消す様に頭を振り、俺は樹の幹にもたれながら、遥か彼方の景色を眺めた。
今日は不思議と蝉時雨は聞こえない。
「おっは~♪」
静寂を切り裂く声に驚いたと同時に、ほっと胸を撫で下ろす。
振り向けば大樹の向こう側から、時代遅れなあいさつをする、麦わら帽子をかぶった、白いワンピースの少女が現れた。その手には、いつもの日記帳と小さな腕時計。
一瞬で取り繕った笑顔だと分かった。その笑顔が切なさを誘う。
そんな彼女が痛々しくて…、俺は気付かない振りをした。
「もう…来てたんだな」
「…うん、待ってた」
その言葉が、『最後』だという事実を突き付けた。
もう本当に、この夏が終わってしまうことを実感させられた。
俺は平静を装うのに必死だった。
「まだ…時間はあるか?」
「うん、…陽が暮れるまでは。神様がそう言った」
「神様に頼んでくれ、延長料金払うから!って」
「アハハハ。なんか、最後まであたしたちっぽいね」
泣いたような笑顔で彼女が言った。
「でも…、もう決まっていることだから…」
「分かってるよ…」
俺はその事実を受け入れた。
それは、変えられない現実。
それは、神様が定めた規律。
その前に人は余りに無力だ。
それから、いつもの様に『世界樹』の下に座り込んで、二人は思い出話を始めた。
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「物語の中の少女に恋をしてさ…。切な過ぎるわ!」
「ほんと、二次元はありえないよ!そして気持ちわる―い♪」
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「初めて『世界樹』を見た時は驚愕したよ」
「放心状態で見上げてたよね?あの頃は可愛かったのに…。何処で間違えたの…グスン」
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「実は、初めて出逢った時に一目惚れしたんだ」
「…見た目は物語の少女ですけどねー。なんか複雑~ξ」
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「夏祭りの前の夜は、楽しみで眠れなかったんだよ」
「遠足前の小学生みたい!お子ちゃま♪」
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「そういや俺、花火大会でフラれたんだった…」
「……ごめんね。でも花火綺麗だったなぁ」
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「…水着も似合ってたよ」
「…うん、…ありがと」
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「…星も見に…行ったな」
「……そう…だね…」
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「あの夜の…彩夏の言葉…嬉しかったよ…」
「あたっ…あたしも…嬉しかった…。京一の…」
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いつの間にか、声を震わせながら話していた。
その全てが、色褪せない大切な思い出。なのに…、涙が止まらなかった。
俺は強く彼女のか細い身体を抱き締めた。
気付けばもう…、夕闇がすぐそこまで迫っていた。
どれだけ拒んでも、ただ無情に、ただ一定に、少女の腕時計は無機質な音をたてながら、そっと時を刻み続ける。
俺の腕の中で、彼女が涙を堪えて話し始めた。
「京一と過ごせた…この夏は、本当に楽しかったよ…。ひと夏の間だったけど、人として生きれて…、何もかもが初めてで…、ちゃんとした恋もして…。この身体に…あなたの温もりを感じれて…。大切な…大切な時間をありがとう…」
それでも溢れ出す涙は、愛しさの証。
「俺の方こそ…ありがとうな。叶うはずのなかった夢を…、ひと夏の奇跡をありがとう。幼い頃から…ずっと…見守っていてくれて、ありがとう…。『物語の少女』じゃない。俺はキミが…、『彩夏』が好きだ」
短すぎた季節に焦がれた二人。
どちらからともなく顔を寄せ合い、指を絡ませ、目を閉じて口づけを交わす。
言葉では足りない想いを、伝え合う様に。確かめ合う様に。
そして、繋いだ指先を解き、唇を離した彼女が告げた、最後の言葉。
「……もう、行くね。京一、あたしのこと…忘れないでね。……バイバイ」
その笑顔から、星屑の様な涙が零れ落ちた。
次の瞬間、突風が容赦なく吹き荒み、俺は思わず目を閉じた。
「彩夏ぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!」
漆黒の闇の中で手を伸ばし、喉が千切れるくらい彼女の名前を叫んだ。
刹那の風が去り目を開けた時、そこにはもう…少女の姿は無かった。
置き去りにされた麦わら帽子が物語る、孤独という名の悲しみ。
そう、俺たちの夏は終わった……。
その時、風に舞い上げられた何かが俺の目の前に落下した。
ポケットから取り出した僅かな明かりを、そっとかざしてみる。
そこに在った物は、一冊の日記帳。
最後に何かを伝えようとする、彼女の意思だと確信した。
俺はそれを手にとって、そっとページをめくる。
今年の夏から始まった日記帳には、小さく綺麗な少女の文字が綴られていた。
人として生まれた日。俺を待ち続ける日々。
そこからあの日の出逢いを経て、二人の思い出がびっしりと書き込まれていた。
どれもこれも、忘れられない、大切な思い出。
そして、日記帳の最後のページを開いた。
それは、ひと夏の恋人からの、最初で最後のラブレター。
文字でしか伝わらないものが、そこには在った。
「彩夏……、彩夏っ…、彩夏っ!」
俺は泣いた。
愛しいその名前を呼ぶたびに溢れ出す涙。
この大樹の向こう側に、居るはずのない『キミ』を映し出した心が叫んだ―――




