初めてのお風呂と、初めてのレッスン
俺が目覚めたのは事故の翌々日、日曜日だったらしい。
我ながらよく眠っていたものだが、そのため一夜明けた朝は月曜日だった。とはいえ俺はまだ学校に通えないし、紗羅も転校手続き中なので、いきなり慌ただしくなることはなかった。
「そういや、紗羅が転校する学校ってどこ?」
「清華女学園……今は清華学園だったかな。そういう名前の学校だよ」
都内にある女子校、って言ってたか。受験の時も女子高までは調べなかったから、どんな学校なのかは知らないな。
なんでも、今回の転校は元いた学校が共学だった事が大きな原因らしい。以前から杏子さんは女子校通いを希望していて、最近になり本格的に話が進んだのだとか。
「まあ、女子校の方が親からしたら安心だよな」
「そうだね」
答えた紗羅は少しだけ浮かない顔だった。やはり転校の件は少し不満があるらしい。
「大丈夫。紗羅ならすぐに友達もできるよ」
「うん、そうだね。一人で転校するわけでもないし」
「そうそう」
……ん? 一人で転校するわけじゃないって?
他に誰がいるのか、と首を傾げると、紗羅が苦笑しながら俺を見た。
「悠奈ちゃんも私と一緒に清華に入るんだよ?」
「な」
なんですと?
* * *
俺が女子校かあ……なんか実感が湧かないな。
羽々音家の風呂。その脱衣所でパジャマを脱ぎながら、俺はぼんやりと思った。
朝食後、まずは入浴を済ませることになったからだ。ずっとパジャマを着たままだったので汗もかいているし、服も着替える必要があるということで、紗羅に案内して貰った。
なお、今後は羽々音家の屋敷内を自由に移動して構わないとのこと。
「広っ……」
浴室に入った俺は、まずその広さに驚く。うちの風呂の倍は軽くあるだろう。浴槽も二、三人が一度に入れそうなサイズだ。
なんだか色々ギャップを感じつつ、髪と身体を洗うことにする。
とりあえず、一度深呼吸。
それから視線を下へと向け、女性化してから初めて自分の身体をじっくり見つめる。
……うん、女の子の身体だな。
健康的な白い肌。男だった時に比べて体毛は薄く、体型は起伏に富んでいる。胸は……紗羅よりは小ぶりだろうか。それでも十分なサイズだし、形が良く見るからに柔らかそうだ。
据え付けの鏡に映る顔は結構可愛らしい。これが自分の顔でなければ直視するのは躊躇われるレベルだ。
「……さて」
身体の確認が済んだところで、シャワーを出して湯を浴びる。
熱い水滴が降り注ぎ、肌を流れる感覚がなんだか妙に心地よかった。どうやら肌も前より敏感になっているらしい。
『髪や肌を洗う時は気を付けた方がいいと思う。女の子の身体は強い刺激に弱いから』
入浴前に紗羅からもらったアドバイスが正しいことを実感する。言われた通り入念に、スポンジを使わず手を使って髪や身体を洗っていった。
ついわしわしと手を動かしたくなるのは我慢。ついでに肌の感触もなるべく考えないようにした。
綺麗に身体を洗い終えたら湯船に浸かる。朝風呂なんて贅沢な話だが、今回はわざわざ俺のために沸かしてくれたらしい。せっかくだから長湯させてもらってから風呂を出た。
「ふぅ……」
ややひんやりした空気が火照った身体に気持ちいい。
とはいえ、いつまでも裸だと湯冷めしてしまう。俺はタオルで手早く髪と身体を拭いていった。もちろん、これも極力、丁寧に。
着替えは脱衣所に用意されていた。トレーナーとデニムが下着と一緒に畳んで置かれている。
「って、下着?」
薄桃色のブラとショーツ。まさか、俺にこの下着を付けろというのか。
いや、それはもちろんTシャツとトランクス、ってわけにはいかないだろうけど。せめて紺とかベージュとか、女の子してない色にしてくれたりとか……。
まあ、誰もいない場所で愚痴ってもどうしようもないのだが。
「……観念するか」
どうせいつかは通る道だ。俺はため息をつくとまずショーツを手に取り、足を通した。こんな小さな布で大丈夫なのかと心配したが、案外しっかり身体にフィットする。あと、妙に肌触りがいい。使われている原料が違ったりするのだろうか。
で、問題はブラの方。とりあえず手に取って広げてみると、形はまあ、なんとなく予想した通りだった。
でもこれ、どうやって付けるんだ……? 紐を肩にかけて、後ろ側のホックを止めればいいのか? 他に何かしたりするのか?
「えーっと……」
どうしたものか。適当に付けてしまってもいいっちゃいいけど、と途方に暮れていると、ちょうどいいところに紗羅が顔を出してくれた。
「悠奈ちゃん、着替えは大丈夫そう?」
「あ、紗羅。その、下着がうまく付けられなくて……」
「そっか、そうだよね。私が手伝うよ」
正直に伝えると、紗羅はにっこり笑ってそう言ってくれた。
同い年の女の子に頼むのは心苦しいけど、ほっとする。いや、今は女同士だからいいのか? 紗羅も裸同然の俺を気にしていないみたいだし。
「あ。駄目だよ悠奈ちゃん」
「え?」
俺の傍まで歩み寄ってきた紗羅が突然声を上げた。何か問題があっただろうか。
「髪の毛、ちゃんと乾かさないと痛んじゃうよ」
「ああ、でも水気はちゃんと拭き取ったし」
「駄目。下着はちょっと後回しにして、ドライヤーかけよう」
……別に放っておければ乾くと思うんだけど。有無を言わさず後ろを向かされ、ドライヤーを当てられた。
「これで大丈夫。それで、下着だよね」
「あ、うん」
紐だけひっかけた状態のブラを見せると紗羅は頷く。
「付け方がわからないと上手くいかないよね」
言いながら彼女は俺の胸に腕を回してきた。恥ずかしくなって身をよじると「動いちゃ駄目だよ」とやんわり叱られる。いやその、胸が微妙に当たってるんですが。
仕方なく動きを止めると、紗羅はまずブラの位置を調整してからホックを止めた。更に、ブラの上側から俺の胸に手を差し入れてくる。
「え、ちょ」
「大丈夫。痛くないから」
そのまま胸の肉を掴んで形を整え、カップに入れたら肩紐の長さを調節する。反対側の胸も同じようにした後、俺はようやく解放された。
「ただ下着を付けるだけで、結構大変なんだな……」
「男の子から見たらそうだよね」
下着にしろ水着にしろ、上半身には何も付けない事も多いから、そもそもが理解の外だ。
誰かと付き合った経験でもあれば別だろうが、あいにくそういうのには縁がなかったし。
「次からは自分で付けられそう?」
「……多分、手順はわかったのでなんとか」
ブラがなんとかなれば、後は自分でも着られた。デニムのホックの向きが逆なのに少しだけ手間取った程度だ。
そうか、確かボタンの留め方とかも反対なんだっけ。
「やってみると色々、勝手が違うな……」
「ゆっくり慣れていけばいいよ。時間はあるんだし」
「それもそうか」
そして、着替えを終えた俺は紗羅さんと部屋に戻り――。
最初の「女の子レッスン」が幕を開けた。
* * *
「では、そこからこっちまで歩いてみてください」
「は、はい」
俺への「レッスン」を担当するのは凛々子さん――例のメイドさんだった。てっきり紗羅がやるのかと思ったが、彼女はセコンド的な立場で傍についてくれる。
また、具体的なレッスン内容はまっすぐ歩くことだった。
何だ、そんなことか……と思ったが、それも束の間。俺は凛々子さんから駄目出しの嵐を受ける。
「もう少し歩幅を小さくしてください。でないとスカートを履いた時に危険ですよー」
「歩くたびに少しずつ右に寄っていますねー。できるだけまっすぐ歩くようにしてみてください」
「今度は左右にふらふらしてますー」
ただ歩くだけでここまで注意されるのか。
凛々子さんの口調が厳しくないのが救いだが、小一時間ほど部屋を往復し続けた結果、俺は想像以上に疲労していた。
「少し休憩にしましょうー」
と凛々子さんから許可が出た途端、思わず床に崩れ落ちそうになったくらいだ。紗羅が慌てて椅子をすすめてくれたので事なきを得たが。
それを見た凛々子さんが目を細める。
「申し訳ありませんー。少しやりすぎてしまったかもしれません」
「あ、いえ。たぶん精神的なものだと思うので……」
「そうですか。でも、無理はなさらないでくださいねー。体力も落ちていてもおかしくありませんし」
それはそうかもしれない。男だった頃のノリで動き回ったら無理が出る、というのは割とありそうだ。
「ありがとうございます」
「いいえ」
お礼を言うと、にっこり笑顔で首を振られた。
凛々子さんはまっすぐなロングヘアーをした長身の女性だ。黙っていると少しキツそうな顔だちだが、だいたいは微笑んでいるため柔和な印象がある。
歳は……いくつなんだろう。成人してるのは確実だけれど、正確にはわからない。
「さて、それじゃあ再開しましょうかー」
「はい、お願いします」
十分ほど休憩した後、俺たちはレッスンを再開した。再び俺がへばったところで、凛々子さんは家事のため席を外す。
それから昼食まで、今度は紗羅が俺に言葉遣いをレクチャーしてくれた。
「学校に行くとき、その言葉遣いのままじゃ困るでしょ? だから今のうちから練習しておかないと」
「確かに」
一人称が「俺」の女の子は結構レアだし、似合う似合わないがはっきり分かれる。まして完全に男口調となると、元男の身からしても勘弁してもらいたい。
「じゃあ、始めるね。まずは、私の名前は羽々音悠奈です、って言ってみて」
「わ、わたしの名前は……」
……自分の事を「私」って言うだけで物凄く恥ずかしいけど!
「まあ、ほら。お家にいる間は普段通りでも構わないから。頑張ろう?」
「そ、そうだな」
延々自己紹介の練習をしてから昼ご飯を食べて、また歩き方の練習、続いて再び自己紹介の練習……と続き、ようやく解放されたのは夕方になってからだった。
「やばい、疲れた……」
夕食まで自由行動と言われ、ふらふらと部屋を抜け出しつつ呟く。というか、いきなり月曜から慌ただしくはならないとか言ったの誰だっけ。俺か。
「それにしても広い屋敷だよな、ここ」
いわゆる洋館というやつだろう。部屋の外は長い通路が伸びていて、途中にはドアがいくつか見える。典型的な金持ちの家、という感じだ。
ここの家事を凛々子さん一人でやってるんだとしたら、相当大変なんじゃなかろうか。
などと思いつつ、俺はどこに行こうか思案する。少し息抜きがしたかっただけで目的地があったわけではないし、何より知っているのは風呂場の位置くらいだ。
「どうしたものか……」
「探し物ですか?」
と、そこへ誰かの声がした。振り返れば、制服姿の女の子が俺を見て首を傾げている。
誰だ? 見たところ中学生くらいの子だけど。
「悠奈さん、ですよね? お姉ちゃんを助けてくれた」
「え、と。お姉ちゃん、ってことは、君は」
思わず問い返すと、彼女は「あ、すみません」と声を上げてにっこり笑った。
「わたしはお姉ちゃんの妹で、羽々音 世羅っていいます」
私立清華学園は私の前作、というか別作品「ロールプレイング・ハイスクール」に登場した学校名ですが、メインストーリーに関わるリンクの予定はありません。
単品でお読みいただけますのでご安心ください。




