ぎこちない再会
何もかもわからないことだらけだった。
何故、羽々音さんが突然この場に現れたのか。何故、華澄は羽々音さんたちの来訪に気づいたのか。『悠奈ちゃん』とは誰なのか。俺の失われた記憶は、いったいどういうものだったのか。
それがわからないことには、泣きじゃくる羽々音さんにかける言葉も見つからない。
と――。
「……悠人様」
華澄の手が俺の右手をそっと包んだ。
羽々音さんにはもう一人の女性が歩み寄り、彼女の肩を優しく抱く。
どこか羽々音さんに似た、夜の海のような瞳が俺を見る。
「御尾悠人さん、ですよねー?」
「え。……はい、そうです」
語尾を伸ばす話し方に警戒心がふっと薄れる。この人の方は、少なくとも落ち着いて話をしてくれそうだ。
女性は凛々子、と下の名前だけを名乗った。
「お嬢様の身の回りのお世話をさせていただいておりますー」
それから彼女はにっこり笑って、
「許されるのでしたら、頬を張って罵らせていただきたいところなのですがー」
「え」
「ひとまず、お話をさせていただけると幸いです」
俺と、隣にいる華澄を見つめながらそう告げた。
* * *
四人で、本殿の端に並ぶように腰かけた。この境内にはベンチも何もなく、石段へ直に座るよりは幾分かマシだろうという判断だ。
羽々音さんの涙は十分ほどで止まった。
気分も幾分か落ち着いた様子だが、代わりに話をする気力を失ったように俯いてしまっている。
「できれば、驚かずに聞いてくださいねー」
凛々子と名乗った女性はそんな前置きのあと話を始めた。
俺は十一月の初め――羽々音さんに振られたあの日に交通事故に遭い、女の子になってしまった。その後、羽々音家に保護された俺は、家に戻せば大騒ぎになるという判断から『羽々音悠奈』という名前で生活していた。
色々あってついこの前、元の身体に戻る算段がつき、俺と羽々音家の面々と別れた。
「我が家での生活の間、お嬢様と悠奈さん……悠人さんは恋仲でした。ですから、元に戻った後も再会の約束をされていたのですがー……」
どういうわけか、俺は約束の日時に姿を見せなかった。
羽々音さんとその家族は理由を知るため、俺の所在を必死に探し回り、ここまで追いかけてきたらしい。
「その結果、悠人さんが私たちとの記憶を失っていることがわかりました。悪意があってお嬢様を蔑ろにしたのではないとわかっただけ、幸いではありますがー……」
凛々子さんが羽々音さんに視線を向ける。
羽々音さんの髪は先ほどの騒ぎで乱れ、瞳はより赤く腫れあがっていた。それでも彼女の美しさは変わらないけれど――。
「……すみません。ちょっと信じられません」
俺が女になって、しかも羽々音さんと恋人同士だったなんて。
さすがに荒唐無稽すぎて頭からは信じられない。だからこそ嘘ならもっとつくだろう、とも思うが。
それに――羽々音さんがあんな風に取り乱す所は初めて見た。
あれが演技だったなどとは思えないし、思いたくもない。
「……そうですねー。当然だと思います」
凛々子さんも怒りだしたりはしなかった。ただ小さくため息をついて眉を下げ、困ったような、寂しそうな表情を作る。
「あの」
そこで華澄が口を開いた。遠慮がちに、しかし言葉を詰まらせることなく凛々子さんたちに問いかける。
「お二人は、これから悠人様をどうなさるおつもりですか?」
ぴくりと、羽々音さんの肩が動いた。
「悠人様の記憶を戻す手段を講じる? それとも……悠人様ともう一度、恋人同士に?」
顔が上がる。
両端に腰かけた少女たちが、俺越しに視線を触れ合わせる。
「もしそうなのでしたら、華澄は反対です」
右耳に華澄の吐息がかかった。
小さい頃に会ったきり、つい先日再会したばかりの少女。けれどこの数日で仲良くなって、心も通じ合えたと思う。
「反対、って?」
「華澄は、悠人様をお慕いしております。この方となら将来を歩んでいける、と。ですから、悠人様と交際してほしくはありません」
……さっき、何も起きなければ俺は、この子と。
「駄目」
底冷えのする声が左側から聞こえた。
羽々音さんが、華澄を睨みつけている。
「御尾くんは、御尾くんだけは絶対駄目」
ずっと好きだった女の子。
好きで、でも手の届かなった女の子。
あの羽々音さんが、俺のことをそんな風に。
やっぱり、本当なのか。
凛々子さんの話、全部が全部じゃないにしろ、少なくとも羽々音さんの気持ちは。
……でも。
「羽々音さん」
「……うん」
羽々音さんの視線が俺に向けられる。すると、途端に瞳の中の色が変わっていく。熱っぽく、そして艶っぽく。
ぞくぞくする。
はぁ、と俺は息を吐いて。
「ごめん」
「……え?」
「俺は今、華澄に惹かれてる。この二か月の記憶もやっぱり思い出せない。だから、華澄の気持ちを裏切りたくないと思ってる」
「え……?」
目を見開いた羽々音さんは、地面へ降りると俺の正面へ回り込んできた。そのまま勢いよく俺の左手を掴んで、
「やだ!」
嫌々をするように首を振った。
「駄目、絶対駄目。そんなこと言われたら、私」
再び彼女の瞳が俺を貫く。くらり、と頭に霞がかかる。
周囲の音がシャットアウトされ、羽々音さんの声だけが大きく聞こえる。
「御尾くん、私ね、私」
「はい、そこまでですー」
はっと我に返る。
……なんだ、今の?
困惑していると、いつの間にか華澄に右手を握られていることに気づく。すると両手ともが塞がっていることになるわけで。
ええと。どうしてこうなった?
「華澄さん、でよろしいですかー?」
「はい」
凛々子さんの声に華澄が頷く。すると凛々子さんは困り顔を作って、
「実は私たち、衝動的に出てきたので宿を決めていないんです。よろしければ、お部屋をお貸しいただくことはできないでしょうか?」
「それは……」
華澄が羽々音さんに目をやる。
凛々子さんがにっこり笑って頷いた。
「はい。もう少し、お嬢様にもチャンスをいただけないかとー」
その声に、両手を包む少女たちの力が強くなった。
* * *
結局、華澄は凛々子さんの頼みを了承した。
とはいえ宿泊となれば家人の了解も必要なので、華澄は一足先に屋敷まで戻ることになった。すると、そこへ凛々子さんが同行を申し出た。
「お願いする立場の者が顔を出さないというのも不作法ですからー」
というわけで。
俺は羽々音さんと二人、境内へと残される。
別れ際、華澄から「悠人様、大丈夫ですよね?」と小さく囁かれた。それには微笑んで頷いたものの、実は少々、不安だったり。
何しろ、今の羽々音さんは平静じゃない。
「じゃあ、ゆっくり戻ろっか?」
しかし、華澄たちと別れてから数分、羽々音さんは何も言わなかった。俺の隣に座りなおすと、手を繋いだまま黙っていた。
「……そうだね、そうしようか」
二人で本殿から降りると、ゆっくり歩き出した。その間も羽々音さんは手を離してはくれない。離そうとすると不安そうな顔をするのだ。
「御尾くんは、華澄さんとキスしたの?」
「なっ」
石段にさしかかろうというタイミングで突然聞かれた。幸い、バランスを崩して転ぶようなことはなかったが。
「私は、したよ。悠奈ちゃんと、何回も」
「悠奈って、俺、なんだよね? 女の子になった」
尋ね返すと、「うん」という短い返事。
羽々音さんはゆっくり石段を下りながら、遠い空を見上げる。
「目はちょっとだけ横に長くて、でも怖くはなくて優しい感じ。髪の毛はふわふわで、動物の尻尾みたい。唇も綺麗な色で、触ると弾力があって――」
「……聞いてると、どこかの美少女にしか思えないけど」
「そう。可愛かったんだよ、とっても」
楽しそうな表情だった。
そういえば、羽々音さんがこんなに親しげに話してくれるのも初めてか。
彼女との二か月。
俺は、どうして忘れてしまったのだろうか。
「でも……悠奈ちゃんはもういないんだよね……」
羽々音さんの呟きに、俺は何も言えなかった。




