誘惑
更に数日が経った。
深香さんとの特訓は継続している。相変わらず進捗は微妙だが、半々程度で火を出すのが成功するようになった。
「上出来です。もう少し練習して、安定して炎を出せるようになれば、後はどうとでもなりますよ」
「どうとでも、って?」
「攻撃がしたいのなら、最悪、敵に向かって投げつければいいんです」
なるほど。海で深香さんがやっていたみたいにか。
確かに、それならある程度の見通しも立ちそうだと思えた。
また、学園では二学期の期末テストが近づいていた。俺と紗羅にとっては清華に来てから初めての定期テストとなる。
細かい勝手がわからないという意味でも気は抜けないため、こちらにも注力せざるを得なかった。
「悠奈ちゃんなら普通にやってれば大丈夫だよ」
「かなあ……」
「羽々音さんも姫も勉強できるもんねー」
「うん。この学校、結構難しいと思うんだけど」
なんだかんだ、入試なしで入学した身としては下手な点数は取れないしな……。
「せっかく一緒に住んでるんだし、お互い教えあおうね」
「うん、頼りにしてる」
文系科目は紗羅の方が、理系科目は俺の方が得意なので、役割分担は可能だろう。
あれから俺は凛々子さんに言われた通り、出来る範囲で紗羅との会話を増やすようにしている。といっても、特訓や試験勉強がある手前、話せるのは食事の時と学校内くらいになってしまう。
クラスメートや澪ちゃんの目もある手前、意識して話そうとすると難しかったりもするが。
……あらためて意識してみると、確かに紗羅との時間が減っていたように思う。
それから深香さんと紗羅の確執というか、ぎこちない関係もようやく実感できた。深香さんは明るく周囲に話題を振っているようでいて、その実、基本的に俺か世羅ちゃんにばかり話しかけている。
会話の対象に紗羅を含めるときは「皆」に話しかけたり、あるいは主語を抜いたりして、極力、紗羅を意識しない風に努めているように思う。
思い返せば以前からそうだった。
深香さん自身が言った通り、紗羅と仲良くできない事情のせいなのだろうが。
……こんなことを続けさせていいのだろうか。
憤りめいた疑問が頭に募るも、頭ごなしに抗議することもできずにいる。
そんなある日。
屋敷へ帰り、食事と入浴を済ませた後、俺は慎弥からの電話を受けた。
「もしもし、慎弥?」
『ああ。今、大丈夫か?』
「うん。大丈夫だけど、どうかした?」
『君の家について、だいたいの調べがついた』
スピーカーから届いた声に息を飲んだ。
「早かったね」
『もともと、以前から調べていたからな』
「そうだったね。それで……?」
一対一での電話とはいえ、念のため口調を崩さず問いかけると、旧友は珍しく少々勿体ぶりつつ続ける。
『聞いても驚くなよ。……いや、馬鹿にするなよ、という方が正しいか。それから、推測も混じるのは承知してくれ』
「う、うん」
その真意を計りかねつつも答える。すると、
『天使だ』
「……天使? って、あの羽の生えてる?」
『そうだ』
……なんか、前にも似たようなやりとりをしたな。
でも、天使か。
「悪魔と因縁がある家系っていうのも、そう考えれば納得かも」
『ああ。……いささか推測が短絡的な気もするが。おそらく間違いないだろう』
確かに。天使と悪魔との確執なんて、これ以上ないくらいにわかりやすい。
現実における両者の関係が、宗教伝承上のそれと同じなのかは知らないが、大差ないと考えれば。
――あなたに呪いをかけてあげる。忌まわしいその身に、一生続く戒めの鎖を。
かつて真夜が紗羅に放ったという言葉の意味も重くなる。
天使の家の長女がサキュバスだなんて確かに忌まわしいだろう。紗羅と世羅ちゃんの扱いが違う理由も、倫理的な是非を別にすれば理解はできる。
そこで真夜は紗羅に呪いをかけた。
羽々音家へ、更なる嫌がらせをするために。
だとすると、あの交通事故は紗羅の殺害が目的ではなかったのだろうか。
――私としてはどっちでもよかったんだけどね。結果的にはまあ、上々かしら。
つまり誰かに庇わせるか『紗羅に重傷を負わせる』か。
誰かが庇えば、その人物が紗羅のせいで不幸な目に遭う。羽々音家への嫌がらせにはなる。
紗羅が怪我をすれば、怪我の回復に生命エネルギーを消耗する。
――不足した生命エネルギーを吸収するのに、これまでの比じゃない性衝動に襲われるはずだもの。
なかなか問題を起こさない紗羅をけしかけると共に、羽々音家を掻き回す悪戯。
これでも辻褄はあう。
『少しは役に立つか?』
「少し、なんてものじゃないよ。どうやってこんな情報を?」
『別に大したことはしてない』
羽々音家の来歴を遡れるだけ遡り、関わった事件や出身地方等の情報を集めた。それを元に推測した結果、確率の高そうなのがこれだっただけだという。
「いや、それは十分凄いんじゃないかな……」
『そう言って貰えれば少しは報われるがな。……一応、情報の出どころは口外するなよ。隠しても無駄な気もするが』
「あはは。まあ、前回のGPSでバレてたっぽいしね」
ともあれ、この情報は貴重だ。
紗羅が疎外されている理由がどうしようもないものならば、俺が取るべき対応も変わってくる。
……紗羅と一緒に屋敷を出ることも検討するべきかもしれない。
「ありがとう、慎弥。あとはこっちで確かめてみる」
『ああ。……だけど、無茶はするなよ?』
思いっきり無茶した人間が何を言うか。
「大丈夫。今回は戦いに行くんじゃなくて、話をしに行くだけだから」
それに、杏子さんたちも今更俺の記憶を消そうとはしないだろう。
……多分。
俺は慎弥との通話を切ると、息を吐いて気合を入れた。
「……よしっ」
部屋を出て廊下を歩く。当然、向かう先は杏子さんの部屋だ。
確かめるなら早い方がいい。それに、このタイミングなら話もしやすいはずだ。
と――。
「悠奈さん?」
「っ」
運悪く、あるいは当然というべきか。
不意に響いた声に俺はあえなく呼び止められてしまった。
声の主は、深香さん。
慎弥と通話しているうちに、特訓の時間が迫っていたらしい。
「どちらに行かれるんですか?」
「ちょっと、杏子さんに話があって。すみませんけど、特訓を少し遅らせて貰えませんか?」
「それは構いませんけど……」
決心した矢先に邪魔が入ったため、俺は焦っていた。
しかし、そんな俺の内心を知らない深香さんはゆっくりと答える。
「相談事でしたら、わたくしが聞いてもいいですよ?」
「いえ」
魅力的な提案ではあるが、ここは吞めない。
あとで深香さんに尋ねるにせよ、まずは杏子さんに確認しなければ始まらない。だから俺は首を振った。
すると深香さんは目をすっと細め――。
「何か、大事なことをお知りになったんですね? それが何なのか、『正直に答えてください』」
「……いえ、それは」
ここで話をしている場合じゃない。
俺は深香さんの頼みを拒否しようと首を振りかけ、止まった。
それでは駄目だと誰かが囁く。
……なんだ、これ。
「羽々音家が天使の家柄だって話を聞いたんです」
猛烈な違和感に戸惑いながら、俺は無意識のうちにそう答えていた。
まるで、先ほど深香さんが発した言葉に操られるように。
――操られる?
『幸い悠奈さんは暗示の類にかかりやすいようですので』
いつかの杏子さんの言葉を思い出す。
暗示。……催眠術。
「さあ、悠奈さん」
深香さんが俺に近づき、そっと囁く。
――特訓をしている最中のように。
「少し、夜のお散歩に行きましょうか。わたくしがあげたコートを着て、スマートフォンは部屋に置いたまま、ね」
俺は、彼女の言葉に逆らえなかった。




