第16話 倫理なき戦い
「お兄ちゃん!」
自分の変態行為を余すところなく知られて呆然自失な僕に、アリサちゃんが強く呼びかける。
虚ろな目で彼女を見ると、なぜかアリサちゃんは急にモジモジとしだした。
「わ、私はね。お兄ちゃんが私の下着で何をしてるかまで、全部知ってたんだよ? それでもずっと知らないフリをしながら、その下着を身に着けてたの。
わ、私がどんな気持ちでそうしてたか、お兄ちゃんなら分かってくれるよね?」
放心状態の僕を、アリサちゃんが期待を込めた目で見つめてくる。
もちろん僕に、それが分からないはずがない。
「ア、アリサママが用意してくれた予備のパイロット候補は……、僕一人だから。下手に僕を刺激するわけには、いかなかったんだよね。僕みたいな変態相手に下着ドロの事実を突きつけたりなんかしたら。逆ギレしてどんな要求をされるか、分かったもんじゃないからね……」
だけどアリサちゃんに何かあった時には、そんな僕の操縦に頼るしかない。
だからアリサちゃんは、それくらいなら汚された下着を我慢して履き続ける方がマシだって。そう思ってずっと、耐えるしかなかったんだ。
おぞましい方法で汚された下着を常に身に付けなければならないなんて、年頃の女の子にとってそれがどれほど苦痛で屈辱的だっただろうか。
バレなければ彼女を傷付けてないなどと思い上がって変態紳士を気取っていたクソ野郎を、僕は今すぐぶち殺してやりたい気分だった。
「え、えーと……。そ、そうじゃなくてね。お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだけど本当は幼馴染で、命の恩人で。いつも私のワガママを聞いてくれて、パパとママが死んじゃった時には一生懸命私を励ましてくれたこと。私は全部すごく感謝してるんだよ」
アリサちゃんがあせあせとそんなフォローをしてくるけど、もちろん僕はそれを真に受けるわけにいかない。
「うんうん。そんな相手に裏切られて、つらかったんだよね。でもそれを相談できるパパとママはもういないし、後見人を引き受けた僕の親にも息子の悪口を告げ口することになっちゃうから。そのことを誰にも相談できなくて苦しかったんだよね」
僕としては何とか傷心なアリサちゃんの気持ちを理解しようとしたのだけど、それを聞いたアリサちゃんの顔はなぜかまだぎこちない。
「そ、それにほら。今日だって命懸けで私についてきてくれて、最後にはまた助けてくれたじゃない。私、本当に嬉しかったんだからね」
ああそうか、そういうことか。
僕はアリサちゃんが何を気にしてるのかにやっと気付いた。
「分かったよ、アリサちゃん」
「分かってくれた!?」
僕は深く頷く。
「うん。僕は今回の騒動がおさまるまではずっとこの船に乗って、アリサちゃんのことを最後まで守り続ける。それで安全が確認されたら、その時はすぐに君の前から姿を消すよ。それなら、大丈夫だよね。
だからもう。こんな最低な僕なんかに気を使って、感謝の言葉を無理に言わなくてもいいんだよ」
そうなのだ。宇宙戦争に巻き込まれたこの状況でアリサちゃんが1人放り出されても、状況を無事に切り抜けることは難しい。ユニゾンドライブが使えなければ、この船はただの老朽艦に過ぎないのだ。
それなのにアリサちゃんを放って勝手に死にたいだなんて、それは自爆テロに巻き込むぞと脅しているのと同じことだった。僕は知らずに、アリサちゃんを脅迫していたのだ。
だからアリサちゃんは自分の心を殺してでも僕を褒め、必死にこの船に繋ぎ止めようとした。
そのことに気付いた僕は、また死にたくなった。
だけど今度は、頑張ってそれを口に出さなかった。死にたいなどと口にしてしまうと、またアリサちゃんを脅迫することになってしまう。
なのになぜかアリサちゃんは怒り出す。
「そ、そうじゃないでしょ!? 私はお兄ちゃんが私のことを心配して盗聴を始めたのを知っててわざと変な声をふき込んでたの! 下着姿だって意識してお兄ちゃんに見せつけてたし、脱ぎ散らかした下着もわざと目に付くようにしてたんだからね!」
「僕が君の世話をしながら、ついいやらしい目で見てしまっているのに気が付いて。僕に襲われないように必死に頑張ってたんだよね。適度にご褒美を与えて僕の薄汚い欲望を満足させながら、だけど兄妹の関係を強調して襲われることだけは何とか回避する。
そんな綱渡りの危険な色仕掛けを、僕はずっとアリサちゃんに強いていたんだ……」
嫌いな男の子の欲望の目にわざとその身をさらし、いつ襲われるか分からない恐怖と隣り合わせの中で毎日生活させていただなんて。僕は本当にクソ野郎だ。
「むしろ襲ってくれてよかったの! ああでもしないとお兄ちゃんはずっと私に手なんか出してこないじゃない。
ううん、それでも変態紳士だとかいって手を出してくれなかった。私はね、天使でもお人形でもお姫様でもない。お兄ちゃんにちゃんと女の子として見て欲しかったのよ!」
うーん、どうしたんだろうか。アリサちゃんがなんだかおかしなことを言ってる気がする。
「でもだよ、アリサちゃん。アリサちゃんの理想は王子様みたいなカッコイイ男の子で、僕みたいな変態は大嫌いなはずだよね」
「私が頑張って精一杯のアピールをしてるのにお兄ちゃんが全然言い寄ってこないからでしょ!? それでちょっと意地悪してみたの!
それに本当にお兄ちゃんを想いながら自分を慰めてるだなんて知られたら。そんなの死にたいくらい恥ずかしいし女の子として恋の駆け引きで完全に負けてるじゃない!」
そうしてアリサちゃんは地団太を踏んで悔しがった。
「ああして嫉妬をあおって誘惑すればいくら草食系なお兄ちゃんでもさすがに襲ってくると思ったのに。どうしてそこで諦めて更に変態をこじらせちゃうのよ! お兄ちゃんのバカーー!!」
変だな。それだとどうも、僕がアリサちゃんに好かれているように聞こえる。
こんな何のとりえもなくて冴えない変態紳士な僕がアリサちゃんに未だに好かれてるなんて、そんな怪奇現象のようなことがはたして本当にあり得るだろうか。
いやそうか、1つだけ可能性があった。
「アリサちゃん。やっぱり君は、一時的な幼児退行を起こしてるんだ。戦闘時のショックと記憶の混濁の影響で、幼い時の君に戻ってしまってるんだよ」
「あーもう、どうしてお兄ちゃんは信じてくれないの!? 私はお兄ちゃんが好きなの! 大好きなの!!
お兄ちゃんはずっと私を可愛がってくれて、命まで助けてくれた。他の子に色々言われて疎遠になった時だって、パパとママが死んで途方に暮れた私のところにちゃんと戻ってきて一生懸命支えてくれた。ソファで明かりを点けっぱなしにしながら寝たり、夜中に何度も私の様子を確認してたのを私は知ってるんだからね。
今日だって死ぬかもしれないのに勝手に付いてきて、最後は死んでも知られたくない秘密が私にバレるのも恐れず助けてくれたじゃない!」
アリサちゃんが涙目で僕を睨む。
「お兄ちゃんはいつだって私の王子様なんだからね!!」
僕は衝撃を受けた。アリサちゃんが僕のことを、ずっとそんな風に思っていただなんて全く知らなかった。
そして同時に、これはかなり重症だと思った……。
当然ながら僕は王子様などではない。僕が到底そんな器じゃないことは自分が一番よく分かっている。
だから僕は、むしろ憂鬱な気持ちになった。
「アリサちゃん。僕が昔君の命を救ったのは、たまたま起きたただの事故なんだよ。いやむしろ僕こそが君の家に命を救われたといってもいい。
それに幼馴染が天涯孤独になって困ってるのを助けるのなんて、ご近所さんとして当たり前じゃないか。
今日だって僕は自分が後悔したくなかっただけだし、一人で地球を救おうとした君の方がずっと立派なんだ。アリサちゃんは僕のことを美化しすぎだよ。小さな頃の思い込みに引きずられて、幻の僕を見ているだけなんだ」
僕はそこで不意にもう1つの可能性に思い至る。
「もしかするとあれかな。アリサママが変なことをずっと君に吹き込んでたんじゃないかな。今日の誓いの言葉もチョイスがすごく変だったし、ペンダントを貰った時だって様子がおかしかったもの」
あの調子だと、ことあるごとに小さなアリサちゃんに良からぬことを吹き込んでいた気がする。それはもはや、悪質な洗脳と言えるのかもしれない。
幼児退行できっとそのことも一緒に思い出してしまったんだろう。
「でもね、アリサちゃん。もしアリサママが僕と君の将来について何か言ってたとしても、それは真に受けなくてもいいんだよ。そんなことなんかなくても、僕はお兄ちゃんとしてアリサちゃんをきっと助けるから。
アリサちゃんはアリサちゃんなんだから。自由に自分の幸せを追い求める権利があるんだ。過去の呪縛に囚われる必要なんて、全然ないんだからね」
いいこと言ったなあと僕は思った。
やっぱりアリサちゃんには幸せになって欲しい。こんな変態クソ野郎と洗脳まがいの手段で無理やり結ばれるんじゃなくて、アリサちゃんにふさわしい相手と結ばれるべきなのだ。
アリサちゃんが他の誰かと結ばれる光景を見るのはとても寂しいけれど、アリサちゃんが幸せならそれでいい。お兄ちゃんどころか人間失格な僕は、それを遠くから眺めるだけで満足すべきなのである。
そうさ、そもそもこんな僕がアリサちゃんとどうにかなるなんて、そんなことは地球が滅亡してもありえない。
アリサちゃんは僕の太陽なのだ。僕なんかの薄汚れた翼じゃ、イカロスみたいに近づくことすら許されない。
汚物はすみやかに、ヒャッハーと消毒されなければならないんだ……。




