両手に花
羽々音さんたちの宿泊は快諾されたらしかった。
屋敷に着いた時には話が終わっていたため詳細は不明だが、凛々子さんの主人――羽々音さんのお母さんと電話でやり取りがあり、結果、華澄のお婆さんが許可を出したとか。
おかげで、
「ううむ、更に肩身が狭くなってしまったな」
「えっと、なんかすみません……」
昼食の席は男女比二対六という華やかな有様となった。まあ、俺は微妙に(?)ぎすぎすしたままの華澄と羽々音さんが気になってそれどころじゃなかったが。
洋装から借り物の着物姿に変わった凛々子さんが笑顔で動き回って、周囲の空気を和やかなものにしてくれていた。
「こういうのも、女中さんっぽくて素敵ですよねー」
料理の支度も手伝ってくれたらしく、二人はあっさりと皆から受け入れられていた。
「ふう……」
昼食後、俺は一人で部屋に戻った。畳の上にごろんと横になると、お腹がふくれたことと散歩の疲れで眠くなってくる。
隣の部屋は静かだ。華澄はまだ戻ってきていないのだろう。後片付けを手伝っているのだろうか。
思いつつ、うとうとと夢の中へと入っていく……。
どれくらい眠っただろうか。ふと気が付くと頭の下に柔らかな感触があった。
「華澄……?」
「はい、悠人様」
俺は華澄に膝枕をされていた。
「今、何時?」
「三時を過ぎたところです」
「じゃあ、結構寝てたんだな……。華澄の気配にも気づかなかったし」
「お蔭で華澄は、悠人様の寝顔を見られました」
「あう……」
微笑んで言われてしまい、なんだか照れ臭かった。それでも嫌な気がしないのは、相手が華澄だからだろうか。
何事も穏やかに、自然体で受け止めてくれる。
とはいえ、この体勢は恥ずかしいな……。と、身を起こそうとすると、少しだけ残念そうな声。
「そのままでも華澄は構いませんが……」
そう言われると動きにくくなる。せっかくなのでお言葉に甘え、身体を預けることにした。
着物越しに太腿の感触が伝わってくる。柔らかく、弾力があって、水の上に浮かんでいるような心地よさ。
「あの、さ」
「はい」
「華澄はどうして、俺に良くしてくれるの?」
彼女の気持ちは嬉しい。その優しさに触れ、俺は彼女に惹かれた。
でも、
『華澄は、悠人様をお慕いしております』
俺の事をあんな風に言ってくれるのは何故だろう。彼女に好きになってもらえるような何かを、俺はできていただろうか。
すると、華澄は微笑んだ。
「悠人様以上に、華澄に相応しいと思える方がいらっしゃらないからです」
「それは、消去法ってこと?」
「そうですね。そういう面もあると思います。華澄にとって、『お役目』は何より大事なものですから」
正直な答えだった。
「悠人様は、そんな華澄を好きだと言ってくださいました。この土地にもすぐに馴染んで、笑顔を見せてくださいました。ですから、貴方様以上の方はいらっしゃらないと思っております」
「じゃあ、俺とだいたい同じかな」
気が合ったから。この人となら、と思えたから。
「……でしたら、とても嬉しく思います」
華澄がそっと頭を撫でてくれる。
嫌がらず身を任せるうちに、また睡魔が襲ってきた。
「どうぞ、お眠りください。お目覚めになる頃には、紗羅さんの順番になっているでしょう」
「順番……?」
それってどういう意味だろう。
尋ねようと思ったが、その前に意識が睡魔に負ける。
微睡の中、俺は華澄の微笑みを見た。
* * *
目を覚ますと、隣に羽々音さんが座っていた。
「っ!?」
「きゃっ……」
反射的に身を起こすと、可愛らしい声。驚かせてしまったらしい。
「ご、ごめん」
「う、ううん。びっくりしただけだから」
笑って首を振ってくれるも、少しだけ罪悪感を覚えた。
やっぱり彼女とはぎこちなくなってしまう。相手のことを知っている長さで言えば、華澄よりもずっと長いはずなのに。
「……羽々音さん、午前中にも言った通り、俺は」
「華澄さんのことが好き、なんだよね」
羽々音さんが俺の言葉を引き継いだ。彼女はきゅっと眉根を寄せながら、それ以上は表情を変えずに頷いて見せた。
「もう、わかってるから大丈夫。御尾くんがそう言うのなら、本気なんだっていうのもわかってる。でもね」
左手が伸びてきて、指の一本が俺の唇へと触れる。一秒と経たずに指は離れたが、俺は否応なくキスを連想させられてしまう。
……羽々音さんって、こんな無防備な子だったか?
いや。告白してきた男は全員きっぱり振っていたし、普段も男子との接触は避け気味だった。
「御尾くんは、ずるいと思う」
「……ずるい?」
「うん。だって、私とのことを全部忘れてるんだもん」
今の俺には、ここ二か月ほどの記憶がない。
もしその間、俺たちが本当に恋人同士だったというのなら、確かに羽々音さんの言っていることももっともだ。
「覚えてて、それでも華澄さんのことを選ぶなら、まだ納得できるよ。でも、私のことを忘れられているのは嫌」
だからね、と彼女は続ける。
「華澄さんと話をして、チャンスを貰ったの。お互いに御尾くんとの時間を作って、その間は好きなことをしていい、って」
華澄がさっき言ってたのはそのことか。
引き戻した手を羽々音さんはゆっくりと撫でながら、俺に向けて呟いた。
「もし思い出せないならそれでもいい。だから代わりに、私のことも見て。あの時断っちゃった御尾くんの告白、今度は私からやり直すから」
なんて、幸せだろう。
あの羽々音さんが頬を染めて、俺だけを見つめている。きっと高校の友人たちに知られれば、嫉妬で殺されかねない。
……あと数日早ければ、なんてつい思ってしまう。
「……わかった。羽々音さんのことも、しっかり見るから」
「ありがとう」
俺の答えに羽々音さんは微笑んでくれた。
「じゃあ、御尾くん。何かしてほしいこと、ない? 私にできることなら、何でもしてあげるから」
「え、と」
そう言われても、急には思い浮かばない。
「俺が女だった時は、何をしていたの?」
「二人きりの時?」
「そう」
「うーん……そうだなあ……」
首を傾げ、考え込む羽々音さん。
それをなんとなしに見つめていると、突然、彼女の顔が真っ赤に染まった。
「ど、どうかした?」
「あ、ううん。ちょっとその、二人きりの時にしてたことは刺激が強いっていうか……」
「……と、いうと?」
聞かない方が良かっただろうか。
と、聞き返した直後に思ったが、時既に遅く。
「キス、したりとか。一緒のベッドで眠ったり、とか」
「うあ……」
やばい。それはやばい。そりゃ恋人同士で、しかも女同士ならそれくらい普通かもしれないが、恋人未満の状態でほいほい行うようなことじゃない。
俺の顔まで真っ赤になるのを感じていると、それを見た羽々音さんがくすりと笑った。
「ふふ。……でも、少しだけ安心した。男の子に戻っても、記憶がなくなっても、あなたは変わってないみたい」
「……そっか」
彼女の知っている俺も似たようなことをしていたのか。
だとしたら、そんな俺を彼女は好きになってくれたということで。
それはとても、嬉しいことだと思った。
「悠人様、紗羅さん。よろしいですか?」
「あ、はい」
そこで、廊下側から華澄の声が聞こえた。
「お風呂の準備ができたそうですので、ご一緒にいかがですか?」
「あ、もうそんな時間だったのか」
結局、午後は殆ど寝ていただけだったな。
でもまあ、せっかくだし入らせてもらってしまおうか……って。
「一緒に?」
「はい。人数も多いですので、三人でご一緒に」
……思わず、羽々音さんを見てしまう。
すると、彼女は何やらぎゅっと拳を握りしめて決意の表情をしていた。なんとなく怖いので見なかったことにした。




