第二の試練
悪魔の末裔といっても、亜実ちゃんの家は羽々音家のように血統を維持し、力と知識を伝えているわけではないらしい。あくまで先祖に悪魔の血を引く者がいたというだけ。
「ですので、訓練もせず異能が発現するのは稀な現象でしょう。亜実さん自身も家族も単なる偶然、と考えていておかしくありません」
姿を変えられるわけでもなく、魔法も使えない。
ただ制御できない予知能力を抱えた一般人。
「百瀬さんに喫煙を目撃された生徒たちは、亜実さんの予知を奇妙な言動、として周囲に印象付けたようです。それもあって、彼女は孤立するようになった」
公園でそのことを俺たちに話さなかったのは……当然か。話して信じてもらえる保証もないし、それで不信感を持たれたら元も子もない。
亜実ちゃんは俺や紗羅、世羅ちゃんの詳しい素性を知らないわけだし。
「ありがとうございます、杏子さん。これでだいたい知りたいことはわかったと思います」
紗羅と二人で杏子さんに頭を下げた。すると杏子さんは複雑そうな表情で首を振った。
「……私は、肝心なところであなたたちの力になれていませんから」
「そんなことを言わないでください、お母さま」
そんな杏子さんに紗羅が微笑みを浮かべた。
「そう言っていただけるだけで私は十分だから。……今は、悠奈ちゃんの試練と、亜実ちゃんのことを考えましょう」
* * *
決行は翌日の放課後となった。
リーダー格の少女について杏子さんから住所を聞き出した俺たちは、屋敷で私服に着替えてから張り込みに出た。
まあ、張り込みと言っても自宅付近の、比較的さりげない位置でただ待つだけの作業だ。俺たちに探偵のスキルはないし、いつ来るかわからない相手を待つのに結界を張るのは消耗が激しい。
高校と中学の終業時間の差、あとは俺たちが一度帰宅した時間もあって、遊びから彼女が戻ってくるまでにあまり時間はかからなかった。
あとは簡単だ。
道を聞く振りをして声をかけたら、紗羅が簡単な暗示をかけて彼女を誘導。近くのカラオケボックスの一室に移動した。
……うん。異能の力、特にサキュバスの暗示は絶対悪用しちゃ駄目だと思う。
「あなたと私たちは親しい友達。だから、何を言われても、何を見せられても驚かない」
彼女の目をじっと見つめた紗羅があらためて暗示をかけなおし、服を脱いでサキュバスに変身。すぐさま室内に結界を張った。
ちなみに当然、変身の際はカメラの死角を取っている。また、リーダー格の少女は暗示により、紗羅の変身を当然のことと受け止めていた。
そして尋問開始。
亜実ちゃんをいじめるに至った経緯、現在の心境、亜実ちゃんに告げ口をされないようにどういった対策を取っているのか。
諸々を聞き出した結果、既に調査したり、聞いたりした内容と一致した。
「亜実ちゃんが万引きした画像を持っているのはあなただけ?」
「はい。他の子に持たせておくと抜け駆けされる可能性があるので」
「じゃあ、スマートフォンを貸してくれる?」
端末を渡してもらい、該当の画像を見つけた。画像は俺の端末に移動させたうえで、少女の端末から削除してしまう。
……移動させた画像は、あとで亜実ちゃんに渡して好きにしてもらおう。
画像にバックアップがないことも確認し、彼女を解放した。もちろん俺たちと会ったことやカラオケの室内であったことは忘れてもらって。
ミッションコンプリート……かな。
カラオケを出たあと、俺たちは電話で亜実ちゃんを公園に呼び出した。
少し警戒した様子の彼女に微笑むと、端末に入った画像を見せる。
「これ……どうして!?」
「貰ってきたんだ。方法は内緒だけど」
「貰った、って……」
「もう、あの子たちの手元には画像はないから。あとはこれを消したらおしまいだよ」
言って、紗羅は「亜実ちゃんはどうしたい?」と問いかける。
「こんな……どうしてこんな」
亜実ちゃんは呆然とした表情で小さく呟いた。意味が分からない、というのも無理はないと思う。
ただ、どうしてと言われても実は困るのだ。大した理由などないのだから。
「亜実ちゃんは世羅ちゃんの友達で、私たちにとっても友達だから」
「……それだけで?」
「十分じゃないかな。それに、私たちがしたのはこれだけだよ」
ただ画像を奪ってきただけ。亜実ちゃんの罪を消したわけでもないし、あの子たちをこらしめたわけでもない。
具体的に何が変わったかと言えば、正直言って殆ど何も変わっていないんじゃないだろうか。
よくある台詞になってしまうけど――。
「後は亜実ちゃん次第だよ」
「……え?」
問い返してくる彼女の肩に、紗羅がそっと手を置く。
「もう、あの子たちの脅しを断っても、先生たちに告げ口される心配はないから。これ以上万引きを続けたくないなら、そうできるの」
言葉の意味を理解した亜実ちゃんが目を見開いた。
「……でも、私がやってしまったことは」
「うん、それは変わらない。私たちにもどうすればいいかはわからないけど……あるいバイトでもして、自分のお金で償うことはできるんじゃないかな」
今更「私は昔万引きをしました」と告白しに行っても、お店の人も困ってしまうかもしれないけど。たくさんそのお店で買い物をするとかでも罪滅ぼしにはなるんじゃないだろうか。
亜実ちゃんは黙ったまましばらく考えた後、俺たちに言った。
「ありがとうございます。悠奈先輩、紗羅先輩」
「画像は、どうする?」
「消してください」
きっぱりとした言葉に頷いて、見えるように端末を操作する。
消去しました、という無味乾燥な表示に何故かほっとした。
亜実ちゃんは立ち上がり、俺たちの方を振り返って深く頭を下げた。
「私、必ず清華に行きます。待っていてくれますか?」
「もちろん」
二人で微笑み返すと、彼女も笑顔を見せてくれた。
「あ……このこと、世羅には」
「言ってないよ。だから、亜実ちゃんの口から伝えてあげてほしい」
「……本当に。ありがとうございます、何から何まで」
必ず伝えます、と約束して、亜実ちゃんは公園を去っていった。
「良かったね、悠奈ちゃん」
「うん」
亜実ちゃんは「必ず清華に行く」と言った。
思えば、亜実ちゃんが動けずにいた理由にはそのこともあったのかもしれない。もし下手な行動を取って、画像が学校側に流れてしまえば進学に関わる可能性もある。
そうなったら、世羅ちゃんと同じ学校に通えなくなる。約束を果たせなくなってしまうのが怖かった、なんて。考えすぎだろうか。
まあ、どちらでも構わない。
……その後、亜実ちゃんはその日のうちに世羅ちゃんに電話をしたらしい。おかげで俺と紗羅は儀式の直前に世羅ちゃんからの殴り込みを受けてしまった。
どうして教えてくれなかったのか、と涙目で責められた挙げ句に抱き着かれ、宥めるのに苦労した。幸い、世羅ちゃんも俺たちの意図はわかってくれていたので、本気で怒られることもなかったし。
それから「お姉ちゃんも一緒に戻ろう」と言う世羅ちゃんを、紗羅と一緒に曖昧な言葉で誤魔化して、結果なんとなく雰囲気で感づかれつつも儀式をこなして。
眠りについた俺は――夢を見なかった。
「……あれ?」
まさか、まだ第二の試練が達成されていない?
亜実ちゃんが今後万引きする可能性は消したと思うのだが――未来の行動を変えるのでは駄目だったのか。あるいはこれから何らかの要因で、亜実ちゃんが万引きを続けることになるのか。
悩みつつ、朝の支度を終えて食堂へ向かうと、他の家人たちも似たような浮かない顔をしていた。
そして俺は、直後に食堂へ満ちた光によって、夢を見なかった理由を知ることになった。
「御尾悠人。あなたは第二の試練を果たしました。よって、最後の試練を与えます」
純粋な天使。その人が直接、俺たちの前に姿を見せていた。




