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説得

 火曜日も凛々子さん、そして紗羅によるレッスンは続けられた。


 凛々子さんからの課題は「小走りに移動する」ことだった。歩く行為の延長と考えれば難しい課題ではないはずなのたが、これにもやっぱり俺は苦戦した。具体的に指摘された内容は昨日とほぼ同じ。ちょっと気を抜くと男の時の癖が出るらしい。

 紗羅からは「単語に『お』を付けて話す」練習をさせられた。お弁当、お箸、お茶碗……などなど、こんなの必要あるのかと思ってしまうが「ちょっと大げさなくらいな方がわかりやすいでしょ?」とのこと。まあ、確かに、これだけでだいぶ言葉が柔らかくなる気はする。


 ……で、そんなこんなで忙しかったせいで、世羅ちゃんから聞いた話はできなかった。レッスンの最中に紗羅と二人きりになるチャンスはあったのだが、まとまった時間は取れそうになかったのだ。

 だから俺は、代わりに紗羅へ「夕食後に二人だけで話がしたい」とだけ伝えた。


「いいけど、どうして?」

「今は言えないけど、大切な話があるんだ」

「……うん、わかった。夕食の後ね」


 そこから約束の時間まではあっという間だった。夕食後、部屋で待っていると、しばらくして紗羅がやってくる。入浴は既に済ませているのでお互いパジャマ姿だ。


「それで……話って?」

「ああ、とりあえず座ってくれると助かる」


 そう言って紗羅に椅子を薦め、俺はまたベッドに座る。……家具はいらないって言ったけど、椅子はもう一つ買った方がいいかもな。毎回ベッドに座るのもどうかと思う。

 それはともかく。

 軽く息を吸ってタイミングを計り、口を開いた。


「紗羅の呪いの件なんだけど」

「……うん」


 紗羅が頷く。俺の真剣さを察してくれたのか、彼女の表情が強張るのがわかった。

 よし。これならきちんと話ができそうかな。


「あの呪いってさ、つまり……」

「ちょ、ちょっと待って」

「え?」


 と思ったら、紗羅に制止された。顔を赤くして俺を上目遣いに見てくる。

 ……可愛い。ってそうじゃなくて。


「あ、あのね。その話は面と向かってされると恥ずかしいというか……」


 もごもごと言われた内容を俺は胸中で反芻し、しばらくして察する。どうやら紗羅は『呪いが発動した原因』について問いただされると思ったらしい。


「あ、いや。大丈夫。その話じゃない、っていうか。ちょっと違う話だから」

「そう、なの?」

「うん」


 その話もしたいと言えばしたいけど、この状況で話しても仕方ない。

 ……恥ずかしいし、何より今の俺たちは女同士なわけで。もし紗羅が本当に俺のことを好きになってくれているのだとしても、今のままじゃ付き合えない。


「紗羅の呪いを解きたい、って話なんだ」

「……それは」


 空気が緊張した。紗羅も羽々音家の一員である以上、その手の話にはある程度詳しいのだろう。だからこそ重要性もわかっている。おそらく、当の俺とは比べものにならないくらい。

 俺は紗羅に、世羅ちゃんから聞いた話をした。


「俺は、戻れるなら元の身体に戻りたい。協力してくれないかな」

「……危険すぎるよ。世羅は楽観的に考えてると思う」

「危険なのはわかってる。でも」

「どう危険なのか、悠奈ちゃんは全然わかってないよ」


 厳しい表情で告げて、紗羅はこの話の危険性について説明してくれた。

 まず悪魔という存在自体が一筋縄ではいかない。なにしろ相手は他者を呪うような力を持っていて、実際に行使することを躊躇わないのだ。個体により力の差はあるが、たとえ弱い悪魔でも常人が敵う相手ではない。


「けど、別に戦いにいくわけじゃないし」

「お願いや交渉に行くなら猶更だよ。私たちは基本的に彼らより格下なんだから。何の考えもなしに会おうとしたりしちゃ駄目なの」


 例えば、もし俺たちが犬猫から「タダ働きしてくれ」と言われて素直に引き受けるか、という話だ。

 何のメリットもないなら断るのが普通、もし相手に逆上されても暴力で何とでもなってしまう。それでも人間なら義理や情けで協力するかもしれないが、悪魔にそんな常識は通用しない。


「嫌がらせのためだけに、もっと嫌な目に遭わされるかもしれない。それとも、交渉をしているつもりが言いくるめられて、一方的に不利な条件を飲まされるかもしれない」

「そんな悪徳商法みたいな」

「……取られるのがお金で済めば御の字だよ」


 冗談にすらならなかった。


「向こうから要求された対価が支払えないなら、こっちから相手を納得させる材料を出さないといけない。それも無理なら力づくも考えないと」


 相手を殺してしまえば、基本的に呪いは解けるから。


「じゃあ、どれくらい備えれば悪魔と交渉できるんだ?」

「絶対に一人では会わないこと。あらゆる誘導や錯覚に気を付けること。あらかじめ考えられる会話の流れを予想しておくこと。いざとなったら逃げられるようにしておくこと。いざとなったら戦えるようにしておくこと……くらいが最低条件かな」


 それで最低条件、って。

 一人で会わないはいいとしても、他の条件はどれか一つだって満たすのは困難に思える。


「つまり諦めろってことか」

「そうだよ。お母さまが言った通り」


 紗羅の口調は穏やかだった。まるで俺を諭すような雰囲気すらあって、だからこそ俺としては彼女の言葉を信じざるを得なかった。

 しかし、一方で納得もできなかった。当の紗羅がそんな台詞を言うことが。


「紗羅はそれでいいのか? 呪いが解けないなら、一生誰とも恋ができないままで」

「……仕方ないよ。方法がないんだから」


 返ってきたのは弱々しい声だった。いつか聞いたのと同じ答え。顔は俯き、身体は小刻みに震えているように見える。

 ……やっぱり、紗羅だって呪いを解きたいんじゃないか。


「仕方ない、で諦めていいような事じゃないだろ。誰も愛せないまま一人で生きていくなんて悲しすぎる」


 俺は、紗羅に恋をして幸せだったから。

 紗羅の顔が見られるだけでいい一日だったと思えたし、昨日世羅ちゃんから「俺たちは両想いからもしれない」と聞いた時は本当に舞い上がってしまった。

 だから、実際に好きな人と通じ合えたらもっと幸せなはずだ。

 紗羅が、そんな幸せを得られないまま生きていくなんて許せない。


「……じゃあ、どうすればいいの?」

「え?」


 小さく呟いた紗羅がテーブルに腕を乗せる。と思ったら、丈夫な木製のテーブルがみしり、と音を立てて軋んだ。まるで過剰な重さに耐えきれなくなったみたいに。


「いくら今の状況に不満があったって、どうしようもないでしょう!? 何かいい方法があるのなら言ってみてよ!」


 嗚咽混じりの悲鳴が室内に響き渡った。

普段の紗羅らしくない、だからこそ本音だとわかるその台詞は俺の胸を打った。

そんな彼女に俺が言えるのは――。


「わからない。方法があるかどうかなんて、俺には」


 ぴき、とどこかの部品が砕ける音が聞こえる。けれど、そんなのに構っている暇はなかった。

 俺は思いつくまま、心の命じるままに言葉を紡いだ。


「でも、やってみなくちゃわからない。何を要求されるかわからない、で立ち止まっていたら絶対に先へ進めない。それに……そうだ、対価が必要だっていうなら何かあるだろ。寿命とか、死後の魂とか――は駄目か? とにかく、とんでもなく大事だけど、恋に比べたらまだマシなもの」


 だから、だから。


「諦めないでほしい。俺にできることなら何でもするから。俺のためじゃなくて、紗羅のために呪いを解いてほしい」


 俺はテーブルに突かれたままの紗羅の手に、自分の手を重ねた。

 紗羅からの返事は、すぐにはなかった。

 一分以上、沈黙が続いた後、ようやく紡がれた言葉は――。


「悠奈ちゃんって、馬鹿だったんだね」


 かすかに、けれど確かに笑みを含んだ呟きだった。

 それが嬉しくて――。


「……そんなの、もうとっくに知られてると思ってたけど」


 俺もまた口元に苦笑を浮かべながら紗羅に答えた。

15/12/19 一部文言を追記・修正しました。

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