続・初めのショッピング
「なんか、人に見られてる気がするんだけど」
「?」
湯気の立つきつねうどんへと箸を差し入れ、お揚げの下から麺を持ち上げつつ呟く。と、キャベツやもやしたっぷりのちゃんぽんと向かい合った紗羅が首を傾げた。
モール内のフードコートで思い思いの注文をし、食べ始めて少しした頃の事である。
「どこの人?」
「あ、いや。特定の誰かっていうか、さっきから妙に色んな人の視線を感じる気がして。……今日が平日だからかな」
気づいたのはフードコートに入ったあたりだった。最初は気のせいかと思ったが、平静を装いつつ辺りを注意していると、時折ちらちらとこちらを見る人が確かにいる。何だろう。確かに珍しいのは珍しいだろうが、大学生くらいの客は他にもいるし、場所もただのショッピングモールだ。いちいち好奇の視線を送られる謂れもないような。
すると、周囲に視線を彷徨わせていた紗羅が「ああ、なるほど」と頷いた。どうやら彼女には思い当ることがあるらしい。
「多分、悠奈ちゃんが可愛いからじゃないかな」
「……いや、それは違うんじゃ」
まあ、俺の容姿は客観的に見ると可愛い方だ。
けど、容姿のせいで注目を浴びるというのなら、それは紗羅の方だ。
「紗羅は普段、こういう視線感じたりしない?」
「え? ……うん、ある、けど」
「ほら。じゃあ紗羅が見られてるんだよ」
そういうことなら仕方ない。一緒にいる俺も注目を集めるのは自然なことだ。
問題は解決した。今度から、可愛い女の子はこういう視線を浴びるものなのだと覚えておこう。そう思いながらうどんをすする。
と、前方から少しだけ不満げな声。
「でも、悠奈ちゃんは可愛いと思う」
どきっとした。意図して言ったのではなく、漏れ聞こえた殺し文句だから余計に。
……だが、その台詞は聞き捨てならない。
「紗羅の方が絶対可愛いよ」
「……悠奈ちゃんは自分の魅力がわかってなさすぎだよ」
何もムキにならなくてもいいのに、俺たちは食事の間中、睨み合い続けた。
……で、食べ終わる頃にはどうしてこうなったのか殆ど忘れ去っていた。
それから買い物を再開。財布や鞄など、まだ買っていなかったものを一つ一つ購入していった。買うもののリストはいつの間にか紗羅が作ってくれていたらしく、一つクリアするたびにチェックを入れてくれるので忘れる心配はなかった。
その分、同じ店を何度も往復することになり、時間は余分にかかってしまったが。
気づけば時刻は夕方。どうやって帰ろうか思案していると、紗羅のスマートフォンに凛々子さんから着信があった。荷物を運ぶついでに迎えに来てくれるとのこと。
紗羅と手分けして荷物を運び、モールの外で待つと、程なく凛々子さんが車でやってきた。車種は意外にも国内メーカーの、やや高級ではあるものの一般的な車だった。
「これだけあると収納が大変そうですねー。そういえば、結局家具なんかは買われたんですか?」
「あ、いえ。そこまでは手が回らなくて」
「そうですかー。じゃあ、その辺りはこちらで手配しておきましょうか?」
「いいんですか? じゃあ、お願いします」
後部座席に紗羅と二人で座りつつ、凛々子さんとそんな会話を交わす。まる一日使って買ったこれを仕分けすることを思うと、もうしばらく買い物はいいかなと思う。
なので、家具についてはお願いしてしまうと、凛々子さんは「わかりましたー」と明るい声を上げた。
……深く考えず丸投げした結果、後日、部屋が割と可愛い感じにコーディネートされてしまい、後悔することになるのだが。この段階ではそんな事知る由もなく。
羽々音家に戻った俺は、にこにこする凛々子さんに「ただいま」を言わされた後、戦利品を部屋に運び込んだ。家具の入れ替えも考え、これらはひとまずそのままにしておく。必要な分だけを開封すればいいだろう。
入浴を済ませ、買ったばかりの寝間着を身に着けた。淡い色をした厚手のパジャマで、女の子向けのデザインではあるが、見るからにファンシーな感じではない。色がピンクでないのも俺的には重要だ。
「悠奈さん、新しいパジャマなんですねっ。いいと思います」
「なんだか娘が増えたみたいで楽しいですね」
「あ、ありがとうございます?」
夕食の席では杏子さん、世羅ちゃんにからかわれたりしつつ、時刻は夜に。
「とりあえず、後は寝るだけか……」
静かな部屋で一人呟いて視線を巡らせる。そうするとすぐ部屋の隅に積まれた荷物の山に視線が行って複雑な気分になった。
部屋に物が増えていく。それが俺の先行きを象徴しているみたいで。
……戻れるなら、やっぱ戻りたいよな。
あらためてそう実感する。まあ、また明日からはレッスンが始まるわけで、この調子では悪魔探しはいつになるかわからないが。
と、そんな時、部屋のドアがコンコンとノックされた。入室を促すと、中に入ってきたのは紗羅だった。
「何かあったのか?」
「ううん。ただ、例の話を空いた時間に進められたらな、って思って」
控えめな微笑みと共にそんな返答を聞いて胸が熱くなった。
紗羅がそう言ってくれたことが嬉しくて自然と笑みがこぼれる。
「ありがとう。それで、まずはどんな話を?」
「うん。私が知っている悪魔の情報を聞いてくれる?」
「ああ」
頷いた紗羅が話し始める。
紗羅がその悪魔に出会ったのはまだ幼い頃だった。
黒がかった紫の髪に同色の瞳。蝙蝠の翼に黒く細長い尻尾。露出度の高いボンテージに身を包んだ女悪魔。
彼女は紗羅が一人でいるところに突然現れ、一方的に告げたのだという。
『あなたに呪いをかけてあげる。忌まわしいその身に、一生続く戒めの鎖を』
紗羅が名前を尋ねるとそいつは答えた。真夜、と。
「真夜。それがその悪魔の名前なのか?」
「うん。でも、本当の名前じゃないと思う。いくつも持っている仮の名前の中から、ひとつを答えただけで」
本当の名は不用意に他人へ明かすものではないらしい。名前がわかれば召喚や攻撃、あるいは支配が容易になってしまうから。通り名を複数用意して使い分けるのが普通だという。
「そっか。じゃあ、名前で探すのは難しいんだな」
「うん。悪魔は嘘をつけないから、手掛かりにはなると思うんだけど」
それは悪魔という種、全体に備わった特性らしい。だから「お前は羽々音紗羅に呪いをかけた真夜という悪魔か」と尋ねられれば嘘を答えることはできないのだと。
「ただ、悪魔は姿を変えることもできるの。だから……」
「片っ端から尋ねて回るわけにもいかないし、紫の髪の外人を探しても無駄、ってことか」
まあ、そもそも現実的な手段とは言えないが。とはいえ方法の一つとしてあるのとないのとでは全然違う。
となると、紗羅から聞いた情報で気になるのは……。
「その、『忌まわしいその身』っていうのはどういう意味なんだ?」
「……羽々音の家が古い家柄で、悪魔の伝承も残ってるって言ったでしょ? それは過去に悪魔と因縁があったからなの。その関係で恨まれているんだろう、ってお母さまも言ってた」
紗羅が狙われたのは長女だからだと思われる。杏子さんよりは子供の紗羅を狙った方が、より家へのダメージは大きいし。
……具体的に尋ねたわけではないが、おそらく紗羅のお父さんは亡くなっているのだろうから。
「なるほど。それも取っ掛かりにはならないか」
「うん。だから、どっちにしても今すぐには難しいよね。方法を考えながら準備を進めないと」
「だな」
今日のところはこれでお開きにすることにして、俺たちは部屋の前で別れた。
……でも、少しずつでも前進はしてるよな?
ベッドに横になり、ぼんやりと考えながら、俺はやがて眠りへ落ちていった。