社の跡にて
十二月二十八日。
今日も午前中はお手伝いで潰れるか……と思っていたのだが、何故か皆から「今日はゆっくりしていなさい」と言われてしまった。
「お母様たちに気を遣われてしまったようですね」
「はは、まあ、俺としては助かるけど」
なので、華澄との大事な用事を少し切り上げることになった。
まだ十時にもなっていない段階から家を出て、華澄の案内でどこかへ向かう。歩いている方向からすると山の方みたいだが――。
「御尾家は古来、ある特別な役割を持った家だったんです」
昨日とは逆に、俺より少し前を歩く華澄が振り返らずに言う。
「代々その役割を子に、孫に伝えてきて……あるところでその役割は殆ど廃れてしまったのですが、今でも一部だけは一族の務めとして残っているんです」
「その役割って?」
尋ねたところで華澄が足を止めた。
彼女の視線を追うと、上へと続く長い石段があった。
「神職……神を奉り、お守りする役割、です」
* * *
華澄と並んだまま、一段ずつゆっくりと上った。
ざっと数えたところ石段は全部で約二百段と、結構な長さがあった。
しかも普段あまり使わない筋肉を使うらしく、上るうちにだんだんと腰に来る。
「華澄はこの石段、辛くない?」
「はい。華澄は慣れていますから」
言葉通り、むしろ俺より華澄の方が平然としていた。
俺の様子を気遣いながら静かに足を運ぶ姿には感心させられる。
……運動不足かな。
思いつつ、俺は何の気になしに背後を振り返ってみる。すると眼下に広がるのはこの土地の風景。言ってしまえば何の変哲もない田舎町だが、その景色に妙な郷愁と既視感を覚えた。
前にも俺は、この石段を上ったことがある?
『悠人ちゃん、早く』
『待ってよ、華澄』
そうだ。昔、何度もこの子と上った。あの頃は少し駆け上がるような調子で、今と同じように華澄の方が元気だった。
他の子が一緒のこともあったけど、皆、遊具も何もない場所へ苦労して上がるのを嫌がって、あまり付き合ってはくれなかった。
『悠人ちゃんはここに来るの、嫌じゃない?』
『楽しいよ。華澄と一緒だし』
はっきり思い出せたのは短い会話だけ。
でも、ただそれだけで華澄との距離がぐっと近く思えた。
* * *
石段を上りきると、そこには平らな空間が広がっていた。正面には石畳が伸びていて、その先に本殿らしきものがある。
しかし――。
「もう使われてない、のか」
木造の建物はあちこちがぼろぼろで、塗装も剥がれかけていた。賽銭箱のようなものも置かれておらず、入り口も閉じられている。
辺りを見回してみても、本殿以外の建物はない。地面が剥き出しになっている部分には多少の雑草も見え、手入れが行き届いていないことが窺えた。
「本殿以外の設備は既に撤去されています。だいぶ朽ちてしまい、維持する意味がない、ということで……」
ここはかつて神社だった場所の跡地なのだという。土地自体は今でも御尾家が所有しており、本殿の手入れも定期的に行っているが、既に神社としては扱われていない。
「それでもこうして本殿を残しているのは、感傷、のようなものでしょうか」
寂しそうに眼を細めながら、華澄がそう呟いた。
「今でも残った役割っていうのは、ここの手入れのこと?」
「はい。それから、もう一つ……」
言って、華澄はゆっくりと歩き始める。
石畳の上を進み、本殿の建物を迂回して裏へ回る。その先には木々が生え、森のようになっているが、構わずそこへ足を踏み入れていく。
「こちらです」
「あ、ああ」
慌ててその後を追うと、華澄の歩く先に獣道のような細長い空間があった。どうやら何度も人が往復しているものの、入り口だけは普通の森に偽装しているらしい。
目的地らしき場所まではほんの数分で到着した。
「この小さなお社のお世話が、今の華澄たちの役割です」
背丈の半分ほどしかない、小さな箱のようなもの。その周囲は木造の壁と屋根、ひさしで守られている。
華澄はその前にかがみこむと、箱にそっと手をかけた。
中にはびっしりと文字が書かれた紙の包み。更に華澄が包みを開けば、見たことのない石のようなものが姿を現した。
「それは……?」
「ご神体です。かつて、華澄たちの先祖が祭っていた……いえ、今でも御尾家が祭っている神様の」
神社がなくなってもご神体は残る。だから、今でもこうして神社のあった土地を残し、裏手の森にご神体を祭り続けている。
「今となってはもう、神の存在すら覚えている方は稀ですが。それでも、お年寄りの中には今でも、本殿を訪れてくれる方がいるんですよ」
「そっか」
微笑んで言う華澄に、俺は頷きを返すことしかできなかった。
全く知らなかった、触れてこなかった事柄だったから。
ただ、
「華澄は、この場所が好きなんだね」
「はい。大好きです」
きっぱりとした声。
それから彼女はご神体を元に戻し、箱にしっかりと蓋をして立ち上がった。
「変、でしょうか」
「え?」
「できる限りこの場所を守っていきたい。だから、これからもあの屋敷で暮らしたい。そう思うのは」
「変かどうかは、俺にはわからない。でも、俺は嫌いじゃないよ。」
不安げな顔で問う華澄に、俺はそう答えた。
正直、常識には自信がない。和食好きで動物好き、羽々音さんに一年半も片思いし続けていた俺も、割と変人だと思うし。
御尾家の役目だというのなら、俺にだって無関係ではない。
「……いや」
曖昧に誤魔化さず、はっきり言ってしまった方がいいか。
「俺は、華澄のそういうところ、好きだよ」
「……悠人様」
華澄が目を見開いて俺を見た。
彼女が一歩、前に踏み出し、俺を見上げる。
たった半歩の距離で見つめあう。
「華澄」
華奢な身体。僅かに揺らめく澄んだ瞳。
きっと、俺に秘密を打ち明けるだけでも不安だっただろうと思う。
『悠人ちゃんはここに来るの、嫌じゃない?』
この子を守ってあげたい。そう思った。
拒まれないかと迷いながら手を伸ばし、華澄を優しく引き寄せる。
抵抗はなかった。
唇へとゆっくり顔を近づけると、華澄がそっと目を閉じて――。
「っ」
ぴくん、と彼女の身体が震えた。
様子の変化を察して手を離すと、華澄はそれに気づいた様子もなく呟く。
「これは……」
「華澄」
「……申し訳ありません、悠人様。今すぐ、本殿の方へ戻らせてください」
やや緊迫した表情から、何かあったらしいと察する。彼女がどういう方法で、何を感じたのかまではわからないが。
「わかった。一緒に行こう」
華澄は俺の言葉に黙って頷くと、すぐに身を翻した。速足で森を抜け、表へ駆け出す彼女を走って追いかける。
すると、本殿の前に二つの人影。
近づくことで明確になったその顔は、思いもよらないものだった。
* * *
「羽々音さん……?」
ウェーブロングの髪に、深い色の瞳。黒を基調としたコートに身を包んでもなお、窺うことができる美しい肢体。
見間違うはずもない。石畳の上に佇む二人の女性のうち、一方は俺の元クラスメートである羽々音紗羅さんだった。もう一人は見覚えがないが、羽々音さんよりはある程度年上に見える。お姉さんか親戚だろうか。
「悠人様、お知り合いですか?」
「あ、うん」
でも、何で羽々音さんがこんな所に?
華澄と二人、困惑の表情で顔を見合わせていると、羽々音さんの視線が俺たちに突き刺さった。
見たこともないような目だった。
怒り、悲しみ、疑問……いくつもの感情が渦巻き、複雑な色を作り出している。しかも、瞳は泣きはらしたように赤い。
「御尾くん」
俺をじっと見つめたまま、羽々音さんの唇が「久しぶり」と動く。
状況がよく飲み込めないけど……。
ひとまず話をすることにして、俺は羽々音さんに向きなおった。
「うん、久しぶり。ここへは旅行か何か?」
「………」
羽々音さんの表情がさっと曇った。もともと顔色は良くなかったが、それでも取り繕おうとしていた雰囲気が完全に崩れる。
何か、まずいことを言ってしまっただろうか。
「どうして」
続いて彼女の口から漏れたのは短い問いかけだった。
「どうして!」
悲鳴と化した声が境内に響いた。
羽々音さんは一歩一歩、強く地面を踏みしめるように俺へ歩み寄ると、至近距離から鋭い視線を送ってくる。
「どうして、忘れちゃったの!? 私のことも、みんなのことも、全部!」
「羽々音、さん?」
羽々音さんが泣いている。
高校入学以来ずっと思い続け、先日――いや、先月の初めに告白して振られた相手。
『私は本当に、誰とも付き合うつもりがないの』
決して手に入らず、それどころか視線の届く範囲からも姿を消した高嶺の花。そんな彼女が、まるで子供のように泣き叫んでいる。
忘れた?
俺が、羽々音さんとの記憶を?
確かに、俺にはここ二か月近くの記憶がない。しかし、それはおそらく交通事故に遭ったことが切っ掛けで、羽々音さんとは関わりのない話のはずだ。
「悠奈ちゃん」
羽々音さんが俺の顔を見据えたまま、知らない誰かの名前を呼ぶ。
「答えてよ、悠奈ちゃん!」
細くしなやかな指が防寒着の首筋を掴んだ。
何もかもかなぐり捨てて叫ぶ羽々音さんに、俺は尋ねた。
「……ごめん、羽々音さん。『悠奈』って、誰の事?」
直後。
羽々音さんの顔は本当の絶望に染まり、慟哭が俺の耳を強く打ち付けた。




