帰郷
翌日。俺たちは午前中に出発した。数日分の荷物が入った鞄を持って、まずは電車で東京駅まで移動する。
「華澄の荷物はそれだけ?」
「はい。こちらへは一泊だけの予定でしたから」
「じゃあ、良かったらそれも持つよ」
「ありがとうございます、悠人様。では、お願いいたします」
男に持たれるのは嫌かとも思ったが、華澄は微笑んで俺に荷物を預けてくれた。
東京駅からは何本か電車を乗り継ぎ、延々と揺られる。そのうちに周囲の景色は少しずつ変わり、畑や田んぼ、古めかしい屋根が増えていく。
「あー、なんか覚えがあるな、この感じ」
「前に来たとき、悠人は殆ど寝てたけどね」
母さんの返答を聞いた華澄がくすりと笑った。
「ここですね」
道中は天気や通り過ぎた景色など、他愛ない話をして過ごした。後はまあ、それこそ仮眠を取ったりとか。
昼食を駅弁で済ませ、更に電車に揺られてようやく辿り着いたのは小さな駅。駅舎は無人ではないものの、あくまで必要最低限といった佇まい。
駅舎を出れば、絵に描いたような田舎町が視界に広がった。
がらんとした駅前ロータリー、ちょっと距離を離したところには小さな商店街、視線を上げれば割と近くに山の緑も見える。そして、ところどころに積もる雪。
見覚えは、やっぱりあるようなないような。
「この街に、母さんの実家があるのか」
「うん。ここから三十分くらいのところにね」
……なんですと?
「それは、歩いてってこと?」
「そうよ」
なんという。道のりは想像以上にハードだった。
「もしお辛いようでしたら、車を出しますが」
「いや、いいよ。せっかくだし歩こう」
母さんたちはそのつもりだったみたいだし。と、俺は気を取り直し、二人分の荷物を抱えた。
そこからは散発的に立つ家々や田畑を横目にしつつ、ひたすら歩く。
時折町の人ともすれ違うが、多くの人が華澄に声をかけてくる。田舎なので、皆けっこう知り合いだったりするらしい。中には母さんの顔を覚えている人もいた。
なるほどな、と感心していると「もしかして悠人くん?」などと言われたり。俺の名前まで覚えてるのか、凄いな。
歩くうち、風景はいよいよのどかになっていった。道もコンクリートではなく土の地面に変わり、気づけばだいぶ山の傍まで近づいている。
「あそこです」
さすがに疲れてきた頃、ようやく華澄が到着を告げた。
示された先には、聞いていた通り大きな日本家屋があった。周囲は低い塀に囲まれて、門をくぐるとちょっとした前庭がある。その先には引き戸の玄関があった。
前庭は直接、中庭にも繋がっているらしく、そちらには庭木や池も見える。ちょっと不用心な気もするが、そこは田舎。泥棒などそうそう入らないのだろう。
そういや表札は、と少し戻ってみれば、きちんと「御尾」と掲げられていた。
「何やってるの?」
「いや、母さんってお嬢様だったんだな、と」
「お嬢様って。ただ家が立派だってだけよ」
大したことじゃない、と母さんは肩をすくめる。俺からすると、この屋敷はかなり金持ち感があるのだが。
「我が家は屋敷こそ維持していますが、基本的には質素を旨としていますから。悠人様が思っているほど贅沢な暮らしではないと思いますよ」
「なるほど」
華澄がそう言うならそうなのだろう。
玄関まで移動した後、華澄が引き戸を開ける。「ただいま戻りました」と中へ声をかけると、程なくして中から人が現れる。どこか母さんに似た雰囲気をした中年の女性。
彼女は俺と母さんを見ると、にっこりと笑った。
「お帰りなさい、姉さん。それからいらっしゃい、悠人君」
「……ん」
やっぱり、この人が華澄のお母さんか。
曖昧な返事をして微笑む母さんの横で、俺はぺこりと頭を下げた。
「私たちはどこに泊まればいい?」
「離れを用意してあるわ。そっちの方が過ごしやすいでしょう」
「私の部屋は?」
「そっちも使えるようにはなってる」
「ありがとう」
短い会話で必要な情報は伝え終わったらしい。母さんは俺を促してつつ玄関から外へ出た。何やら華澄も一緒に付いてくる。
「離れって?」
「中庭を挟んだ先にある建物です。あちらは比較的、現代的な造りになっています。華澄の部屋もそちらにあるんですよ」
「大掛かりな改装はできるだけ離れで、って方針なのよ。だから悠人とか、華澄ちゃんなんかはそっちの方が過ごしやすいでしょ」
説明を聞きつつ中庭を歩いていくと、庭木の向こうに小さな建物が見えた。まあ、小さいと言っても、ちょっとした一件家くらいはあるのだが。
「それじゃあ、華澄ちゃん。悠人を案内してあげてくれる?」
「はい、伯母様」
「って、母さんは?」
「せっかくだし、私は自分の部屋を使うわ」
母さんの部屋は屋敷の側にあるらしい。
荷物を持って来た道を戻っていく母さんを華澄と二人で見送った。
……ん? 二人?
「あのさ、華澄。この離れに住んでるのって」
「今は華澄だけですね」
ってことは、華澄と二人きり?
まさか母さんはこれを狙ったのかと振り返るも、彼女の姿は既に無かった。
「では、ご案内いたしますね」
「あ、うん」
離れの内装は、和風ではあるものの割と新しい感じがあった。これが改装の成果なのだろう。
歩きながら和室と洋室どちらがいいか、と聞かれたので、和室と答える。
「悠人様は洋室の方がお好みかと思いました」
「和風のものって結構好きなんだよ。母さんの趣味と……あとは、もしかしたらこの家のイメージがどこかに残ってたのかも」
そう言うと、華澄がかすかに微笑んだ。
「でしたら、このお部屋をどうぞ」
両手ですっと障子を開けて示されたのは、畳敷きの部屋。ちょっとした旅館の一室くらいはあるだろうか。室内には箪笥や折り畳み式のテーブル、エアコンなどが用意されている。数日過ごすくらいなら十分すぎる設備だ。
「華澄の部屋は隣ですので、もし何かありましたらお申しつけください」
「わかった。ありがとう、華澄」
笑顔を返して頷くと、華澄は入ってきたのと別の障子から隣の部屋に消えていく。どうやら彼女の部屋とはそこで繋がっているらしい。
……うん、嵌められたな、これ。俺に不利益が全くないあたり、文句の言いようもないが。
程なくして、華澄が着替えを始めたのだろう。しゅるしゅると衣擦れの音が聞こえてくるのを、俺はなるべく聞かないよう、意識しないように努めたのだった。
* * *
移動に時間を取られたせいで、のんびりしているとすぐ夕方になった。
風呂をいただいた後、屋敷の広間で夕食をいただく。服は華澄が浴衣を用意してくれたので、ありがたくそれを着させて貰っている。
御尾家――母さんの実家は華澄とその両親、それから祖母の四人暮らしらしい。俺にとっても祖父にあたる人物は既に亡くなっているとのこと。
皆、碌に面識もない俺を暖かく迎え入れてくれた。
「ほら、悠人君。君も飲みなさい」
「いや、俺、まだ未成年なので」
「そんな事、家の中で気にせずともよろしい。私の若い頃は皆、普通に飲んでおった」
華澄のお父さん――眼鏡をかけた細い好中年からビールを差し出され、やんわりと辞退すれば、最年長である華澄の祖母が平然と法律違反を薦めてくる。いやまあ、俺も甘酒くらいは飲んだことあるけど。
母親勢に視線で助けを求めてみるも、彼女たちは傍観の構えだった。
「普段、うちは女ばかりですから。男性と話せるのが嬉しいんだと思いますよ」
「いいんじゃない? 年末年始だし、羽目を外しすぎなければ」
駄目だ、この人たち。っていうか華澄ですら止めに入らず微笑んでるし。
とまあ、そんな風にして、帰郷初日の夜は更けていった。




