羽々音家の食卓
「世羅ちゃん、って呼んでも大丈夫?」
「はい。悠奈さんは私にとっても親戚、ってことになりますし」
立ち話もなんなので、俺たちは場所を変えることにした。
移動先は世羅ちゃんの希望で俺の部屋。世羅ちゃんには椅子を薦め、俺はベッドに座った。
「世羅ちゃんも事情は知ってるんだ」
「おおまかに、ですけど。お母さまが話してくれたので」
「なるほど」
まあ、でないと口裏合わせも大変だもんな。
「なので、どうぞよろしくお願いします。悠奈さん」
「うん、こちらこそよろしく」
そうやって二人で挨拶を交わしたところで、世羅ちゃんは俺をじっと見つめてきた。そう真っすぐな視線を向けられると、どうしていいかわからないんだが。
「どうかした?」
「いえ……この人が姉さまが好きになった人なんだ、って思って」
「なっ……」
いきなり何を言い出すのか、この子は。
紗羅が俺の事を好きって。
「俺、紗羅には振られてるんだけど」
「そうじゃなくて。いえ、それはそうなんですけど」
何の話なのかさっぱり分からない。どちらかが何か勘違いしているっぽいが。
「悠奈さん、もしかして聞いてませんか?」
「何を?」
「……なるほど」
頷いた世羅ちゃんは、何やらにっこりと笑った。この子、笑うと杏子さんによく似てるな。
「そういうことなら、私から話さない方がいいのかな。また今度、お話ししますね」
「あ、うん」
とりあえず納得してくれたらしく、その後、着替えに戻るという世羅ちゃんを部屋の前まで見送った。彼女や紗羅の部屋もこの近くにあるらしい。
「それじゃあ、悠奈さん。また後で」
「あ、うん」
後で? とよくわからないまま答えた俺だったが、その疑問はすぐに解けた。
その日の夕食時、俺は凛々子さんに呼ばれ、羽々音家の食堂を訪れることになったからだ。
食堂はちょっとしたパーティができそうな広い部屋で、その中央に三人が並んで座れるサイズのテーブルが置かれていた。テーブルの一方に紗羅と世羅ちゃんが、その向こうに杏子さんが座っている。
「悠奈ちゃん、こっちにどうぞ」
「あ、うん」
入り口に立って内部を見回していると紗羅に手招きされた。反射的に駆け寄ろうとして、背後から「こほん」と咳払いが聞こえたので、速度を落として歩み寄る。
「悠奈さんは私の隣ですよ」
「うん、ありがとう」
世羅ちゃんにお礼を言いつつ、彼女の隣に座った。杏子さんがにこりと笑いかけてくるので、ぺこりと頭を下げる。
「これで全員ですね」
杏子さんの声と共に凛々子さんが退室し、すぐに料理を運んできた。
平皿に盛られたライスとスープ、サラダに主菜のチキンソテー。構成としては昨日の夕食とほぼ同じだが、料理の味付けは違うようだ。
しかしまた美味しそうな……。俺は立ち込める匂いにごくりと喉を鳴らす。
「それでは、いただきましょう」
杏子さんが告げると、紗羅と世羅ちゃんが揃って「いただきます」を口にした。なので俺も慌ててそれに倣った。
幸い、羽々音家の面々はテーブルマナーにはうるさくないようだった。スプーンやフォークが複数用意されていたりはしないし、紗羅や世羅ちゃんはある程度思うまま、好きな順番で料理を口に運んでいる。杏子さんは上品に一つずつ料理を片づけるスタイルっぽいが。
まあ、料理は割と本格的だけど、フルコースみたいに出てくるわけじゃないしな。おかげで安心して食事ができた。
ちなみに凛々子さんは一緒には食べないらしい。「使用人ですから」と、本人が気にした様子もなく言っていた。
「あの、ところで俺が夕食に呼ばれたのってどうしてなんですか?」
「え?」
ある程度食事が進んだところで杏子さんに尋ねると、不思議そうな顔が返ってきた。……ひょっとして食事中は話しかけない方が良かったとか?
と思ったら、すぐににっこりと笑顔が返ってくる。
「ああ、いえ。特に理由はありません。ただ、悠奈さんも我が家の一員になるわけですから、体調が回復したのならご一緒にと」
「あ、なるほど」
単に配慮してくれただけだったのか。俺は「ありがとうございます」と軽く頭を下げた。
「いいえ。……あ、でも。せっかくですから話の続きをしておきましょうか」
「はい」
それは助かる。俺が頷くと、杏子さんが話を始めた。
まずは俺の今後について。紗羅から聞いた通り、俺は羽々音家の親戚の子ということになるらしい。両親が亡くなり身寄りが無かったところを杏子さんが引き取った、という設定だ。
この設定を違和感なく周囲に認識させるため、これからしばらくは今日のように女の子のレッスンを受ける。自然な動作や仕草がある程度身に着いたらレッスンは終わりで、戸籍等の手続き完了を待って清華学園に転校する。
「転校は紗羅と同時に?」
「紗羅の転校は一週間後ですから、悠奈さんよりは一足早い転校になりますね。もちろん、手続きの進捗次第にはなりますが」
また、諸々の都合から住居は分けず、このまま羽々音家で暮らすことになる。部屋は今使っているところをそのまま使用していいらしい。
「家具や必要なものは揃えさせますから、凛々子に言ってくださいね」
「ありがとうございます。でも、そんなに必要なものはないと思いますけど」
服なんかは要るだろうが、家具は既に一通り揃ってるし新たに買う必要を感じない。と思ったら、凛々子さんや世羅ちゃんから反対された。
「駄目ですよー。あのお部屋の家具は年頃の女の子にはちょっと渋すぎます」
「私も、せっかくだし一から揃えた方がいいと思います」
別に渋くていいだろうに、俺、元は男だし……と思ったが、杏子さんも「お金の事は気にしないで下さいね」と言い、紗羅までうんうんと頷くものだから、了承せざるを得なかった。
「それから、後は紗羅の呪いについてですね」
俺がこうなった原因でもあるし、もう少し詳しく話しておいた方がいいだろう、と杏子さんは言う。
その頃には食事は終わっていたので、凛々子さんが淹れてくれた紅茶を飲みながらの話を聞いた。
「この子の呪いは、ある一人の『悪魔』がかけたものです」
「悪魔って、あの羽根と尻尾が生えてる?」
「ええ、その通りです」
問い返すとあっさり頷かれた。悪魔とはまた荒唐無稽な単語だが、呪いの話を信じた以上は今更か。
「悪魔なんて、単なる架空の存在だと思ってました」
「世間一般の認識ではそうですね。……羽々音は古い家系で、そういった超常の者が実在することも伝えられているのですが」
だからこそこういうトラブルに見舞われることもある、のだという。
……金持ってる家の方が詐欺や泥棒に遭いやすい、みたいなことかな。
「紗羅が呪いにかけられたのは、この子がまだ幼い頃でした。呪いの内容は」
そこで杏子さんは言葉を切り紗羅を見た。母親からの視線を感じ取った紗羅は無言のままこくりと頷く。
「……『誰かと両想いになったら、相手に災いが降りかかる』というものでした。だから私は紗羅の交際を禁じ、女子高への転校を薦めていたんです」
「それが、結果的に間に合わなかった」
「そう、ですね。仕方のないことではありますが」
『私はね、誰とも付き合っちゃいけないの。私と両想いになった人は、絶対に幸せになれないから』
少し前、紗羅が言っていた台詞を思い出す。
あれは彼女にかけられた呪いを示していたのか。誰かと両想いになれば、相手が絶対に不幸になるから。だから紗羅は全ての告白を断っていた。
……それを、俺が無に帰した。
呪いの発動は、俺と紗羅が接触したことが原因だと杏子さんは言っていた。
なら、やはり俺が余計なことをしてしまったということなのだろう。
知らなかったとはいえ、悪いことをしてしまったのかもしれない。
「……今日はこれくらいにしておきましょうか。また何かあれば言ってくださいね」
「……はい」
そうして杏子さんが席を立ち、紗羅もまた俺を心配そうに見つつも食堂を出て行った。凛々子さんもまた後片付けのため引っ込んでしまう。
世羅ちゃんと二人、残された後も、俺はどこかぼんやりとしたままだった。
そんな俺の顔を世羅ちゃんが覗き込む。
「悠奈さん。さっきのお話の続き、しませんか?」
そう言って彼女はにっこりと笑った。