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蠢々

作者: 荒也

抑えてはいますが、暴力表現に注意です。

しゅん‐しゅん【×蠢×蠢】

[ト・タル][形動タリ]


1 虫などがうごめくさま。


2 おろかで無知なさま。また、そうした人が秩序なく動きまわるさま。



1.


 焼け爛れた焦土。

 その場に膝をついた彼が見たのは、周囲に無造作に転がる仲間の死骸と、重い体に鞭打ってその処理

をしている同胞たち。涙はとうに乾いてしまったようだった。

 砂利を踏む音に顔を上げると、見慣れた黒いマントと背負った大きな鎌、年の割には背の高い相棒が

立っている。十代になるまでは確かにリックの方が高かったのに、今ではガラフを見上げなくては会話

が出来ない。

「良い眺めだぜ」

「悪趣味になったな」

 リックは相変わらず表情の少ない彼に笑いかけると、横に座れと目で促した。

 ガラフは無表情にそれを見下ろしていたが、ややあって彼の横に腰を下ろす。良い眺め、とはよく言

ったものである。

 この丘から見下ろす景色は焼け焦げた土地と、それから赤く染まって転がる人、人人。あの中にどれ

だけの人間が生き残っているというのか。死体の中に隠れたとしても、処理班の兵士たちが留めをさし

て埋めるだろう。

「地べたしか見ないからだよ。なあ?」

 そう言うリックは上を見上げ、頭上に広がる星空を見上げる。

 満天の星屑は、その輝きを目で追っていくといつか地平に沈む。リックにとってはそんなあっけない

ものだったが、ガラフの眼にはどう映ったのか。ただ、隣で自分に習って星を見る親友の横顔を盗み見

る。

 施設を出るときも、こうして並んで星を見上げた。並んだガラフの横顔を盗み見て――静かに泣いて

いるのに気付くと、慌てて目を逸らして知らない振りをしたのを覚えている。

 生ぬるい風が黒髪を弄って、傍らを駆けていく。

「ガラフは―――」

「うん」

「寂しくないか?同期が死んじゃうとさ」

 何気ない言葉だったが、ガラフは暫く返事を返さなかった。やがて、ぼそりと、呟いた声がリックの

耳に届いた。

「リックは」

「オレは……寂しい、かな」

「そうか」

「なあ、ガラフは?」

「オレは、リックが居なくならないとわからない」

「なんでオレ?」

 ガラフは答えず彼を振り返ると、ふと口元だけで笑んだ。それから再び夜空に視線を戻し。

「いや………。必要ない」

「ふうん?まあ、でも」

「お前の感覚はオレの感覚だから」

 二人で同時に口を突いて出た言葉に、リックは失笑し。ガラフは少しだけ目を見開いていた。


 深夜。ガラフはふと目を醒まし、周りを見回してリックが居ないのを確認すると、ベッドに横たわっ

ていた体を勢い良く起こした。

 もう一度室内を見回し、それから冷えたブーツを履いて室内を歩き回る。震える腕を押さえつけなが

ら、こみ上げてくる恐怖感を抑えて廊下に出る扉に手をかけると、浴室の方向から、硝子の割れる音が

聞こえた。

 走っていってガラス戸をあけると、割れたコップの破片が散らばった床が見えた。微かな血の軌跡を

辿ると、部屋の角にリックがうずくまっている。破片を踏み割って更に細かくするわけにも行かないの

で、ブーツを脱ぎ捨てて裸足で彼に駆け寄ってその肩に手をかける。足裏の痛みなど、二の次だった。

「リック」

「………ッ」

 肩をゆすって自分の方を向かせると、少しは正気が残っていたらしく、リックの目は脅えた色を隠さ

ずにガラフを見上げた。

「どうした」

「き……っ、狐、のめ……目がある、あった」

「もう無い」

「今もある、いっぱい周りに、青白いのが立って、こっち見えないのに見て」

「見えない。オレにはそんなもの見えない」

「嘘だ」

「リック!」

 掴んだ両肩を浴槽に叩きつける。

 ガラフは息を詰らせた彼の頭を引き寄せ、自分の胸に抱いた。縋る場所を求めて少しだけ彷徨ったリ

ックの両手は、ガラフの背中を掻き抱く。

「見え、ない?」

「見えない」

「い……痛い」

「……ああ」

 ほっと息をついてガラフが手を離すと、彼はのろのろと体を起こして、床に手をついた。

「……ごめん。怪我」

「いい」

 ガラフは短い言葉で何か言いたげなリックを留めると、黙々と足元の硝子を拾う。やっと、足の痛み

が戻ってきた。

「苦しいなら止めれば良い」

 吐き捨てるように言った独り言に、リックの顔色が変わる。

「ガラフが、独りになるじゃないか」

 ガラフは、何も答えなかった。

 リックもまた黙々と硝子の破片を拾いながら、俯き。ガラフがふと思い出したように彼を振り返る。

「明日は早い。リスティリアは強い」

 抑揚の少ない静かな声。リックの手が一瞬止まったが、彼は指先に絡みつく恐怖を振り払い、作業を

再開した。

 淡々と。

 ガラフはそれを無表情に眺めていたが、やがて拾い終えた破片を彼の手から受け取って袋に入れた。

リックがそれを受け取って捨てに行くのを見届け、水道の蛇口を捻った。

 流されていく紅が、彼の足元に不気味な文様を描いていた。




 リスティリア戦線、最前線。倒れた仲間の死体を踏みつけながら、彼は疾走していた。

 振るう大鎌、そのたびに敵の首が飛ぶ。黒いマントが翻った場所で、倒れないものは居ない。ガラフ

は――銀鬼と、呼ばれていた。

 彼の相手は、主に騎馬兵である。ゼネアでは騎馬は需要の割に供給が追いつかず、ガラフとリックが

来るまではリスティリアにおされ気味になっていた。十二、三歳そこそこの少年二人にそんなものを押

し付けるのはどうかという声もあったらしいが、こんな場所に倫理が通じるはずも無く。

 ガラフは最後の一騎を狩り終えると、その場に立ち尽くした。

 ――いない。

 彼は、らしくもなく息を切らして、大鎌を地面に突き立てる。塹壕を見つけると、そこに兵士の頭が

出ているのを見つけて座り込んだ。

「おい」

 壮年の男の顔が上がり、短剣を抜こうとしてから敵でないことを確認、ほっと安堵を表情に出してな

んです、と疲れきった声を出す。

 ガラフの階級が既に自分より上であることも、当然知っているらしかった。

「リックを、知らないか」

「いいえ?居ないんですか?」

「……悪かった」

「いえいえ」

 彼も塹壕から地上に這い上がり、額に滲んだ汗を腕で拭う。

「騎馬……全部あんたがやったんですか」

 ガラフが頷くと、男はなんとも言いがたい表情で少年と足元の惨状を見比べる。

 一方ガラフもまた、俯いて考え込んでいた。そろそろ敵の第二陣がこちらに向かってくる頃なので、

もたもたしては居られない。リックは軽い傷だと言っていたが、あの血の量。悪寒を感じたガラフの傍

から、彼が身を翻して逃げるように走っていったのを、思い出していた。

「自分も探しときますよ。見かけたら伝えときますから」

 ガラフの心情を察してかそう言った兵士に、助かると申し訳なさそうに呟いてから、彼は再び走り出

す。青味がかった銀髪が風に舞うのを眺め、それから兵士は自分の足元に視線を移した。

「ちょ――っと、遅かったみたいですね?」

 ――起きるのが。

 塹壕の入り口を覆っていた枯草を押し開けたリックと目が合って、苦笑する。深海色の瞳が憎々しげ

に彼を見上げていたが、兵士は相変わらず飄々として。

 深い孔から地上に這い上がってきたリックは、横腹に深い刺し傷を負って、油断していた兵士の足を

引っ掛けて転ばせた。男は舌打ちして、上から斬りかかろうとした彼の傷口を蹴り上げる。喉元まで出

掛かった悲鳴を飲み込んで再び剣を構えるリックと、起き上がった壮年の兵士、目を、あわせる。

 じりじりと後退して、あわよくば逃げる気でいた男の思惑を悟ってかリックは逃げられないうちに彼

に向かって走り出す。傷が痛んだが、そんなものは気力で押さえ込み。

 兵士が投擲した短剣を剣で弾き、振り下ろした刃を男の剣が止める。

 戦士並みに戦闘能力はあるようだった。

「よくも、やってくれたな……」

 リックの掠れた声に、男も苦虫を噛み潰したような顔で応答する。

「そう言わんでくださいよ。ありきたりだけど、自分、家族人質にとられてんだから」

「生きてる、わけねえ、だろ」

「そりゃーあ、ね?でもしない善よりする偽善って言うでしょ」

 オレはこれだけあなたたちのために努力しました。

 そんな風に家族の死体の前で言い開きをする口実に。少年の目は忌々しげに細められ、相手の剣を弾

く。同時に、腹部から駆け抜ける激痛に膝を付き、うずくまった。手で押さえた傷口は思っていたより

深く、リックは息をするにも困難なほどそれが広がっていることに気が付いた。

 刃に薬品の類でも塗られていたのだろう。

「く……」

「此処まで、ですかねえ。せいぜいガーゴイルの足手まといになってくださいよ」

「ってめえ!」

 顔を上げた彼の傷口を蹴って地面に転がし、男はどこか遠くを見る目で前方に上がっている土煙のほ

うを向いた。リスティリアの第二陣。

「どうせ、自分もう死にますし」

 リックは、何も言わずに目を背けた。

 それから、隣で倒れる音。恐らく、矢でも放たれたのに違いない。彼は痛む傷口を両手で強く抑え、

咳き込んだ。口内を満たす鉄の味を吐き出し、かすむ目で見上げたのは馬上の敵の、悪人然とした笑み。

 畜生。

 小さく呟いて、裏切り者の死骸に目を向ける。表情は見えないが、恐らく満足げに笑みでも浮かべて

いるに違いない。

 リックはやりきれない気持ちで一杯になりながら、小枝を踏みつける音に体を強張らせた。同時に、

右足に激痛。押し殺した悲鳴を上げ、彼はその部位を確認する。剣を引き抜く場面を目の当たりにして

吐き気すら催しながら、上体を起こして剣を構える。

 もっとも、それ以上のことをするだけの体力は残っていなかったが。

「…………畜生」

 ごめん、ガラフ。




2.


 相変わらず、この地区の人選は最悪らしい。

 ガラフは大きくため息をついて、机に肘をついていた。最前線だからか、それとも単なる人員不足か、

司令官はゴミのような作戦しか思いつかない。いっそのことガラフが撃ち殺して成り代わったほうがど

れだけましな指揮ができるか。

 実際、どうも他の兵士はそれを望んでいるようであった。

 ―――突撃、突撃、突撃。

 それだけで勝てるものか。無駄な足掻きでも落とし穴くらいは提案して欲しいものだ。

「どうかしたのですか」

 凛とした声に顔を上げると、彼の顔を心配そうに覗きこむ女性の兵士の顔が見えた。名はイリスとい

って、なかなか器量が良く、有能なことで知られていた。ガラフは差し出された紙コップを受け取ると、

その中身を一息に飲み干した。

 味は、あまり判らなかった。

「……なんだ」

「いいえ、なんだか……不機嫌そうだったので」

 彼はふと彼女の顔を見つめ、それから天幕の薄い天井を見上げる。

「そう、思うか」

「いつも一緒の彼が居ませんから」

 結局。

 リックを見つけることは出来なかった。しかも陣営に帰っていないという。ガラフの不機嫌のもとは、

確かにそれなのだった。

 イリスは図星ですか、と笑い、背を向ける。

 思わずガラフは、その細腕を掴んでいた。

「どうしました?」

「……」

 彼は振り返った彼女に自分が何を望んだのか、ふと考え込む。イリスはその手をやんわりと外して机

上に戻し。

「べつに、女の子のあしらい方を教えて差し上げても構いませんけど……後で、恋人の反応が怖いので

止めておきますね?」

 小首を傾げてくすりと笑った彼女を見上げ、それからガラフは下を向くと、もう一度だけ大きなため

息をついた。

 彼女はその様子を見てますます笑い。

「あら、女の子に興味はありません?」

「なんでそうなる」

「だって、結構皆噂してますよ?」

「…………イリス」

 あきれ返ったガラフの目線を受けながら、彼女は紫紺の長い髪を掻き揚げた。長く伸ばした前髪が邪

魔らしいが、それなら切ってしまえばいいのに、とガラフは思う。言ってみたこともあるが、彼女は女

心がわからないんですねと留め息をついただけだった。

 彼女はいくら冗句をとばしても依然鬱屈した表情の彼を見下ろすと、ふとまじめな雰囲気になって椅

子を引き、腰掛けた。

「知ってますよ、こんなに若い――幼いんだもの。お互いが支えあってるだけなのは」

「……ふん」

「でも、それがお互いに弱点だって、周りにばらしてるんだってのも、しっかり自覚しておく必要があ

ります」

 咎めるような声で。

 ガラフは一瞬彼女の言葉がわからずに、顔を上げた。

「ばらす」

「ガラフ=Gは強い。ええ、騎馬を全て、馬に乗らなくても倒せるんですから。そんな、無敵な貴方を

仕留めるために考えつく方法。ガラフ=Gに家族は居ません。なら、それと同等に接している人物は」

 そこまで解説してもらわずともわかる。後半は彼のほんの少しの驕りが命取りになるのだと、たしな

めるニュアンスも含まれているのだろうが。

 イリスはそれまで浮かべていた微笑を消して、真顔でガラフの目を真っ直ぐに見る。射るような目つ

きで。

「覚悟しておく必要があるでしょう。彼の死か――良くても人質にされて碌な目に遭っていないはずで

すから」

 そんなことは、判っている。

 反論しようとして、ガラフは自分の手が震えているのに気付く。わかっては、いる。わかっていたが、

目を逸らしていた現実に、むりやり向かわされるこの心地悪さといったら。

 眉を顰めたガラフの震える手を包み込むように、イリスの手が重なる。

「女の子のあしらい方を、教えて差し上げましょうか?」

「いらな、」

 最後まで言わないうちに、唇が重なった。


 敵の陣営はこの場所よりも大分先にある。厄介なのは、国境の内側にあるためそこに行けば兵士や騎

士で無い人間まで襲い掛かってくる可能性があること。――この時点で、ゼネアの軍がどれだけ人選を

誤っているかが判るというものだ。

 彼らの陣営は国を出て東に何百メートルも離れている上、リスティリアの一部を占領しているわけで

もない。圧されたら押し返さなくては負ける。一方的なリンチ状態。最悪だ。

 はだけたシャツの前を直しながら、ガラフは地図を見下ろして舌打ちした。

「もう。ちょっとした冗談じゃないですか」

「脱がされかけた」

「いやあ、眼福でした」

 イリスはというと、突き飛ばされたままの姿勢で悪びれもせず、悪戯っぽく微笑って舌を出す。

「乗り込むんですか?」

 ガラフは答えず、じっと地図を見ていた。

 イリスは首を傾げて寂しそうに笑う。

「かっこいいじゃないですか。それって」

「なにが」

「鬼と呼ばれる貴方が、たった一人のために死地に赴くなんて。世間が好みそうな美談だわ」

 少年の、曇天を封じ込めたような鉛色の目が、不愉快そうに細められる。何が言いたいのか、と振り

返った彼にイリスは真摯な瞳を向けていた。

「死んだことにして、逃げ出せますよ。ガラフ=G。そんな忌々しい名前を捨てて」

 暫しの静寂。

 彼は彼女の藍色の目を。リックのそれとは違う青の輝きに魅入られて、それに飲み込まれぬよう抗い

ながら。

 彼女は彼の鈍色の目を。自分のそれとは違う意味で強い意志を見て、それに圧し負けぬよう見つめ返

して。

 ――暫しの、葛藤の後。

「………ありがとう」

 極端に抑揚の少ない声はガラフの。

 イリスは大きくため息をついた。

「そうですか」

 尻餅をついたままだった彼女は伸ばされたガラフの手を取ると、立ちあがって彼を見つめる。それか

らふっと意地悪く笑って後ろに一歩下がり、舌を出した。

「老け顔!」

「……?」

 イリスはふとガラフの無表情を見上げて寂しげな顔をすると、すぐに小走りでその天幕を出る。頭上

に広がるのは満天の星空。

 黒い空を見上げて大きくため息をつき。

 ――半分は、女として、彼を案じていたのだ。

 イリスは。

 全く、ついていないと思う。彼女はついさっき、突き飛ばされるまでは本気でガラフの年齢を忘れて

いたのだから。

「はー……ばっかみた――い」

 両手を広げ、間の抜けた声を出して。

 視界に映った満天の星屑。広げていた両手を下ろすと、彼女は暫くなんともいえない気持ちでそれを

見上げているのだった。




 暗い。

 リックは禄に治療してもらえなかった足とわき腹の痛みに、小さな呻き声を上げる。彼はもう一度わ

き腹の傷と足の傷を触って確認するとゆっくりと上体を起こした。両腕は手首で一纏めにされているの

で、傷の痛みもあってたったひとつの動作が重く、緩慢になってしまった。

 武器はない。当然だが。

 彼は大きなため息をつくと、時間の感覚さえ無くしそうな暗い室内を見回した。

 じめじめした空気が嫌だ、というのが最初の感想。まばらな広さの石畳と石の壁。もしかしなくとも、

地下牢とかいう奴だろうか。本で読んだことはあったが実際に入ったのは初めてなので、こんな状況で

なければもうすこし好奇心を満たせて楽しかっただろう。

 転がされているだけなので見るのはただだが、薬か術か、それとも単に怪我のせいなのか、体に力が

入らなかった。

「しかし……閉じ込めてんのに縛る意味がわからない……」

 正直な思いがおもわず口をついて出てしまったが、多分誰も聞いてはいないので、もう一度大きなた

め息をついた。

 怪我は放っておくと死ぬかもしれないが、なんというか、人質ってのは暇なんだなと、あるまじきこ

とを考えていると、唐突に後ろで重たい音がした。それから、差し込んでくる光。振り返ると、出入り

口らしき扉が開けられているのが見える。

 ――ああ、なるほど。こんなときに虚を衝いて逃げないようにか。

 あるまじき思考、再び。どうにも、緊張感という奴が欠落しているらしかった。壁際に、不自然な形

に金具が出っ張っているのが見える。鉤型で、うっかり転がっていくと、引っかかってしまいそうだ。

「ああ……。なんか今更怖くなってきちゃったな。もしかしておっさん、拷問とかしちゃうあれ?」

 入ってきた男はひげ面を不愉快そうに歪ませて、苦笑したリックの頭を足で小突いた。間違ってはい

ないらしい。

「これでオレが可愛い女の子だったら、ここからいやーんな展開になったりするんだな」

 リックも流石に危機感を感じ始め、軽口をたたきながら上体を起こして後ろに下がる。当然、男の歩

いてくる速度のほうが速い。

「話したい事はそれで全部か?」

「止めない?」

「残念ながら。弱っているほうが同情も引けるしな」

 暗い背景に良く似合う、悪役然とした笑みである。

 リックは舌打ちすると、殴りかかってきた拳を間一髪で転がって避ける。とっさの動きがとれず、わ

き腹を蹴られて咳き込む。悲鳴を上げたりするのも癪だったので、腕を縛る縄に噛み付き、背中を丸め

た。

 目は、先程よりは必死に他の出口を探し始める。その間も激痛が絶えることは無いが、それでも殺さ

れるわけではない。縄に噛み付いた歯を食いしばり、血の味も気付かない振りをして捜しつづける。

 どこかに。

 何か、無いのか。

 これ以上ガラフに迷惑をかけるわけには、行かないのだ。

「あ゛……ッぐ」

 言いかけた言葉は、薄い背中を踏みつけられて中断され。

 男はそれが気になったのか、殴打するのを止めてリックを見下ろす。肩で息をする少年の手がほんの

少し伸ばされて、牢獄の角、例の鉤型金具の傍に掘られている孔を指差していた。

「あれ……おっさ、ん。あ、れ何」

「まだ余裕がありそうだな?」

「じょ……冗談。い、痛すぎ、死ぬ」

 一回咳き込んだだけで、吐く血の量が半端ではない。苦笑したリックを見下ろすと、男は釈然としな

い面持ちで彼の指した孔のほうを見る。

「ありゃあ、死体を捨てる孔だ。落ちても何処にもつながらないし、深いから最悪死ぬかもな」

 男は残念だったなと笑う。リックが逃げ場を捜していると思ったのだ。確かにその考えも間違いでは

なかった。

「そ、なん、だ」

 もう少し、頑張れるかな、オレの体。

 リックは腕で口元を隠し、少しだけ笑った。




3.


 硝煙の匂いが、鼻につく。

 敢えて言うなら、ゼネアが今負けずにいるのはリックの作った「銃」が実用化されたため。そしてガ

ラフと彼の存在。つまり、二人がいなければこの国に勝ち目は無いわけである。ガラフは舌打ちすると、

馬上の敵を大鎌でなぎ払い、飛んだ返り血を避けるように後ろに下がる。

 昨夜眠れなかった彼は不機嫌なことこの上なく、術士のイリスを後ろに連れて鎌を振るう。

「”見える”か」

「ん……あっちも結界張ってるみたいです。捕虜を押し込めとく場所なんてたかが知れてますけどね」

 長い紫紺の髪を高く括ったイリスは、顔をしかめて地面に手をつく。二人の周りの大地が揺れて、幾

人かを馬上からふるい落としたが、彼女は今回何度目かの大きなため息をついてガラフと背中合わせに

立ち上がった。

 周囲を満たす、リスティリアの四陣。

「囲まれました」

「何人で来ても同じことだ」

 逸る彼の手をイリスの柔らかな手が抑え、後ろで疲弊したゼネアの小隊と二人を囲むリスティリアの

騎馬隊を見比べた。

「本当に……あなたって子は。あの子のことになればそんな歳相応の顔をするんですね」

「何のことだ」

「焦ってる」

 ぞろりと、首筋を這い上がる悪寒。

 ガラフは眉を寄せて舌打ちし、騎馬の波を掻き分けて進み出た一際上等な騎馬に視線を移す。

「銀鬼、か。たいしたことは無さそうな子供だな」

 弱みを握っている優越感か、馬上の男はそう言って笑う。

 ガラフは大鎌を握る手に力をこめ、彼を見上げた。馬鹿な奴だと、思う。ガラフがリックに依存して

いる一番大きな理由は、”これ”だというのに。

 この、破壊衝動を抑える抑止力を奪ったからといって、何を安心しているのか。

 ――愚かだ。

「ガラフ?」

「退がれ」

 不安げな声を出したイリスを後ろに押しやると、彼は振り下ろされた剣を弾き、一振りで大将の首を

飛ばした。腕の動きさえ捉えきれずに茫然と見ていた騎馬たちに、徐々に恐慌が広がって逃げ始める、

その間にも宙を舞い地に落ちる首、首、首。

 一人も逃さない勢いで狩りを続けるガラフの口元は歪につりあがって笑みを浮かべた。


 ――判らない。

 イリスはただ座り込んでその光景を見ながら。

 とっくに彼の姿は視界から消えうせて、ただ無造作に倒れていく敵の騎士だけがガラフの通る軌跡を

示していた。

 判らない。一瞬、人族よりも魔物に近い気配を彼から感じたこと。一瞬、口元がつりあがったように

見えたこと。一瞬、彼の目が純然たる狂気を映していたこと。

 ガラフ=Gが何なのか、判らない。




 リックは壁際に追いやられて、喘鳴していた。

 鉤型の金具が出っ張っているのを確認すると、いい加減蹴って転がすのにも飽きてきたらしい男の目

がよそを向いた瞬間に、金具に縄を引っ掛けた。

 切ってしまおうかとも思ったが、少しだけ考えると極力音を抑えて左手首の間接を外す。

 痛みには、とうに慣れてしまっていた。

「お前」

「ッ?」

 一瞬、ばれたかと背中を冷たいものが流れたが、振り返って彼の笑みを見上げると、そうではないら

しかった。

 男はリックの顎を掴むと無理に自分の方を向かせ。

「……そうだな。女じゃなくても良いか」

 嫌な予感に顔をしかめ、リックは左手を縄から抜いて右手で強引に間接を元に戻し、無傷の左足で男

の顎を蹴り上げた。

 彼の驚愕の表情はやがて凄まじい怒りに変わり、したり顔でいた少年の襟首を掴んで押し倒した。右

足の傷口を踏みつけると、引き攣った悲鳴が上がる。リックは手探りでズボンのベルトを外し、自分の

首を締め上げる男の目を狙って力任せに叩きつける。金属製のバックルで目を傷つけ、男の悲鳴。

 同時に何事かと走って来た複数の足音が聞こえて舌打ちし、体を起こしたリックの首を大きな両手が

掴んだ。体が宙に浮く。首が、締め上げられた。

 床に背中をたたきつけられずるずると、肩から上は体重を掛けられて逆さに孔の中を見ていた。

「が……ッ」

「……っの、餓鬼が……」

 同時に、手探りで自分の防護服の中を彷徨っていたリックの手が、冷たい塊に触れる。

 左目から血の涙を流して鬼の形相をする男の額にそれをつきつけ。横目に男の仲間らしき人間が入り

口に集まるのを確認して、引き金に酸欠で震える指をかけた。

「落ちろ!」

「――てめえもなッ」


 軽い、何かを叩くような音の後、小銃を構えた体制のままのリックと、上に圧し掛かって首をしめて

いた男は、深い孔に落ちた。

 入り口に集まった男たちはどうしたものかと暫く話し合っていたが、やがてこうしていても仕方ない

と皆がその場を後にした。


 右手の感覚が半ばなくなりかけていた。

 リックは左手に持った小銃を一先ず防護服にしまい、開いた左手で縄に捕まった。何とか体を孔の上

に引き上げると、そこに誰も居ないことを確認してから右腕に絡まっていた縄を解いて、労わるように

腕をさする。

 輪状にされた太い縄の先の方は、あの鉤型の金具に引っ掛けられていた。

「良かった……上手くいって」

 リックはすっかり開いて血で真っ赤に染まったわき腹の傷を抑え、満足に動かない右足を見下ろして

乾いた笑いを漏らした。

 暫くそうしていたが、彼はふと寒気を感じて小銃を取り出し、残った弾の確認をすると壁に手をつい

て起き上がる。

「ガラフ………大丈夫だから」

 殺すなと。直感的に、呟いた。

 右足を引きずって壁伝いに歩きながら。銃はいつでも撃てるように手に持ったまま、彼は前を見据え

た。嫌な予感がする。否。

 いつも本当は恐れている。ガラフが自分を置いて人間を辞めてしまうんじゃないかと。




4.


 ちがうんだ。

 こんなのは望んでいない。楽しい。ああ、赤が綺麗だ――やめろ。

 最後の一騎を頭から叩き割ったガラフの背中に、衝撃。イリスが後ろから走ってきて、彼の体を抱き

すくめたのだった。

「ガラフ=G!」

「離せ……!」

 振り払おうとしたガラフは銃声で我に返る。頬を銃弾が掠めて赤い線を引いた。

 彼が振り返るとリスティリアの城壁に寄りかかって小銃を構えたリックが、馬鹿、と呟いて気の抜け

るような笑みを浮かべた。その場に崩れ落ちた彼に走り寄って、鎌を投げ捨てると両肩を掴んで起こす。

「リック?」

「ヒーロー、が、遅れすぎ……からさ」

 すごいだろ?

 そう言って笑み、歯を食いしばったガラフの今にも泣き出しそうな顔を見上げた。

「大丈夫ですか」

 遅れて走って来たイリスが、顔をしかめる。リックの傷は、予想外に深く。彼女はすぐに躁術で血を

止め、ある程度のところまで傷を塞いだ。

「さっさと戻りましょう。消毒と治療しなきゃ」

「ごめん」

 リックは緩慢な動作で立ち上がると、ガラフを振り返った。早く来て下さいよ、と振り返ったイリス

に笑いかけ、未だに項垂れているガラフに手を伸ばす。

「ど、したんだよ」

「……恐かった」

「うん?」

 ガラフは伸ばされたリックの手と、それから笑顔を見上げ。

「人じゃ………なくなって、しまうかと」

「大丈夫、だよ。オレ、止めるし」

 彼は少しだけ迷うと、リックの手を取らずに立ち上がって見下ろした。ふらふらしている体は見てい

て危なっかしかったが、肩を貸そうとするといい、と断られたので、仕方なく先を促した。

 足元に放り出していた大鎌を手にとって、顔を上げ。

 リックを突き飛ばして敵の斧に斬りつけられた。

「………………ばけもの………」

 重たい音と共に斧を取り落とし、そう呟いた生き残りの騎馬兵。顔の半分は血で染まり、緑色の目は

恐怖に染まり。

 リックは自分の腕の中に倒れたガラフを見下ろした。横腹を抉られ、傷口を抑えて喘鳴する彼の頭を

胸に抱き。

 ――化け物、とは。

 青い目が、逃げていく男の背中を捉えた。

 小銃を持った腕が跳ね上がり、引き金にまで指をかけたのに、ガラフの手がそれを止めた。

「が……ガラフ」

「いや、だ」

「あいつは――あいつは!」

「オレは、魔物……」

「違う!」

 怒鳴った後で、気付く。

 リックは、ガラフの傷口をじっと見下ろしていた。彼の体内から出て、傷を縫い合わせていく白い、

糸のようなもの。

「嫌だ………」

 掠れた声を聞きながら。

 リックは自分に縋る手を、振り払うことが出来なかった。




「だから、結局逃げないんですか?」

 イリスが膨れっ面で言うと、横を歩くリックが苦笑した。

「まあ、行く宛てもないしなあ」

「むう……」

 詰まらなさそうに顔を背ける。すれ違う人間は、大体二人を振り返った。イリスは軍の中でも評判の

美女で、リックもなかなかの容姿。

 本人たちはあまり気にしてはいないようだったが。

「それにほら、ガラフはかっこいいからどこ行っても目立っちゃうだろ?」

「二人揃えば尚更ですけど」

「まあ、そうだな!」

 イリスはよろけた彼の肩を支えると、大きくため息をついた。

「知りませんよ、勝手に部屋を抜けてきて。きっと今頃ガラフが心配してますよ」

「どうだかなー」

 リックが明るく笑み、彼女を見上げると、前方からどかどかと乱暴な足音が聞こえた。無表情で歩い

てくるガラフの姿をイリスが確認したのと同時に、リックが思いっきり殴り飛ばされる。

「傷は」

「ぎゃー!痛ってえ、ガラフのせいで開いた」

「勝手に歩き回るからだ」

「これくらいは良いって言われたんだよ!」

「誰に」

 沈黙。

 後ろから心配して来ていた軍医も目を合わせずに歩き去っていく。リックは引き攣った笑顔でガラフ

に向きなおり。

「の……脳内会議……」

「軍医に頭を開いてもらおうか」

「うわー!ごめん、ごめんなさい!それ以上殴ったらあれになる、馬鹿になっちゃうっ!」

 ガラフは大きくため息をつくと、リックの襟首を掴んで引きずる。ふと部屋に帰ろうとした足を止め、

イリスを振り返った。

「……悪かったな」

「いえいえ」

 彼女は苦笑しつつ手を振って、二人を見送った。

 あの二人は、あれでいいのだろうなと。

 リック=デュオは馬鹿の振りをして、ガラフ=Gは人間の振りをして。そうやってお互いに平衡を保

つ様がいじらしいような滑稽なような。

 イリスもまた踵を返してその場を後にする。

 久々に恋人の家にでも遊びに行こうかな、なんて考えながら。





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