真相
「この際、あの時のこと全部話してくれない?」
「別にそんな義理はないと思うけど……まあ、いいわ。私が知ってることで良ければ話してあげる」
息を吐いた黒猫は、とことこと食堂の床を歩くと俺の足元で止まった。
「……何?」
「いいからさっさと抱き上げなさいよ。鈍いわね」
首を傾げて尋ねたら、苛立ち混じりの声が返ってきた。横暴だ。
「はいはい。……って、もしかして、私を気に入ってるって言ったのってこれが理由だったりする?」
「そうだけど?」
「うわあ」
抱き上げた真夜を胸元で抱えつつ、思わず変な声を出してしまった。
「ちょうど柔らかくて気持ちいいのよ。悪い?」
「いや、悪くはないけど。真夜って女だよね?」
「それが何か?」
いや、女で間違ってないならいいんです。
胸のあたりで丸くなるこいつが実は男、ってなると嫌だなあと思っただけで。こっちとしては別に構わない。
「で、事故の話ね。別に大した話でもないけど……」
そう言いつつ、真夜は淡々と話し始めた。
――真夜と真昼。純粋な悪魔と天使である彼女たちは昔からの仇敵で、これまで事あるごとにぶつかりあい、殺しあってきた。
しかし、現在まで両者が健在であることが示す通り、二人の力は拮抗している。そのため最近は小競り合いや、他者を利用しての削りあいに終始していた。
「お嬢ちゃんに呪いをかけたのもその一環。真昼への攻撃には繋がらない、天使の末裔たちへの嫌がらせだけど、うまく欲望を解放してくれれば取り込める可能性もあったし」
けれど、紗羅は呪いに抗い続けた。
とはいえ最初から過度の期待はしていない。適当な気持ちで見守っていたが、そんなある日、真昼の介入を察知した。
かなり遠回しな方法で交通事故を誘導し、紗羅を殺そうと企んでいることを知ったのだ。
「そうなれば話は別だった。だって、わざわざあいつが殺そうとするって事は、お嬢ちゃんに価値があるってことだもの」
だから真夜は事故に介入した。
気づいたタイミングが遅かったため、事故そのものを防ぐことはできなかったが、操りやすそうな一般人を紗羅の傍につけ、庇わせることに成功したのだ。
「その操りやすそうな一般人って、私?」
「他にいないでしょ」
ですよねー。
「で、うまいこと貴女はお嬢ちゃんの身代わりになってくれた」
俺が生き残ったのは偶然だったが、おかげで紗羅の呪いまで発動することになった。
『どっちでもよかった』けど、『結果的には上々』だった。
「ま、おかげでその後、貴女たちに殺されかけたわけだけど。欲望のために悪魔すら殺そうとする度胸は嫌いじゃないわ」
「……あなたに褒められるのはちょっと複雑」
紗羅の小さな呟きには俺も同感だった。
「羽々音深香の件もあいつの仕込みだったみたいよ。事故で殺すのに失敗した直後から、次の方法として用意していた形跡があった」
もともと深香さんは羽々音家の直系に近く、紗羅に反感を抱いていた。その彼女にそれとなく『紗羅に関する悪い夢』を見せたり、日常生活の中でさりげないサジェスチョンを繰り返すことで凶行へと誘導した。
「でも、それもなんとか防いだ……んだよね?」
「まあ、ね。それでも収支としてはあいつの方に分があるけど」
「どういうこと?」
「パワーバランスが崩れてるってこと。貴女たちと戦ったことと、以降の介入で魔力を使ったから、今あいつと正面からぶつかったら分が悪い」
勝てない、と言わないのは強がりだろうか? いや、こいつのことだから、何か策はあるのかもしれないが。
だから、真夜は俺たちと戦いたくないのか。
ここで更に力を消耗してしまえば、真昼とのパワーバランスは完全に崩れる。そうなれば今回こそ負けてしまうかもしれない。
「じゃあ、天使の方が悪者ってこと?」
世羅ちゃんが食器から手を離し、ぎゅっと右の手首を握りしめる。
――紗羅を殺そうとしたのは真昼。深香さんに余計な誘導をかけたのも真昼だとするならば、世羅ちゃんの言う通り、俺たちの描いていたイメージは逆転する。
俺たちは真昼に狙われ、真夜に守られていたことになる。
「さあ? 善悪なんて誰の主観で見るかによって変わるでしょ。あいつに聞けばあいつの言い分があるかもしれないし」
「あの方は私たちとは異なる立場にあります。あるいは、人命より優先すべき事柄を持っていらっしゃるのかもしれません」
真夜が嘯き、杏子さんが続けた。
優先事項。
例えば、真夜の消滅とか。
「……なんか、癪だな」
結局、全部天使だの悪魔だの、人外たちのせいなのか。
紗羅が呪いをかけられたのも、あの交通事故が起きたのも、俺が女になったのも、深香さんが紗羅を殺そうとしたのも。
俺は腕の中の黒猫へと視線を落とすと、呟く。
「もう、そういうのは他所でやるか、いっそ止めてくれない?」
「そう言われてもね。今更あいつとの関係を変えるなんて不可能よ」
それは、そうなのだろうが。
というより、むしろきっと、こいつらは俺たちの頼みを聞く気など碌にないのだ。力関係がはっきりしている以上は自分たちの都合でしか動かない。
真夜と真昼、どっちかがいなくなってくれれば変わるだろうか。
いや、それが難しいから悩んでるんだけど。
「……ん?」
「どうしたの、悠奈ちゃん?」
「あ、いや。えっと……」
紗羅に尋ねられた俺は思わず口ごもった。
……これ、言ったらたぶん怒られるよな。
「正直、私は今、真夜も真昼さんも両方鬱陶しいと思ってて」
「………」
俺の前置きには誰も答えなかった。杏子さんと凛々子さんが苦笑を浮かべ、紗羅と世羅ちゃんはかすかに頷いてみせる。
強烈な反発がなかったことにほっとしつつ、俺は言葉を続けた。
「いっそのこと、条件付きで真夜に協力する方がマシじゃないかな、って」
「条件、って?」
「うん。真昼さんを懲らしめる代わりに、この家の人間に付き纏わない……とか、そういうの」
俺たちだけでは真夜に勝てるか怪しい。その真夜は現在、単独では真昼に劣る。
真夜と真昼の両方を疎ましいと思うのであれば、付くべきは真夜の側だ。協力する時点で条件を取り付けられるだろうし、片方をどうにかした後、もう片方と争いになる可能性を思えば、弱い方に残って欲しい。
「……ですが、それだと悠奈さんは元に戻れませんよー?」
「あ、じゃあそれも条件に付けましょう。真昼さんをなんとかした上で真夜に私を戻してもらう」
できるよね? と尋ねれば、黒猫は渋い表情で「まあ、できるけど」と答えた。
「貴女、随分言いたい放題言ってない?」
「別にいいでしょ。真夜にそのまま吞めって言ってるわけじゃないし」
そう言うと彼女は黙ってしまう。そこへ杏子さんが口を開いた。
「……悪手だと思います。上位の者たち二人を相手に、そう都合よく立ち回れるとは思えません」
「ですよね……」
頷く俺に、凛々子さんが。
「でも、私は好きですよー、悠奈さんの発想」
「凛々子?」
「いえ、私としてもそろそろ我慢の限界でして。できるものならいっぺんに諸々片づけてしまいたいな、と」
言って微笑んでくれる。
「私も。真昼、さんを殺すんじゃなくて、懲らしめるんなら賛成」
「世羅まで、そんなことを言って」
更には世羅ちゃんまでが声を上げると、杏子さんは困り顔で硬直してしまう。
「いいじゃありませんかー。ここは『私たちの娘』に任せてみるというのも」
「え……っ」
穏やかな声に反応し、顔を上げたのは紗羅。
「お母さま、凛々子さん。今の話って……」
「凛々子、あなたは何のつもりで……?」
「まあまあ」
……えっと。
ものすごいタイミングで、ものすごいぶっちゃけが入り、紗羅と杏子さんがそれぞれ別の意味で猛烈な反応を見せ、にもかかわらず凛々子さんはいつも通りで。
「え。あの、何の話?」
「あ」
「ええと」
「その」
話について行けない世羅ちゃんの声に三人が我に返るも、時すでに遅し。
「これ、どうするんだろ?」
「知らないわよ。多分、だいたい貴女のせいなんじゃないの?」
「いや、その通りなんだけど……」
食事の後片付けと事態の収拾、お互いがお互いの話したいことを話し終えるのには、それから約三時間を要した。




