逆転
真夜との戦いの顛末は、かいつまんで杏子さんたちに報告している。
だから「具体的にどうやって勝ったのか」深香さんは知っていてもおかしくなかったのだが……どうやら詳細までは伝わっていなかったらしい。
でなければきっと、俺たちにキスなんてさせなかったはずだ。
紗羅の全身から放たれた光は深香さんの目を眩ませた。
一瞬、首の圧力が緩んだのだろう。紗羅はその期を逃さず深香さんを払いのけると、俺を抱いて跳躍。数メートルの距離を取って着地した。
ふわりと、黒い羽毛へと変わった翼が一度だけ羽ばたいた。
「応急処置だけさせてね」
言葉の直後、腕の痛みが消え去った。
「紗羅、大丈夫か?」
「うん。もう少しだけ頑張れそう」
頷いた彼女は立ち上がり、深香さんの方を振り返る。
紗羅と視線を合わせた深香さんが呆然と呟いた。
「……何ですか、その姿」
「わからない。けど、悠奈ちゃんがくれた力のお蔭です」
言って、紗羅は自身の両腕を睨む。
再び黒色へと変化した腕を以て、前方へと走り出した。
「忌々しい。私たちの真似事はやめてください!」
深香さんが叫び、炎の剣を手にする。
再開した戦いは、先程までとは逆の経過を辿った。
深香さんが剣を振るえば、それを紗羅が片手で払いのける。もう一方の腕による紗羅の反撃を、深香さんは一瞬遅れて剣で受け止める。
その繰り返し。一撃ごとに少しずつ対応が遅れ、やがて深香さんは防戦一方になる。
「でも、真夜の時みたいに圧倒的じゃない」
呟くと、頭上から合いの手が入った。
「そりゃそうでしょ。あのお嬢ちゃんも、貴方もあの時より消耗しているもの」
「って、お前、まだそこにいたのか」
そういえば頭がずっしり重い。黒猫は「別にいいでしょ、そこはどうでも」と呆れ声で言って、更に解説を続けてくれた。
「状況が重なったことによる爆発力も要因だったけど、結局は素直な魔力な受け渡しなのよ。だから、譲渡する魔力が少なければ、その分だけ戦う力も弱くなる」
「魔力の譲渡……」
通常、吸精で受け渡されるのは生命力だったはずだけど。
「意識的に流すなら話は別でしょ。まあ、貴方たちの場合、無我夢中でやってるっぽいけど」
「そう、か」
あの時と、さっき。
俺は紗羅に生命力だけでなくて魔力も与えていたのか。つまり、比喩でなく持っているありったけの力を。
「でも、俺の魔力程度で足しになるのか?」
首を傾げると「何言ってるの?」と冷たい声。
「え、だって、並程度。深香さんより多いくらいって」
「その『深香さん』って、あそこでお嬢ちゃんと戦ってる天使でしょうに」
「あ」
じゃあ、深香さんが言っていた「並」っていうのは。
「天使の血族並、ってこと。まあ、私に比べたら全然だけど」
「………」
なんか一言多い気もするが。
だから紗羅は十分な戦う力を補充することができた。
だから、俺が魔法に力を使い、紗羅自身も消耗しきった今回は、深香さんを圧倒するに至らない。
「でも、それも時間の問題」
真夜の言った通りだった。
幾度もの交錯の後、深香さんがよろめきたたらを踏んだ。限界に達したのか、彼女の手から剣が消失する。
紗羅はすかさず深香さんの背後に回り込み、その身体をホールドした。
「何の、つもりですかっ!?」
「私は拘束の術が得意じゃないから。お母さま達が来るまでこうさせてもらいます」
「……殺せばいいのに」
深香さんの呟きを紗羅は無視して、待つことしばし。
「紗羅!」
砂浜近くの駐車場に車が止まり、杏子さんが飛び出してきた。
それを見た深香さんは諦めたのか、深いため息を吐いた。
「放して」
「でも」
「……もう暴れたりしませんよ。今更手遅れですから」
その言葉に、紗羅は少し迷いつつも腕を離した。
砂浜に崩れ落ちた深香さんの元へ杏子さんが駆け寄る。彼女は俺と紗羅の姿を見て目を見張りつつも、すぐに深香さんへと目を向けた。
「独断で、力を使っての凶行……そのうえ、悠奈さんにまで手を出したのですね」
「………」
「何か申し開きはありますか?」
冷たく自身を見下ろす杏子さんに、深香さんは「いいえ」と首を振った。
「わたくしが紗羅さんを襲い、悠奈さんに怪我を負わせたのは事実です。何の申し開きも必要ありません」
「そうですか」
杏子さんは頷き、右手を振った。すると深香さんの身体、両手首と両足首、それから首筋へ光がまとわりつき、金属製の輪へと変わった。
――後から聞いたところによると、魔力による一種の拘束らしい。深香さんが魔力を行使しようとするとそれを抑制、あるいは痛みを与える。
「ひとまず屋敷に戻りましょう。……一晩休んだら、荷物を纏めて出ていってください」
「……はい」
神妙に頷く深香さん。
彼女の顔が蒼白に変わったのは、杏子さんの次の言葉を聞いた時だった。
「それから。今後、あなたの屋敷への出入り、及び家人への一切の接触を禁じます」
「――っ」
親戚からの絶縁宣言。
殺されかけた身としては甘い処置のようにも思えたが、深香さんにとっては何より堪える罰だったらしい。今度こそ完全に俯き、事態を重く受け止めているように思う。
そんな深香さんを、杏子さんは静かに見つめ、ふっと視線を切った。
それきり杏子さんは深香さんを見ることはなく、彼女は俺たちに向けて微笑んでくれる。
「――二人とも、無事でよかった。遅くなって、こうなるまで気づけなくて本当にごめんなさい」
「お母さま……」
杏子さんの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
心配、してくれたんだな。そう思うと胸の奥から暖かい気持ちが湧いてくる。
翼を消した紗羅を杏子さんが抱きしめる。その姿を見ながら、俺はふっと微笑んだ。
そこで、頭上の重みがなくなる。
「行くのか?」
振り返れば、黒猫が俺たちに背を向けていた。
真夜は俺の声に立ち止まると振り返り、小さく答える。
「麗しい家族愛に付き合う気はないもの。いったん事の顛末は見届けたし」
「……お前、何しに来たんだ?」
問いかけると、「決まってるじゃない」と面白がるような声。
「天使の血族の一人が苦しみ、絶望する顔が見たかったのよ」
「……あー、うん。納得した」
「そ。じゃあ、またね」
また、か。
どうやらあいつは俺たちとまた会うつもりらしい。今回みたいに味方? というか、利害がある程度一致しているのなら、構わないけど。
……敵対するのなら会いたくはないな。
「ありがとな」
虚空に溶けて消えていく黒猫の姿に呟くと、返事はなかった。
それでいい。心から感謝する気にはなれないし、聞こえていたら多分、思いっきり馬鹿にされるだろうから。
――さて。
俺はふっと笑みをこぼすと、まだ抱き合ったままの母娘におずおずと声をかけた。
「あの、紗羅。杏子さん。できたら俺の手を治して貰えると助かるんですが」
「……あ!」
手首から先が切断されたままの腕を振って告げると、二人は揃って悲鳴を上げた。
そう。傷口は塞がっているし痛みも消えているため、俺自身もあまり実感が湧かないが、未だ俺の手は砂浜に転がったままだった。
ただ、手の方は未処置なのが気になったが……幸い杏子さんの手によって元通り、綺麗に繋がった。
そうして俺たちは杏子さんの運転する車に乗り、屋敷へ戻った。
その頃にはもう、時刻は翌日へ差し掛かろうとしていた。




