第一章 (4)
「――んで?」
研究室の壁一面を埋めている本棚の、その隣で立ち尽くしている二人に向けて、アートスは怪訝そうに眉をひそめた。
「おまえら二人で共謀して、あの悪戯を仕組んだっていうのか?」
「ええ、そうなんです」
リーファが、きっぱりと嬉しそうに答えた。うさんくさそうな表情を返し、アートスはボリボリと頭を掻く。
「……あのなぁ」
そう言って、腰掛けている椅子の背凭れに、ぐぐっと寄りかかり、億劫そうに両脚を組んだ。
「おれの眼は節穴じゃねえんだぞ? だれがどう見たって、あれは本気で暴走していただろうっつの。あと少しで、こいつ――」
フィルの顔を指さして、
「おい、おまえ。名前なんつうんだ?」
「……えっと、あの、フィルです。フィル・コズビーク」
「そうか。……フィル・コズビークを荷車ではねてだな、ミンチ肉にしちまうところだったんだぞ? わかるか? ミンチ肉だぞ?」
リィーファは、唇を尖らせ、そっぽを向いた。
「……わたし、ミンチ肉の料理は、別に嫌いじゃありません。夕食のお肉が増えれば、学食でみんなも喜んでくれたんじゃないですか?」
「そっちなの!?」
フィルは、びっくりして突っ込んでしまった。
どうやら、リーファという生徒は、とことん反省というものをしない少女であるらしい。もう少しで自分がミンチ肉にされ、しかもはねた本人がろくに反省もしなかったのかもしれないと想像すると、あまりの恐ろしさに鳥肌が立った。
「フ、フィル。あんた、裏切る気じゃないでしょうね?」
リーファが不安そうに横目で睨みつけてきた。
「う、裏切るって。だってミンチ肉だよ? あと少しで死ぬところだったんだよ? そっちも少しくらい反省してよ」
「うるさいっ。ちゃんと反省してるわよ!」
リーファが、苛立たしげに声を荒げた。キッとフィルを睨みつけると、その瞳の端には、わずかに涙が浮かんでいる。フィルはビビってしまった。
女の子っていうのは、こんなにすぐ泣いてしまうものなんだろうか。
フィルは、女の子の涙に耐性がなかった。
(……ど、どうしよう)
かばおうかどうか、フィルは迷った。ひたすら嫌な予感がした。
ここでリィーファに譲ってしまったら、これから先もずっとこんな感じで延々と譲りつづけなくてはいけなくなる気がした。それは流石に嫌だった。いま、真相を打ち明けてしまえば、ひょっとしてリーファは退学になってしまうかもしれない。けれど、その方がアカデミーは平和であるのかもしれなかった。
でもそのとき、さっき彼女がいっていた言葉が、思いがけずフィルの脳裏をよぎった。
――わたしね。フェニックスを召喚したいの。
――フェニックスの涙にはね。どんな病気だって癒す力があるんだって。
なにか事情があるのかもしれない、と思った。
リーファが、どうしても学院に入らなくてはいけない理由が。
フィルは、手のひらを握り締めた。唇を引き結んで、キッとアートスを見る。
「……リーファが言っていた通りです。さっきの事故は、僕たちが二人で仕組んだ悪戯だったんです」
はっきりと、そう言った。
アートスはぴくりと片眉をあげ、
「ははぁん……」
呟いて、愉快そうに笑った。椅子の向きを変え、召喚の本でごちゃごちゃしている研究用の机に向き直ると、書類の束をガサゴソといじりだした。
「仕っ方ねえ。そんじゃ、そういうことにしといてやるか。何しろ、あのドルフ・コズビーク大先生の息子がそう仰るんだからな」
ニヤリと笑って、もう一度フィルに向き直る。フィルはふいを突かれ、返事もできずに立ち尽くしてしまった。アートスは書類の束から一枚の紙を引き抜いて、フィルの胸元に突きつけた。そこにはフィルの名前や経歴が書かれてあり、紙面の下方に小さな魔方陣が描かれてある。
「……だろ? 正解だよな?」
アートスが指を振ると、書類の魔方陣が淡い光を放って、そのうえで立体の像を結んだ。小さな人形のようなその映像は、フィルの姿に間違いなかった。
そしてその書類の、血筋を記してある欄には――
「……えっ。……えっ、ええっ?」
隣にいるリーファが、口を大きく開けて素っ頓狂な声をあげた。まるで信じられないというように。
「ドルフ・コズビーク先生って、……あの? だ、だから、あなたコズビークって名前だった……の?」
リーファにまじまじと見つめられたが、フィルには返事ができなかった。身体を硬直させ、沈黙したままで俯いていることしかできなかった。アートスは得意げにつづける。
「まあ、おれも最初、聞いたときは驚いたがな。伝説の召喚士、ドルフ・コズビークの息子がここに入学してくるっていう話。そんで、まさかまさか。あんな事故が入学手続きの日の初っ端からあって、名前を聞いてみれば、その被害者が例の息子だっつうんだからな。やっぱり大物の息子は違うんだって思ったぜ。ハハ」
そう言って、アートスは快活に笑った。
リーファが眼を丸くして、恐る恐るフィルの顔を覗きこむ。
「フィル、あなた……本当、なの?」
「……うん」
フィルは、諦めたように頷いた。本当は、そんなこと、だれにも知られたくはなかった。己の父親が偉大な存在であるなんて。