第一章2 『逃げない』
狼型の魔物「ウルフ」は群れを成して行動する小型の魔物である。
個々の力はそれほど高くないが、基本的に集団で狩りを行うので油断出来ない。
生息数も多く、危険な魔物として商人達から怖れらている。
まれに朱毛のウルフが群れを率いていることがあり、出会ったが最後、まず生き残れない。
「先手必勝じゃ!! 波動弾!!」
リューシャが気の集合体をウルフ達目掛け放つ。
先頭のウルフには躱されるも、その後ろのウルフには見事直撃した。
波動弾はウルフの質量をものともせず、敵を殲滅せんとばかりに直進していく。
更に二匹を弾き飛ばすと、波動弾は消滅した。
「すっげ!? なんすか今の!? 魔法じゃないっすよね!?」
「波動じゃ。確か、亜人も使えたはずじゃが」
喋っている間も、リューシャは波動弾を撃ち続けていた。
波動弾がリューシャの大きな手から放たれる度に、一匹、また一匹と群れは確実にその規模を縮小させていく。
「俺が出なくても大丈夫なんじゃないすか?」
「そう言いたい所じゃが、ウルフリーダーがいるとなれば話は別じゃ。そしてこのウルフの数、ワシの波動が尽きるかもしれん」
「……正直戦うことを妄想することは数あれど、実際に戦うのは初めてなんすけど……」
「戦った経験が無いのか!?……随分と平和な世界で育ったんじゃな……」
「ご覧の通り、手足が震えてまともに動くことすら出来ないっす……いつのまにか炊飯器も無くなりましたし。召喚すれば出せると思いますけど、戦うとなると……」
「……まぁ、よい。ワシ一人でなんとかしよう」
リューシャは、リョウに対して少し悲しげな目でそう言うと、リューシャの体よりも一回り大きい木槌を構え、ウルフの群れに真っ向から飛び込んでいく。
「はあぁぁ……剛・天破ァ!!」
リューシャは走りながら、木槌を横に大きくスイングさせる。
すると、木槌が通った場所から斬撃、否、槌撃の刃が発生し、波動弾よりも更に早いスピードでウルフの群れに襲い掛かった。
剛・天破と呼ばれる槌撃をウルフたちは躱しきれず、次々と吹き飛ばされいく。
――ウルフリーダーを除いては。
「やはり、この程度ではビクともせんか」
『グルルゥ!』
――ウルフリーダーの目は、仲間を殺された怒りにより赤く充血していた。
朱色の毛は逆立ち、素人のリョウでさえウルフリーダーが今怒りに満ちていることを、嫌でも感じてしまう。
気を抜いたら一瞬で食い殺されると、リョウは本能的に悟る。
震える四肢が更にその振動を増しもはや歩くことすらままならない程、体が恐怖に支配される。
その震えを少しでも誤魔化そうと、リョウはリューシャに叫んだ。
「リュ、リューシャさん! そいつヤバそうっすよ!」
「わかっておる! 波動撃・槌!」
木槌が気を纏い始め、橙色の波動に覆われる。
木槌が波動を完全に纏うと同時に、リューシャはウルフリーダーに飛びかかり会心とも言える強力無比な一撃を、ウルフリーダーの頭部目掛けて打ち込んだ。
が――
「――むぅ!?」
『グルルアァ!』
「ガハッ」
会心の一撃をウルフリーダーは耐え切り、リューシャの体を思い切り前足で薙ぎ払う。
間違いなく並の人間では致命傷となり得る一撃だったが、リューシャは地面に背を預けてしまったものの、致命傷は回避。
が、倒れ込んだリューシャにウルフリーダーは追撃の手を緩めない。
リューシャの体にのしかかり、咽元に噛みつこうとする。
それをなんとかリューシャは防いではいるが、先ほどの魔物の一撃が効いているのであろう。リューシャが食い殺されるのは時間の問題だった。
――やべぇよ、絶対ヤバイってコレ。リューシャさん死んじまうぞ!? 状況的に、俺が助けないといけないパターンだよなこれ。俺に出来るのか? 炊飯器で殴ってもダメージを負うとはとても思えねぇし……
「リョウよ! ゴーシャとフォートを連れて、先に進むのじゃ!」
「……は? いや、それだとリューシャさんが……」
「……お主がワシを助けられるなら、今すぐ助けてくれ」
「お、おう……すぐ助けますよ……で、でもその前に――」
「それを期待しておらんから、進めと言ったんじゃ!」
「ッ――」
――図星だった。リョウは今までありとあらゆる嫌なことから逃げてきた。
それが原因で、最終的には餓死寸前の所まで追い込まれた程の劣等人間。
リューシャにも、自分の本質を見透かされたのだろう、自分が逃げ続けて生きてきた人間だということを。
逃げてはいけない場面で、逃げてしまう人間だという事を。
「リョウ、戦うことが初めてなら仕方ない……仕方ないことじゃ……ワシのことは忘れて、早く逃げろ」
――リューシャさんが逃げろつってんだから、逃げれば良いじゃねーか。どっちにしろ自分が助太刀した所で、あの化け物を倒せるとはとても思えねぇ。リューシャさんの命を無駄にしないよう、早く逃げねーと――
「――んな訳ねぇだろ」
「――」
「――ちげぇよなぁ。リューシャさん、それは違うっすよ、全然違う」
「――?」
言い訳、言い訳、言い訳。
リョウは自分の頭に次々と浮かぶ逃げの理由を、全て薙ぎ払う。
自分が逃げないために、逃げる理由を作らないために。
「……確かに今まで戦ったことなんて一度もないっす。ましてや喧嘩すら数える程しかやってきてねぇ。現状、手足が滅茶苦茶震えてますし、俺を見て逃げろっつー気持ちもわかります」
「リョウ……」
「でも――俺は、俺はもう逃げねぇ! 今逃げたら前の世界と同じ人生になっちまう! 俺は、この世界で人生をリセットさせるって決めた! 今ここで逃げたら、なんも変わらねぇ! リセットさせたクソゲーを、もう一度繰り返すのなんて絶対にご免だ!」
「……」
「それに俺の心は、リューシャさんを助けたいって思ってる。なら逃げちゃいけねぇ……絶対に」
自分の感情をそのまま言葉にして、弱い自分が魔物に立ち向かえるよう鼓舞させる。
「っしゃあ! 動けよ体あああああああああ!」
リョウは震える四肢を一喝し、リューシャに今も尚圧し掛かっているウルフリーダーへ向かって走る。
ウルフリーダーはリューシャを食い殺すことに没頭しており、リョウが近付いてきていることには一切気付かない。
もしくは、この男如きに注意を向ける必要はないと野生の勘が言っていたのか。
リョウにとってそれはどうでもいい、素人の自分でも一撃を与えることが出来る隙がウルフリーダーにありさえすれば、一撃さえ当てる事が出来れば、自分が逃げなかったことの証になる。
「うおおおおおお! オラクル!!!」
リョウの手に一瞬で炊飯器が召喚される。
僅かに『何か』が消失した感覚を再び感じるが、最初に召喚した時よりも喪失感は大幅に少ない。
リョウは自分の一撃でリューシャを救えるとは思ってなかった。
思っていないが、リューシャを助ける為に行動することにこそ意味があると信じていた。
たとえそれで、自分が死んでしまったとしても。
「らぁ!!」
リョウは勢いに身を任せ、神器をウルフリーダーの頭部へ打ち付けた――
読んで頂いた方へ、心より感謝申し上げます