喪失の原因
「あの、変な意味じゃないですよね?」
「はい、もちろんですー」
微妙に緊張して尋ねてみれば、あっさりとした返事。
それきり凛々子さんは赤面を消し、畳の上に足を崩して座った。
「私が試したいのは、催眠術の応用ですー」
「だんだん眠くなって、質問に素直に答えてしまう、みたいなやつですか?」
「はいー。ただし、催眠術は抵抗の意思があると効きづらくなりますのでー」
「……なるほど」
だから身体と心を委ねる必要がある、と。
「催眠術って、その、危険だったりとかは?」
「催眠は万能ではありませんから、洗脳とか、心を壊すようなことは基本的にできませんー。もしできても、そんなことをすれば華澄さんやご家族がすぐに気づくでしょう」
ついでに、華澄や母さんからの了解も取ってあるという。
「一応、確認取ってみていいですか?」
「はい、もちろんですー」
凛々子さんのスマホを借りて母さんと話すと、確かに許可を出したらしかった。危険がないなら何でも試してみた方がいいだろう、とのこと。
確かに、それはその通りだ。
通話を切った俺は凛々子さんにスマホを返し、深呼吸をして気持ちを落ち着けた。
恐怖はやはりある。
けど、せっかく示された道を無視するのも違う気がする。
「わかりました。お願いします」
「了解しましたー。では、こちらにどうぞ」
ぽんぽん、と膝を叩く仕草。
……膝枕、今日だけで二度目だな。
凛々子さんの膝は華澄のものよりも柔軟性に飛んでいた。沈み込んだまま安定する感じ。
「では、始めますねー」
* * *
まずはゆっくりと深呼吸をさせられた。
緩慢なリズムに身体が慣れるのと並行して、凛々子さんの声が頭上から優しく耳に響いていく。
「私の、声だけを聞いてくださいね……」
意識が落ちていく。
自然と瞼が閉じて、部屋の明かりも気にならなくなる。
深く、深く、暗闇に沈む。
「あなたは今、あなた自身の記憶の中にいます」
俺はいつの間にか、長い道の上に立っていた。
長い一本道。その途中にはいくつもの扉がある。きっとこの扉のひとつひとつが、俺の記憶に繋がっているだろう。
「試しに、一番近い物を開けてみましょうか」
声に従い、すぐ傍にあった扉を開く。すると今日の出来事が鮮明に蘇った。
華澄と散歩をして、ご神体を見せてもらって、羽々音さんたちと会って……。
「では、歩き出しましょう。一つの扉を一日として、五つ目の扉で止まってください」
ゆっくりと歩く。
感覚的には前に進んでいるが、記憶の時間としては戻ることになるわけか。
二つ目、三つ目、四つ目……五つ目。
立ち止まって扉を振り返ると、その扉は金属製のプレートで頑丈に打ち付けられ、更にはチェーンと錠前で施錠されていた。
「……そう、ですか。その封印を、壊すことはできませんか? そこはあなたの世界、あなたが望めば、扉を開くための道具は何だって用意できるはずです」
言われて、俺は道具を思い浮かべる。すると望んだ道具が手の中に現れる。それらを使い、俺は封印の破壊にかかった。
鋸を手に取り封印の破壊を試みたが、びくともしなかった。
チェーンソーに持ち替えてみても結果は同じだった。
扉ごと壊そうとハンマーを持ち出したが、びくともしない。
業を煮やして爆弾で吹き飛ばしても、傷一つ付かなかった。
ならば発想の転換だと、いくつも形の異なる鍵を思い浮かべてみたが、錠前に合うものは見つからなかった。
「……もう一つ隣、六日前の扉はどうでしょうか」
隣の扉も同じだった。
もう一つ隣も、さらに隣も。記憶が欠落している範囲の扉は、全て封印されていた。
結局、何をやってもそれらを開く術は見つからなかった。
* * *
「駄目、でしたねー」
俺の催眠術を解いた凛々子さんが、はあ、とため息をついた。口調こそあまり変わらないものの、表情はそこはかとなく残念そうだ。
一方の俺は、拍子抜けしたようなほっとしたような、微妙な気持ち。
凛々子さんの膝を離れて彼女と向き合いつつ、努めて明るい声で言う。
「いや、でも扉はあったんですよね。だったら、思い出す方法もあるってことだし」
「そう、それですー」
同意の首肯。
「悠人さんの記憶が『消されている』のではなく『封印されている』とわかっただけ収穫でした。まあ、消したうえで封印している、という可能性はなきにしもあらずですがー」
「なんか、その言い方だと意図的に記憶が消されたみたいですね」
「ええ、これは人為的なものですよ。やったのは人じゃありませんがー」
「それってたとえば、妖怪とか?」
「似たようなものですねー。悪魔です」
……マジで?
「……では、仕方ありませんー。奥の手を使いましょう」
「まだ方法があるんですか?」
「はいー。悠人さんの記憶を封印した相手に、直接解いてもらいましょう」
それから凛々子さんは俺を連れて、離れの洋間へ移動した。そこは彼女と羽々音さんが宛がわれた部屋で、中では華澄と羽々音さんが待っていた。
「では、お庭へ参りましょうー」
今度は二人を連れて中庭に出る。
「悠人さん。真夜、という名前を……そうですね、三十回くらい言っていただけますか? それで彼女が現れると思いますのでー」
「わ、わかりました」
マヤ、か。どんな字を書くのかわからないが。
「マヤ、マヤ、マヤ、マヤマヤマヤマヤマヤ……」
ええと、今何回言ったっけ。
っていうかこれ、傍から見ると馬鹿っぽくないか?
……と。
「ああもう、うるさいわね」
ちりん、と。
小さな鈴の音が夜の空気を震わせた。
くすり、と凛々子さんが笑みをこぼし、呟く。
「私たちが呼んでも出てきてくれないからいけないんですよー」
「別に私は便利屋じゃないし。まあ、契約相手に呼ばれちゃ出てこないわけにはいかないけど」
一瞬、どこから声がしているのかわからなかったが、しばらくして気づいた。
声の主は足元、地面を四足で歩く黒猫だ。
「猫が喋ってる……」
「見た目は猫だけど、悪魔だもの。言葉くらい話すわよ」
言って、黒猫は辺りに首を巡らせる。「また変なのが増えてるわね」と呟くと、俺の足をちょいちょいと撫でてくる。抱き上げろってことか?
正直、喋る猫とか若干躊躇するけど……。
「ほら」
胸のあたりで抱えてやる。なかなか抱き心地は良かった。
「あんまり気持ちよくないわね」
「いや、じゃあ降りろよ」
「まあそれはともかく。用件は何?」
視線を向けられた凛々子さんがそれに答えた。
「悠人さん……悠奈さんの記憶を封印したのは、あなたですね?」
「そうよ」
あっさりと返事があった。
「何故ですか?」
再度尋ねる声は、先程よりも幾分か冷ややかだった。羽々音さんや華澄も若干、緊張した面持ちで様子を見守っている。
対する黒猫は世間話でもするような気軽さで。
「俺を元に戻してくれ、って頼まれたから、記憶を含めて元通りにしただけの話。交通事故に遭う前の状態に戻せばいいのかって確認したけど、それでいいって言われたわよ?」
記憶を完全に消すのは骨が折れるから封印するだけにしたけど、と。
「でも、あなたやお嬢様との契約はそのままだったんですね?」
「契約を解除するには他者にも影響を及ぼす必要があるもの。あの子個人の状態を変更する願いでそこまで介入したら、願いの範囲を逸脱する」
「……なるほど」
マヤの説明を聞いた凛々子さんが深く頷いた。
「私たちも含め、不注意が原因のようですねー」
「……約束を破って悠奈ちゃんに手を出したなら、絶対に許さなかったけど。安心しちゃってた私も悪かったんだね」
羽々音さんもまた深いため息をついて眉を下げる。
……ええと、完全には話が見えないけど。
「つまり、だいたい俺のミスが原因ってことですか?」
「ええ」
「はいー」
「うん」
「はい」
異口同音に頷かれた。
っていうか、華澄にまで言われるとさすがにへこむ……。
「まあ、そういうことなら、手っ取り早く戻していただきましょうかー」




